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サッカーマガジン 1985年4月号

ビバ!! サッカー!! ワイド版

審判はアマだからやりにくい
審判員への厳正な評価と批判は協会で

アマチュアは困る
線審をちらりとも見ない主審が全国大会に出るとは!

 今月号は、編集長の了解を得たので、ちょっと堅苦しい話でいこうと思う。
 およそサッカーで、審判がヘボなくらい困ることはない。
 審判がチョンボでも、選手は文句を言ってはいけないことになっているし、スタンドのぼくたちが「審判のヘタクソ」と怒鳴ったところで、なんとかの遠ぼえである。
 ぼくは、ジャーナリストの特権を利して、紙の上に大いに正義のペンを振るおうと思うのだけれど、これも、現実には、やりにくいところがある。
 やりにくいことの一つは、審判員の人たちの大部分が、サッカーが大好きで、若い人たちへのサービスでやっていることである。
 学校の先生が、2×2=5だと教えたり、電車の運転士さんが寝坊して発車を遅らせたりしたら(そんなことはないだろうけれど)
「月給もらってて何やってるんだ」と、プロ失格のハンコをぺたんとおしちゃうんだけど、サッカーの審判は、笛吹いて給料もらってるわけじゃないから、つい、同情してしまう。ほんとに、アマチュアとは、困ったものである。
 とは言っても、全国大会の主審、線審を務めるくらいの人は、プロ並みに厳しく扱われることを覚悟してもらいたいと思う。同じ人が、何度も問題を起こして、ぼくたちに名前を覚えられてしまうようでは、困りものである。
 正月の高校選手権のときには「困った審判だなあ」と思う場面を、何度か見た。高校選手は審判に文句を言わないので(それは非常に結構なことだが)ヘボな審判が、そのまままかり通るのは、困ったものだ。
 オフサイドがあって、線審が旗をあげていたのに、主審はまったく気がつかないでいた場面があった。
 プレーはどんどん続いたのだが、線審の方は意地になって旗をあげ続け、およそ20秒〜30秒立っていた。記者席で見ていたぼくには、2分〜3分に感じられた長さだった。
 そして、とうとう。
 ボールはゴールにはいってしまったのだ。
 線審は、なお旗をあげてじっと立っていたが、びっくりしたことに、ボールがゴールにはいったあとも、主審は線審の方をちらりとも見ずに、得点を宣してセンターサークルに戻ってしまった。
 日本リーグのチームだったら、多分、それがいいことかどうかは別として、主審に声をかけて、線審が旗をあげていることに注意をうながすだろう。ひょっとして、それが審判への抗議とみなされたら厄介なことになるのだが、幸か不幸か、高校選手は、そんなことをしないから、それでそのまま通ってしまった。
 オフサイドかどうか、というような場面は、主審をやっていて、なんとなく感じるものである。感じたら線審を見るはずである。それを感じない人は、全国大会の笛を吹くには経験不足か、審判に向かない性格である。ゴールのあと線審の方を見なかったのに至っては論外である。
 頑固に旗をあげ続けた線審の方にも問題はあるが、これはちょっと高級な話になるので、ここでは触れない。
 全国大会の笛の話だから、厳しく批判したいところだが、具体的な試合の日時や審判の名前をあげないのは、やはり一生懸命、奉仕で審判を務めている先生に同情心が働くからで、実にやりにくいところである。

余計な口をきくな
「試合が終わったら説明する」といって切り抜けた非常識

 審判は、余計な口をきいては、いけないことになっている。余計な口をきいたばっかりに、トラブルがますます大きくなった例は、いくつもある。
 ある地方大会の試合で、主審がペナルティーキックをとったのに対して選手たちが詰め寄った。
 審判に抗議するのは、許されていないことだから、もし、詰め寄ったのを、抗議ないしは暴言と認めたら主審は、黄色い紙か、赤い紙を出すことになる。しかし、それ以外に余計なことをしゃべる必要はない。
 ところが、このケースでは「なんでペナルティーキックなんだ」と詰め寄った選手たちに対して「いまは試合中だから説明できない。試合が終わってから来たら説明する」と言ったのだそうである。
 なんと、選手たちは、試合が終わったら本部席へ行って、審判を取り囲み「さあ、説明しろ」と詰め寄って大きな騒ぎになったという。
 試合を見ていた人の話では、審判の出来もひどくて、どうもミスジャッジだった、というのだが、これは地方大会だから、ぼくは審判の技術がヘボなのには同情する。いまの日本のサッカーのレベルで、地方大会にまで、一流の審判を求めるのは、悲しいかな、ぜいたくである。
 しかし「試合が終わったら来い」などというのは、ヘボを通り越して非常識である。これでは、まるで選手を挑発しているようなものである。
 ところで、こういうケースも、審判批判をやりにくい例である。
 審判のヘボ、ないしミスジャッジ、あるいは非常識に対して、大いに正義のペンをふるいたいところなんだけれど、そうすると何だか、審判を取り囲んで騒ぎを起こした選手たちの味方をして、選手たちの行為を正当化しているように、誤解されそうである。
 もちろん、審判がヘボだからトラブルが起きた、という因果関係はあるわけだけれど、審判のヘボと選手の不行儀は、それぞれ別の次元の問題として取り上げないと、ぐあいが悪い。
 ところが、えてして、審判をめぐるトラブルは、審判のヘボと選手の不心得が重なって起きるので、一方を取り上げると、一方を弁護する形になりかねない。トラブルのときに、審判への批判は書きにくいわけである。
 とはいえ、審判のヘボを見過していいというわけではないので、これは、それぞれのサッカー協会の内部で、審判員への厳正な評価と批判をしっかりやってもらいたいと思う。

微妙なオフサイド
主審と線審の協力ぶりをはっきリ示すことも必要だ!

 ここにあげるのは、正月の高校選手権大会で起きたケースを、モデルにしたものである。ジャーナリストとして、審判批判を書くのが、難しいもう一つの例である。
 右45度、ゴールまで30メートルほどの位置からのフリーキックだった。守備側は、横一線のラインを敷いて位置をとった。敵がゴール前へ出たら、オフサイドになるようにしたわけである。(図1)
 攻撃側がフリーキックをけった瞬間には、オフサイドはないように見えた。
 フリーキックに合わせて飛び込んだ選手が、実にあざやかにヘディングシュートして、ボールは、みごとにゴールに突き刺さった。
 ところがである。
 このすばらしいゴールに対して線審がオフサイドの旗をあげていた。主審は、それを見ると、すぐ反則の笛を吹いてオフサイドをとり、フリーキックでプレーを再開した。
 スタンドから見ていて、誰が、いつ、オフサイドだったのか、まったくわからなかった。
 こういう場合に、主審は笛を吹く前に、線審のところに駆け寄って、どういうオフサイドだったか確認すべきだと思うが、それはなかった。
 さて、あとでテレビのビデオで検討してみると、フリーキックの瞬間でなく、ヘディングシュートの瞬間に、わずかだがオフサイドの位置にいると思われる選手が1人いる。(図2のA)
 しかも、これを反則にとるかとらないかは、難しいところで、ぼくは、オフサイドをとらないのが適当で、ゴールを認めるべきだったと思う。なぜなら、これは、守備に影響を与えたとは思われないものだったからである。
 少なくとも、こういう徴妙なケースだから、主審は線審のところに確認に行くべきだったと思う。
 また、線審は、試合のあとで新聞記者に対して「オフサイドの位置にいた選手がいたから旗をあげた」と、話をしたが、これは、誤解を招く無用の発言で、審判員は試合後、コメントをしないのが原則である。この線審の談話は、ある新聞に「フリーキックをけったときにオフサイドがあった」と引用されていたが、フリーキックの瞬間にはオフサイドはない。してはならないはずの発言をしたために起きた誤解である。
 ところで、このケースでは「反則をとらない方が正しい」と、ぼくは考えたわけだが、実は、これにも問題がある。
 というのは、守備側は、敵をオフサイドにかけるために、浅いラインを敷いて守るわけだから、その裏に走りこまれたのは、すべてオフサイドにとってもらえないとぐあいが悪いことになる。
 というわけで、これは非常に難しいケースである。
 この場合には、そんな高級な話でなく、もっと初歩的な不手ぎわが、主審にも、線審にもあったと思うが、それを新聞の小さなスペースで説明するのは、難しい。


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