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サッカーマガジン 1984年8月号

ビバ!! サッカー!! ワイド版

日本リーグを大改革せよ
各チームの権利を保護する体制の確立を

「オザキはタダかね?」
ヨーロッパの名監督2人がともに感じた不思議!

 ノドもと過ぎれば、熱さを忘れるとか。オリンピック予選に惨敗して深刻な顔をしていたのも一時のことで、結局のところ、いつもの年と同じようにジャパン・カップをやり、日本リーグを消化し、わが日本サッカー協会では、誰も「ただちに責任をとる」とは言わないらしい。天下泰平だよ。実は、その間に、日本のサッカーは、世界はもとより、アジアからも、どんどん置いていかれている。
 「世界のサッカー」という巨船が水平線の彼方に、どんどん遠ざかっていくのを見送りながら、波打ちぎわで、泣き叫んでいる鬼界ヶ島の俊寛の心境だね、ぼくは。
 ところが、鬼界ヶ島のもともとの住民の皆さまは、別に都にあこがれる必要もなく「なに、おらが島には、おらが島のケマリがあるさ」と、別に気に止めることはないようだ。
 いたるところに、それぞれのサッカーがあるのは、このスポーツのいいところではあるが、しかし一方でこのスポーツは、きわめて国際的なスポーツである。だから「おらが島には、おらが島のやり方がある」といって、すましてばかりは、いられないはずである。
早い話が、奥寺康彦君に続いて、尾崎加寿夫君も西ドイツに行き、望月達也君もオランに行った。ほかにも、向こうでトライしようとしている若者たちは何人もいる。
 「いやあ、日本の選手が海外で活躍するのは、非常に喜ばしい」というのは、かっこいい。
 ぼくも、そう思うよ。
 望月君や風間君が、海外にチャンスを求めるのを妨害するつもりは、まったくない。男だもの、やってみな、という気持ちだ。
 しかし、である。
 3月に日本に来て独特の指導法を公開したオランダのウィリー・クーバーさんと、読売クラブのルディ・グーテンドルフ監督は、どちらも口裏を合わせたように、ぼくに、こうきいたものだ。
 「オザキがビーレフェルトに移ったとき、ミツビシは、トランスファーフィー(移籍金)を要求しなかったという話だが、本当かね」。
 ぼくたちの日本的感覚からいうと、お金をとらないのは美談のようだけど、ヨーロッパのプロの感覚からみれば、日本の財産をただで外国に与えるのは裏切りであり、損を承知というのであれば愚かであり、そうでなければダンピングである。
 選手を育てるには、それだけの投資をしているのだから、トレードによって、それを取り返すのは当然の権利で、それをわざと放棄するのは同業の仲間に迷惑をかける行為である。
 こういうことを書いても、日本では、なかなか理解してもらえないかもしれないが、ヨーロッパのプロからみれば、日本のやり方の方が、理解しかねることのようだ。
 「おらが島には、おらが島のやり方があるさ」という考えが通用しない、というのはここである。
 サッカーは世界のスポーツだから「日本には日本のサッカーがある」とばかりは言ってられない。サッカーの先進国であるヨーロッパのプロの組織に学ばなければ、技術論や体力論で世界のレベルに追いつくことは不可能である。

16チーム案に異議
来年から12チーム。だがその前にやるべきことがある

 日本のサッカーに革命を起こすには、まず、日本リーグを大改革せよというのが、ぼくの意見である。
 日本のサッカーに革命を起こすために、単独チームの力を伸ばさなければならないことは、先月号で書いた。トップクラスの単独チームが集まっているのが、日本リーグだから日本リーグ大改革は、避けて通れないステップである。
 さて日本リーグは20周年を迎えて、何か考えに考え抜いた大改革をやるかと思ったら、なかなか、そうはいかないらしい。PR会社に頼んで、釜本のハダカのポスターを作ったり、厚くて持ち運びに不便なプログラムを作ったりするのは、とても大改革とはいえない。
 まあ、改革と呼べそうなのは「日本リーグの1部を16チームにする」というアイデアぐらいだろう。
 これは、もともと、日本リーグの中からではなく、日本サッカー協会の実力者から出て来たアイデアのようで、日本リーグの各チームに、これを納得させようと、いろいろ手練手管を使ったらしい。
 結局のところ「16チーム案」に反対はしないが、早急には無理ということで「来年から12チームにするよう検討する」ということで、とりあえず納まっている。
 ぼくの個人的意見を言えば、いまの日本の実情で「16チーム案」には大反対である。
 グラウンドがない、審判がない、レベルの低いカードが多くなる、など、誰もが指摘するような、もろもろの理由もさることながら、ぼくが指摘したいのは「16チームにする前に、やっておかなければならないことがある」という事実である。
 「16」という数字そのものは、そんなに、びっくりするほどのものではない。ジーコやファルカンやソクラテスやジュニオールに、無茶苦茶なお金を払っているイタリアリーグは、1部16チームで、実にうまくスケジュールが組まれている。他のサッカー先進国のナショナルリーグのチーム数は、それ以上である。
 だが、考えてもらいたい。
 こういう国では、リーグの試合は完全な単独チームの自主運営である。各チームは、それぞれ自分の都市に本拠地を持ち、グラウンドを持ち、財政を自分の責任でまかなっている。
 さらにいえば、自分のクラブから登録している選手については、一定の支配権を持ち、自分のところで育てた選手を、勝手に他のチームが引き抜くことはできないようになっている。
 協会やリーグの仕事は、そういう単独チーム(クラブ)の権利を保護してやり、場合によっては、行き過ぎのないようにチェックすることである。そういう体制があって、はじめて、16チームによる繁栄を期待することができる。
 そういうわけで、ぼくの考えでは16チームにする前に、まず、自主運営の徹底をはかる必要がある。入場料収入だけでなく、テレビ放映権料や場内広告も各チームに管理させて財政基盤の根拠を与えなければならない。それを活用できるかどうかはそれぞれのチームの問題である。
 さらに、選手とクラブの関係も、サッカー先進国の例を学んで整備しなくてはならない。
 そういう基本的なことに目をつむって、チーム数だけ増やそうというのは、無理な相談である。

日本リーグは面白い
単独チーム(クラブ)により多くの自由を与えよう

 「試合がつまらないから、お客さんが集まらない。いい試合をすることが先決だ」
 という人がいる。これも、言葉はかっこいいんだよね。
 だけど、そういう人に限って、いい試合をするために、どうすればよいかといえば「90分間走れ」とか、「激しく守れ」とかいうテイのことである。         
 「いい試合をしよう」という言葉に異議のある人は、誰もいないだろう。しかし、いい試合とは何かについては、人によって考えが違うものだ。また、ある人が「いい」と思う試合は、必ずしも、お客さんを集められる「面白い試合」だとは限らない。
 ぼくの考えでは、最近の日本リーグには、なかなか、いい試合がある。そういう試合は、見ていてなかなか面白い。しかも。そういう試合をしている日産、読売クラブ、ヤマハなどのチームが上位に出て来ている。これは、いい傾向だ。ビバ!サッカーだ、とぼくは思う。
 ぼくの考えによる「いい試合」とは、どんな試合か?
 それは、個人の能力が、思う存分発揮される試合である。
 6月13日に磐田で行われたヤマハ−日産の試合。2位のヤマハが2点を先行した。面白い。
 しかし、残り16分になって日産が迫い上げ、同点にして引き分けた。日産のゴールをあげたのは、木村と金田だった。テクニックのある選手が、それを発揮できたのは面白い。
 同じ日に岡山で行われた試合で、読売クラブが大量6ゴールをあげた。テレビのスポーツ・ニュースで見る限り、どのゴールも、個性にあふれるプレーから生まれている。
 1点目。後方から攻め上がっていた松木が、相手ゴールに背を向けたままシュート。むかしの日本のチームだったら、こんなことをして失敗しようものなら、どやしつけられたんじゃないか。しかし、どやしつけられることを恐れ、失敗を恐れて大胆な試みを避けてばかりいては、面白いサッカーは生まれない。
 4点目。与那城がドリブルで正面に突っ込み、他の選手も正面に殺到して、読売クラブお家芸の中央突破かとみえた。だが、そのとき、ラモスは意外にも右サイドへ出ていた。中央突破をめざしているようにしかみえなかった与那城は、意外にも、ラモスを見ていて、外にボールを出した。ラモスはペナルティーエリアの外から、これまた意外なミドルシュート。意外なプレーが、次つぎに出てくるサッカーは面白い。
 そういうわけで、日本リーグの試合には、なかなか面白いものがある。見に行く価値は十分ある。「試合がつまらないから、お客さんが集まらない」というのは、必ずしも正しくない。お客さんが、外国のサッカーに比べて少ない原因は、ほかにある。どうしたら、お客が集まるかは、それぞれのチームが、自分で工夫すべきである。
 とはいえ、すべてのチームが日産タイプだったり、読売クラブタイプだったりしては面白くない。チームによって個性が違うから面白い。
 だから、単独チーム(クラブ)により多くの自由を与えるべきである。


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