長沼体制の功績
財政再建と登録制度の改革を正しい考え方で実行した
日本サッカー協会の実務を取り仕切っているのは“ケンさん”こと長沼健専務理事である。秀才で、かつての名選手で、調整役として労を惜しまない人だ。
ケンさんが専務理事になったのは1976年である。モントリオール・オリンピックの年だったので、よく覚えている。協会の長沼体制はすでに、8年続いたことになる。
こ8年間の長沼体制は、いろいろ、いい仕事をした。
その第一は、協会の赤字財政の建て直しだ。
そのころのサッカー協会は、身分不相応に仕事をしては赤字をため、国際試合で一発あてて埋め合わせるしかない状態だった。「モントリオール・オリンピックの優勝チームを招いて国際試合をやって赤字を埋めよう」と考えた実力者がいて、ぼくは「それは、ちょっと無理だなあ」と思った記憶がある。
長沼体制の最初の仕事は、この赤字財政の解消だった。ぼくの記憶が正しければ、確か、翌年の「ペレ・サヨナラゲーム・イン・ジャパン」が大当たりして、それまでの赤字は一応、解消できたのではないか。
しかし、一発興行が当たって、積み重なった赤字を埋めただけなら、ぼくは評価しない。これは、過去にやってきたことの繰り返しである。
ぼくが評価したいのは、長沼専務理事が、地道な考え方で、別の対策を立てたことである。
そのうちの一つは、競技者の個人登録制を採用して、おとなのチームには、選手1人について一定の登録料を納めさせることにした英断だ。これは集まる金額の多少よりも「自分たちのことは、自分たちでまかなう」という考えに立っている点で正しいと思う。
よく「協会はなにもやってくれない」という不平不満を耳にするが、サッカー協会は、全国のサッカーをやっている人たちが集まって作っているものである。両親に育ててもらって、おこづかいまでもらうような気でいるのは、おかしい。協会の運営にかかる費用くらいは、協会を構成している仲間で出し合うのが本当である。
もう一つの手は「日本サッカー後援会」だ。これは、企業の援助を集めることと、現在はすでに現役選手でないOBが、後輩を助けるためにお金を出し合うことに、意味があると、ぼくは考えた。こっちの方は、残念ながら、その趣旨のようには運営されていないようで、現在のあり方には、ぼくは疑問を感じているけれど、最初の考え方はよかったと思う。
そのほか、少年サッカー大会に企業の援助がついたり、高校選手権の首都圈開催が成功したり、トヨタ・カップの企画が持ち込まれたりして、それぞれ財政再建に役立った。これらは、前任者がタネをまいたのを収穫したようなところもあるが、収穫する能力があったのはいい。
長沼体制の功績として、もう一つ
「チーム登録の種別」を、年齢別に改正したことを、あげておきたい。
それまで「社会人」「大学」など身分別になっていたのを改めたもので、これが選手権の体系とまだ完全には結びついていないのを不満とする声もあるが、長い目でみれば、日本のサッカーを変える非常に重要な改革だったと、ぼくは考えている。
というようなことで、長沼体制の8年間には、いろいろ「功」があった。「罪」もないわけではないが、ここには触れない。
まだ、評価が定まらないのは、日本代表チームの強化で、これは今度のロサンゼル・オリンピック予選が正念場である。
クーバーさんの再来日
多くの人たちの協力で実現したキリン・クリニック!
オランダのフェイェノールトの名監督だったウイール・クーバーさんが日本に来て、3月中旬から約1カ月間にわたって、東京、静岡、名古屋、松山 大阪の各地で「キリン・サッカークリニック」を指導することになった。
クーバーさんについては、前にも紹介したことがある。元プロの名監督だが、病気をしている間に、若い選手を育てるための指導法を研究開発し、いまヨーロッパで高い評価を得ている。クーバーさんの書いた「理想のサッカー選手を育てるためのトレーニングプラン」という本を、いま、ぼくと、日本代表選手の加藤久君とで手分けして、せっせと翻訳中だ。「攻撃サッカー、技術と戦術」という日本語版のタイトルで、夏休み前には出したいと思っている。
さて、昨年の12月に、トヨタ・カップを見に、クーバーさんが来日したとき、ぼくがお世話をして、日本サッカー協会の公認コーチたちに、指導ぶりを見てもらった。帝京高と筑波大のコーチもしてもらった。このときは、ぼく自身も、いささかの金銭的犠牲を払ったが、帝京高の関係者にも、お世話になった。その後、帝京高が高校選手権で優勝したのは、別にクーバーさんのおかげではないが、クーバーさんの指導が大会直前のチームの仕上げの邪魔にはならなかったようなので、大いに安心して帝京の優勝を心から喜んでいる。
ここに、帝京高の皆さんに、改めて感謝の意を表しておきたい。
そのときに、クーバーさんに、もう一度、日本に来てもらって、本格的にコーチング・コースをやってもらいたい、と考えた。クーバーさん自身は、日本が非常に気に入って、自分自身のスケジュールが許せば、お金はそんなに必要ないから、できれば2カ月くらいの長期の講習をやりたい、といっていた。
結局、クーバーさんの方の日程もつまっていたし、日本サッカー協会の方でも、1カ所で長期のコースでは、参加者の都合がつかない、ということで、1カ月足らずの期間に、各地で少しづつ指導してもらうことになった。
それにしても、オランダからわざわざ来て、1カ月もやってもらうのでは「いささかの金銭的犠牲」ではすまない。なんとかしたい、と思っていたところ、ジャパンカップ・キリンワールド・サッカーに協力している「キリン」が、助けてくれて、やっと実現することになった。これにも、心から感謝している。今後はビールは「キリン」しか飲まないつもりである。
こうして、いろいろな方たちの協力で実現したクーバー氏招待だから各地の指導者の方たちが、その内容を充分に理解して、役に立てていただきたいと、願っている。
ロス予選への期待
今度は期待できる。シンガポールヘ、行きたいなあ!
「シンガポールに行かないのか」と友人がきく。もとより、日本代表がロサンゼルス行きをかけるオリンピック予選の取材である。
「行きたい、行きたい、今度ばかりは絶対、行きたい」という気持だね、まったく。だけど、ぼく自身が出かけるわけにはいきそうもないのは残念だ。
「日本は勝てるのかね」と友人。
ぼくの見方は、こうである。
日本のファンが期待するほど、見通しは、明るくない。なぜなら、情報によると、タイのナショナルチームは最近非常に良くなっているというし、カタールが選手強化にお金をかけているのは、あきれるほどだという。相手は弱くないのである。それに暑さは、日本チームにとって、きびしいだろう(ホームアンドアウェーでやるべきだよ)。
一方、そういう情報に詳しい外国の専門家が思うほど、見通しは暗くない。なぜなら、日本代表チームの強化は、いい方向を向いているからである。つまり、日本は結構、強いはずである。
「そうかねえ。碓井をあわてて戻したうえに、松木を急に加えたりして、森監督は、ばたばたしてるんじゃないのか」
と友人は皮肉っぽい。
読売クラブの松木安太郎君は、ずっとずっと前に、二宮監督がナショナルチームに加えたがっていたことがある。つまらないことにこだわって、そのときは、うまくいかなかったが、ほんとは、もっと早くから日本代表にしてよかった選手である。
日立の碓井博行君は、もともと日本代表だったが、森監督になって構想からはずれた。当時の時点では、当然だったと思う。なにしろ「大器晩成せず」という感じだったのだから。しかし1980年に日本リーグ得点王になった時点で、考え直してみる手はあった。とにかく、点をとるのは、一つの才能である。
碓井君、松木君がシンガポールに行くかどうか、行って役に立つかどうかは、この原稿を書いている時点ではわからない。わからないが、遅まきながら2人を加えたのは、いいことだったと思う。「あやまちを改むるに、はばかることなかれ」だ。
今度の日本チームは、守りはかなりやれると思う。ただ、外国のチームには、得意ワザを持った一発屋がいる。情報収集を怠らず、一発封じの対策を練っておいてもらいたい。
攻めの方は、木村−金田の日産コンビが軸だろう。日本の方には、一発屋がいない。それが弱点だが、森監督は、ちゃんと手を考えているだろう。でも、いまからあれこれ論じて手の内を見せることはない。
ともあれ、これまでの大会の中では、今回がもっとも期待を持てると、ぼくは考えている。だから「行きたいなあ!」
|