中国の全運会を見て
勝負を決めるのは、特徴のある個人的な切り札である
上海で開かれた中国の第5回全国運動会(全運会)を見に行った。
中国の国民体育大会といってもいいが、全運会は4年に1度、参加できるのは、かなり高いレベルの予選基準を超えたトップクラスばかり。毎年開かれる日本の国体とは、内容もかなり違う。つまり、中国の全運会の方が、日本の国体よりずっとレベルが高い。
今回は来年のロサンゼルスを目標に、五輪競技種目を主として25競技が行われた。サッカーも、もちろんはいっている。
残念ながら、サッカーは1試合しか見に行くことができなかった。一人旅の個人旅行だったら、サッカーばかり見に行くんだけれど、今回は中国スポーツ記者協会の招待で、仲間といっしょに総勢5人で出掛け、ぼくが“団長”ということになっていたので、そう勝手なことはできない。
しかし、ぼくが見に行った試合は非常にすばらしいものだった。昨年の中国チャンピオンの北京と、地元上海のベスト4進出をかけた対戦である。
午後7時からのナイターで、場所は虹口体育場。昼間、陸上競技を見に行ったときは七分程度の入りだったが、夜のサッカーは超満員である。定員3万ということだが、4万人ははいっているようだった。やはり、中国でもサッカーが人気ナンバーワンのようだ。
北京のサッカーの特徴は「速度快」つまり、スピードである。パスをすばやく回して優勢だった。前半11分に先取点。地元の観衆はシュンとなった。
上海は個人の足わざに頼りがちだったが、30分に、その足わざで同点ゴールをあげた。李中華という小柄だが足の速いウイングが、3人抜きを演じてシュートした。ドリブルで突っかけ、相手が寄ってきたら急に加速して抜く。抜いたら少しスピードを落とし、次の相手が寄るのを誘っておいて、また急に加速する。これをたて続けに繰り返し、3人目を抜いたところで、間髪を入れずにシュートした。
後半立ち上がりに、北京が得点して、またリード。上海もすぐ追いつく。後半なかばに北京が三たびリード。これで勝負あったかと思われたが、上海は終了寸前に同点にし、延長戦でついに逆転勝ちした。
この試合を見てのぼくの感想は、力にそう差がなければ、特徴のある個人的な切り札のいる方が勝つ、ということである。
いいチームワークで攻めても、ゴール前で、個人的な切れ味の鋭さがないと勝てない。李中華のような個人技の鋭い選手は、きびしくマークされていても、90分の間に、1度か2度は、一瞬のすきを見つけて、チャンスをものにする。
日本に帰って、オリンピック予選の日本−ニュージーランド第2戦を見て、同じことを感じた。
日本は、技術的にも、精神的にもニュージーランドに負けていなかった。
しかし勝負は一瞬である。後半の立ち上がり、サムナーがゴールを背にして胸で落とし、振り返りざまの一発。日本は、充分に警戒していたはずの相手のエースに、やられたのだった。
日本代表にがっくり
台湾をみくびって苦戦したのは、大きなマイナスだ!
中国に旅行していたので、オリンピック予選の日本−台湾の試合は見ることができなかった。上海のホテルの売店で「チャイナ・デイリー」という外国人向けの英字新聞で、結果を知っただけである。
「チャイナ・タイペイ(中国台北)と日本は第2戦、1対1で引き分けた。第1戦は2対0で日本が勝っている」というだけの、ごく短い英文の記事を読んで、ぼくはがっくりときたね。
勝敗は時の運、サッカーのボールはまるくて、どっちの方にも転がる。だから、引き分けだろうが、負けようが、結果にはびっくりしない。
だけど、中国に行く前に聞いた話では、日本サッカー協会の技術畑の役員は「台湾のサッカーは、本当のところ日本の高校選抜程度の力だ」と言っていた。日本代表チームは、高校生チームと引き分ける程度の力なんだろうか。そんなはずは、ないだろう。
ぼくが、がっくりきたのは、日本サッカー協会の情報収集能力と分析能力の甘さである。
10月号のこのページで「五輪予選は油断大敵」であると、ぼくは書いた。フィリピンと台湾(中国台北)は、日本よりは格下だとは思うが、「小敵といえども侮らず」、相手についての情報収集などの努力を怠らないで欲しい、と書いた。
それだのに「相手は高校チーム程度」と軽くみて(実際にそうだとしても、こういうことを公言しちゃいけない)、しかも結果が引き分けとはね。とくに(日本へ帰ってから知ったことだが)相手の地元での試合で先取点をとられているのは、いただけない。相手の地元では、慎重にしっかり守る心構えが必要なはずである。
試合を見たわけじゃないので、相手の力が予想より上だったのか、それとも本当に高校レベル程度の相手だったのに攻め損ったのかはわからない。だから、これ以上のことは言えないが、今回のオリンピック1次予選の日本代表チームへの評価は、これだけでも、大きく減点しなければならないと、ぼくは思う。
日本へ帰ってから、ニュージーランドとの最終戦を見たが、この試合での日本代表の戦いぶりからは、台湾に苦戦した理由は見つけられなかった。日本の選手たちは、闘志にあふれ、相手の汚い反則にも、あまり挑発されずに、自分たちの技術とチームプレーを発揮しようとしていた。
ただ、戦法として、ゴール前への高いボールで、しきりに勝負しようとしていたのは、どういうわけだろうか。ニュージーランドの選手は、明らかに日本の選手より背が高く、ヘディングでほとんど勝っていた。日本が最前線に立てた原はきびしくマークされていた。
フィリピンや台湾への攻めとして原のヘディングを生かすことを練習し、それをそのまま、ニュージーランドとの試合でもやったのだとすれば、融通がきかなすぎる。
その原のヘディングを生かす攻めが、台湾戦でも実っていなかったのだとすれば、これは戦略上の大きなミスだったのではないか。
サッカーの縁で
中国を旅行して至るところでサッカー好きに会った
今回の中国旅行では、いろいろ面白い経験をした。その中から一つを紹介しよう。
上海の全運会(中国の体育大会)の前に、万里副首相の出席した大きな宴会があった。そのとき、ぼくの隣のテーブルにいた品のいい老紳士が、日本人以上にみごとな日本語で話しかけてきた。
「私は、若いころ日本の学校で勉強をしました。陸上競技の織田幹雄さんをよく知っています」。
交換した名刺を、じっと眺めてから、その老紳士は、こう付け加えた。
「ほう。私は、あなたのことも知っていますよ。日本の雑誌であなたの記事を読んで、中国語に翻訳したこともあります」
「そうですか。サッカーの雑誌でしょうか」
「そうです。サッカーマガジンにあなたが書いたスペインのワールドカップの戦術についての記事を翻訳しました」
この紳士は、上海体育科学研究所研究員で、外国のスポーツ資料の中から、中国の体育関係者に役立ちそうなものを拾い出して、中国語に翻訳する仕事もしている。たまたま、ぼくがサッカーマガジンに書いた記事も、目にとまったらしい。翻訳された記事は、公刊されるわけではなく、指導者たちに内部資料として配布される(こういう情報収拾活動で、日本のスポーツ界は随分、遅れをとっているようだ)。
外国でぼくの記事が読まれていることを知って、はなはだ光栄に思ったし、思わぬ知己を得て、とても嬉しかった。
実を言うと、ぼくの方も、名刺を交換したとき「林朝権」という名前を見て「おや、これは!」と思っていた。
戦前に、いまの日本体育大学でサッカーをやっていた台湾出身の中国人がいて、神戸フットボールクラブが、毎年春に、OBチームや少年チー厶を上海に送っているが、その方に、非常に世話になっている、という話を、前に、神戸FCの創設者である加藤正信氏から聞いたことがあり、その人の名前が、たしか、「林朝権」だったと、思い出したからである.
しかし、その場では、話題が別の方に移ってしまったので、ぼくが林朝権さんの名前を知っていたことも、加藤正信氏に親しくしていただいていることも、伝えることができなかった。
日本に帰ってから加藤氏には、上海で林朝権さんに会ったことを伝えた。神戸FCは来年も上海にチームを送るそうだ。
さて、中国滞在中に無錫という町に行く機会があった。太湖のほとりの美しい町である。
その町の体育委員会の役員が、ぼくがサッカー好きであることを知って、こう話した。
「私もサッカーの選手でね。昨年は“元老隊”のメンバーで、日本から来たチームと試合をしましたよ」
そして、ぼくのノートに「加藤正信」と、日本チームの責任者の名前を書いてくれた。
これは、奇縁といえば奇縁である。
しかし、サッカーというスポーツの国際性を示し、また日中スポーツ交流に努力している人たちの功績をあらわすものだと、ぼくは思う。 |