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サッカーマガジン 1983年8月号

ビバ!! サッカー!! ワイド版

諸悪の根源は一体どこに
日本サッカー協会の選手強化政策に誤り!?

ジャパン・カップを見て
日本代表はふがいなかったけど楽しい収穫もあった!

 ことしのジャパン・カップ・キリンワールドサッカーは、なかなか面白かった――てなことをいうと、また、例の友人に叱られるかもしれない。
 「日本代表チームが、ひどい試合をして、びりになって楽しいのか。お前には、胸に日の丸をつけたチームへの愛情がないのか!」
 なーんてね。
 なに、ぼくだって日本代表チームを応援はしてる。だけど、ナショナリズムに目がくらんで、面白いものを見落とすほど、きもっ玉が小さくはない。
 さて、ことしのジャパン・カップのどこが面白かったか。
 一つは、ご存じ、ヤマハの健闘である。  
 ブラジルのボタフォーゴを、あわやというところまで追いつめ、日本代表とも引き分けた。このヤマハの秘密はなんだったか。
 「それは、ヤマハがよく動き、よく走ったことである」
 てなこというと「サッカーの原点は走ることである」と十年一日のように唱えている連中を喜ばせるかもしれないが、そうじゃない。
 「よく動き、よく走った」のは本当だが、ここで「よく」というのは、「量」のことでなく「質」のことである。つまり、たくさん動いただけでなく、動き方が「よい」ということなんだよね。
 ボタフォーゴとの試合では例のオフサイドトラップを、みごとに成功させていた。ブラジルの若いプロフェッショナルたちは「こりゃ、いかんぞ」とびっくりしたふうだった。こういう守り方を、ヤマハがどうやって身につけたかは、前に書いた(7月号)通りである。
 攻めでは、フリーキックから先制点をあげた。左サイド後方からのフリーキックを内山篤がけり、ニアポストのヘライナーで飛んだ。吉田光範がゴールキーパーの前へ走り出てヘディング。飛び出しかけたゴールキーパーの頭越しにシュートを決めた。
 これを見て、ぼくは1974年のワールドカップのときのオランダが後方のフリーキックから得点した場面を思い出した。
 オランダ人のコーチから当時きいた話では、リヌス・ミケルス監督は、はるか後方からのフリーキックにも、パターンを作って、繰り返し練習させたということだった。
 それと同じように、内山篤−吉田のゴールも、同じ形を繰り返し練習した成果のようである。
 もう一つの収穫は、最終日のニューキャッスル・ユナイテッドとボタフォーゴの試合である。
 ニューキャッスルは、2部リーグのチームであり、ボタフォーゴは若手の多いメンバーで、どちらも超一流のチームとは言えない。
 しかし、ともに技術があり、鋭く走り、特徴を生かして、よく動いた。日本で見た外国チーム同士の対戦としては、近来にない見ごたえのある好ゲームだった。
 それにケビン・キーガン。うわさに聞いていた以上にすばらしい。
 日本代表のふがいなさについては――。日本リーグが終わって間がなかったし、尾崎事件などもあって条件が整わなかった。秋までには、森監督がぴしっと立て直してくれるだろう――と思いたい。

“尾崎問題”の背景
尾崎は悪くない。協会の中央集権的強化主義が悪い!

 「尾崎問題をどう思うかね?」と友人がきく。
 ぼくに言わせれば、諸悪の根源は、日本サッカー協会の選手強化政策の誤りにある。
 「へえ、どうして?」と友人。
 「あれは尾崎が、ジャパン・カップをすっぽかして、プロになりたいために西ドイツに行ったんだろ。尾崎が悪いんじゃないのか?」
 まあ、協会や三菱側が話したことを、うのみにすると、そういう印象になりかねない。尾崎ひとりを悪者にして――という感じである。でも、真相はしだいにファンの皆さんにもわかるだろう。いつまでも、ごまかしで通せることではない。
 西ドイツのアルミニア・ビーレフェルトから「移籍したいのなら、来てプレーを見せて欲しい」と言ってきた。ところが、その期間に、日本ではジャパン・カップがある。さあ、どうするか――ということだったのだろうと思う。
 尾崎君が「プロになりたいから西ドイツへ行って、プレーを見てもらってくる。ついては、ジャパン・カップは欠場させてもらいたい」と、堂々と願い出て、三菱と協会が認めてやれば、なんでもなかった。そして公明正大に発表すればそれでよかった。
 そうすればよかったのに――と、ぼくは思っている。
 ところが、である。
 そうはできない理由が、日本サッカー協会の方にあった。
 それは、オリンピック至上主義、選手強化絶対主義の建て前である。
 「ロサンゼルス・オリンピックをめざして日本代表チームを強くするのを最優先課題とする。そのためには、各チーム(クラブ)と選手は、なにをおいても、協会の代表チーム強化策に全面的に協力してもらいたい」――これが協会の方針である。
 そういう大方針があるから、尾崎君が「日本代表を辞退し、ジャパン・カップを欠場します」と届け出たとしても、協会は受け入れることができない。三菱の方も、表向き協会の方針にタテつくことはしにくい。
 そういうわけで、尾崎君は、「ケガ」を理由に欠場し「独断」で西ドイツに行った――ということになったわけである。もちろん、ぼくは、そんな説明をうのみにするほど素直ではない。
 たとえていえば、こういうことではないか。
 日本のサッカーも、だんだん成長してきて、プロに誘われる選手が出るほど大きくなった。ところが協会は、子供に着せるような「オリンピック至上中央集権的強化主義」の洋服を無理に着せている。
 大きくなった子供に小さな服を着せているから、ほころびはじめたのに、前のボタンはかけたまま、背中を破ってごまかそうとした。背中の破れは見えないだろう、と考えていたのだとすれば、お粗末である。

尾崎問題とロス対策
オリンピックにプロは出られないことは明確。しかし

 尾崎加寿夫君の西ドイツ行きの問題を、別の角度から見てみよう。
 日本サッカー協会は、「オリンピックをめざすためには、尾崎君が西ドイツへ行っては困る」と考えた。
 なぜ困るのか。
 理由は二通り。考えられる。
  @プロになると、オリンピックには出られない。
  A西ドイツへ行くと、日本代表チームの合宿や遠征に参加できない。
  オリンピックの参加資格とサッカーのプロの問題については、新聞にいろいろ混乱した情報が報道されているが、プロとして登録された選手が、来年のロサンゼルス・オリンピックに出場できないことは、はっきりしている。(この話は、別の機会に改めて書くことにしたい)
 プロになれば、オリンピックに出られないことが明確であれば、尾崎君が西ドイツに行ってプロになると日本のロス対策が狂ってくるのは当たり前である。したがって、協会が困る理由としては、これだけで充分でAの方は「関係ない」と思われるかもしれないが、そうではない。
 というのは、尾崎君が西ドイツへ行って「アルミニア・ビーレフェルト」にはいっても、必ずしも「プロ」として登録しなければならないわけではないからである。
 「アルミニア・ビーレフェルト」の属しているブンデスリーガ(西ドイツ連邦リーグ)の1部でプレーしている選手は、大部分がプロだが、中には、若い選手で「アマチュア」として登録しながら、1軍で立派に活躍している者もいる。そういう選手が、欧州のオリンピック予選にも出ている。
 そういうわけだから、尾崎君が西ドイツのブンデスリーガに行ったとしても「アマチュア」として登録することができれば、オリンピックに出る資格は残る。
 「そんなこと言っても、尾崎はプロになりたいんだから、アマチュア登録では仕方がない。第一、お金をもらわなければ生活できない」と反論されるかもしれない。
 そこは、やりようである。
 プロとしての給料はもらわなくても、練習や試合のために必要な経費をもらうことはできる。
 それに「サッカー・マガジン」の西ドイツ駐在通信員になって、プレーのかたわら原稿を送れば、生活費ぐらいは稼げるに違いない。(編集長殿、そういうことになったら雇ってやって下さい)
 しかも、これはロサンゼルス・オリンピックが終わるまでのことである。オリンピックが終わったら、プロとして契約して、それまでに働いた分も払ってもらったらいい。
 「そんなの、いんちきだ」と正論をぶつ人には、こう申し上げたい。
 「それじゃ、オリンピックに出ている他のスポーツの選手たちは、完全なアマチュアですか?」
 ぼくに言わせれば、オリンピックのアマチュアリズムそのものが、どだい「いんちき」である。
 そうなってくるとAの方が問題になってくる。
 この原稿を書いている時点では、日本サッカー協会も、同じようなことを考えているらしい。西ドイツの国内規則で支障がなく、ビーレフェルトと尾崎本人が納得すれば、この方法も不可能ではない。
 しかし、9月の1次予選はともかく、来年2月の2次予選の前に、長期にわたって、日本代表に戻してもらえるかどうか、また、それが尾崎本人にとって、また長い目で見て日本のサッカーにとってプラスになるかどうか、それは問題である。


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