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サッカーマガジン 1983年6月号

ビバ!! サッカー!! ワイド版

日本サッカーのプロ化はいつ
欧州・南米方式それとも北米方式?

プロ化への二つの道
総論賛成、各論反対が現状だ。どうすれば良いのか?

 ブラボー!
 わが「ビバ!! サッカー」が、今月号から2ページワイド版になった。うれしいね。緊張するね。読者の皆さん、どうか、ぼくの記事についてのご意見を、どしどし、お寄せください。悪口だって何だって構いやしない。反響がないと、また1ページに縮小されそうな気がする(悪い予感だ)。
 さて、ワイド化を自分で勝手に記念して、これから毎号、一項目は日本のサッカーのプロ化問題を取り上げてみたい、と考えている。
 そこでまず今回は“序論”から始めたい(どうも肩に力がはいるな)。
 えへん、そもそも――
 日本のサッカーのプロ化には、大まかに言って二つの道がある。
 一つを「欧州方式」と名づけよう。
 これは、欧州や南米のサッカー先進国でやっているように、一つのクラブ(チーム)の中に、プロもアマも含める方式である。
 これを日本に当てはめれば、プロチームやプロリーグを新たに結成する必要はない。協会が、ちょっと規則を改正し(他の国と同じように)プロ選手の登録を認めることにすればいい。プロ(サッカーによって給料をもらって生活する人)を仲間に入れるかどうかは、協会やリーグの問題ではなくて、それぞれのチームの問題である。
 さて、プロ化へのもう一つの道は「北米方式」である。
 これは北米サッカーリーグ(NASL)がやっているもので、アマチュアサッカーとは別に、プロのクラブとリーグを組織する方式である。
 これを採用するなら、現在の「日本サッカーリーグ」(JSL)を解体して(あるいはJSLとは別に)「日本プロサッカーリーグ」を結成し、これを日本サッカー協会に認めさせる必要がある。
 さて、どっちの道がいいか――。
 「おれは欧州方式がいいと思う。世界中、ほとんどの国がやって、それで繁栄してるんだから」と、外国通の友人がいう。
 「でも、これは日本ではむつかしい問題があるよ」とぼく。
 日本リーグのメンバーは、大部分が会社チームで、選手は「社員」である。その中にプロを入れるのは、年功序列の人事体系の中に、異分子がはいり込むことになって困るのではないか。
 「そういう会社は、プロ選手を入れなければいい。入れるか入れないかは、チームの勝手だろう」
 「それはそうだけど、他のチームにプロがはいり、自分のチームははいれないとなると、試合で不利になるからな。結局、まだ時期じゃないとかなんとかいって、プロ化そのものに反対するだろうね」
 ぼくの説明を聞いて、気の短い友人は、たちまち噴慨した。
 「ふーん、そういうこともあるのか。それなら、そういうケツの穴の小さい連中とはバイバイして、別のリーグを作るほかないな」
 つまり、北米方式である。いま、日本でプロサッカーに積極的な人たちは、北米方式つまり「日本プロサッカーリーグ」結成を頭に描いているようだ。
 プロリーグが成功すれば、新聞やテレビは、そっちの方だけを取りあげて、アマチュアリーグの方は、影が薄くなるだろう。影が薄くなったら会社の援助も減るだろう。
 「そうなったら困るからやっぱり、プロ化できない会社チームは、プロリーグに反対するだろうね」
 「そうか。いまの日本サッカー協会の首脳部は、企業チーム出身だからな。やっぱりプロサッカー反対なんだろうな」
 友人はたちまち悲観的になった。
 ぼくの見るところ、いま日本でプロサッカーに反対の人は少ない。世界各国のサッカーが、プロによって繁栄しているのを、みな知っているからである。だから、日本のサッカーにプロフェッショナリズムを導入することに、原則として賛成する。
 しかし、「いつ、どういう方法で」ということになると、たちまち議論は分かれてくる。
 プロ化によって不利になるチームが多いのだから「いますぐ」といわれれば反対するし「プロリーグを作るぞ」といえば反対する。つまり、総論賛成、各論反対である。中曽根さんの行政改革みたいなもんである。
 読者の皆さんは、どうお考えだろうか。

クラーマーさん招待案
日本サッカーの恩人を招いてプロ化への意見を聞こう

 1年以上前の話だけれど、西ドイツのデットマール・クラーマーさんを、日本代表チームの監督に招こうという案が出ていたことがある。
 クラーマーさんのことは、若い読者の方も、ご存知だと思う。 1964年の東京オリンピックの前に日本に招かれて、日本のサッカーをすっかり作り直した人である。1968年のメキシコ・オリンピックで、杉山、釜本の日本代表チームが銅メダルをとったのは、クラーマーさんのおかげだった。
 1年あまり前に、そのクラーマーさんを再び日本に招こうという話が持ち上がったのは、そのころ西ドイツに留学していた日本サッカー協会強化本部員の松本育夫氏を通じてのことだったらしい。
 クラーマーさん自身に「日本に、もう1度行ってみたい」という気持があり、それを松本育夫氏が取りついだという話だった。
 しかし、日本サッカー協会の首脳部はあまり乗り気でなく、返事を引き延ばしている間に、クラーマーさんはブンデスリーガ(西ドイツ連邦リーグ)1部の“バイエル・レベルクーゼン”の監督に就任、話は立ち消えになった。
 それはそれで、いいのだけれど、日本サッカー協会が、クラーマーさんを招くのに消極的だったのは、なぜだろうか。表向きの説明では、呼ぶとなると給料や飛行機賃や日本での住宅費などで年に3000万円はかかる、協会の苦しい財政ではむつかしい、ということだった。
 しかし、協会の新実力者から、ぼくが直接聞いた話では、ほんとは、そうじゃなかったらしい。
 「日本代表チームは、ロサンゼルスをめざして、森孝慈監督に任せることにしてある。任せたからには森チンにやらせようじゃないか。ここでクラさんを呼ぶのは、お目付け役をつけるようでよくない」
 と、こういうことだったという。
 なるほど、これは立派な見職である。ここは森監督一本でいくのが当然だろう。
 ところで、クラーマーさんを日本に呼ぶについては、ぼくには別のアイデアがある。
 昨年の11月ごろ、ぼくはクラーマーさんあてに手紙を書いた。
 「あなたのおかげで、日本ではサッカーが非常に盛んになった。しかし代表チームのレベルは、なかなか上がらない。ぼくは、日本にプロフェッショナリズムを取り入れる時期だと思っているが、あなたの考えはどうだろうか。年末年始のころに、東京では天皇杯の試合や高佼選手権があるので、ブンデスリーガの冬の中断期間を利用して、日本のサッカーが、その後、どうなっているかを見に来ないか。そして、あなたの考えを聞かせて欲しい」。
 クラーマーさんからは「正月に行くのは無理だ。西ドイツのシーズンが終わった6月過ぎなら行けるかも知れないが……」と返事が来た。
 そういうわけで、クラーマーさんを日本に呼ぶ計画は、協会の案も、ぼく個人の案も立ち消えになった。
 ところが、たまたま3月末に西ドイツに行ってクラーマーさんに会った人が、こんな話を伝えてきた。
 その人の話では、クラーマーさんは、高齢のお母さんが反対するので長期間外国に出ることはできないが日本には、ぜひ行ってみたいと、ぼくの招待案に乗り気だったそうだ。
 日本のサッカーの恩人を招待し、メキシコで銅メダルをとった“息子たち”に会わせ、日本のサッカーのその後の成長ぶりを診断してもらって、プロ化についての意見も聞きたい――と思うが、どうだろう。

川勝選手移籍の真相
東芝から読売クラブに移ったのは引き抜きではない!

  川勝良一君が、東芝から読売クラブに移って活躍している。中盤でボールを好きに持たせてもらって、のびのびとやっているのは、所を得た感じで、なかなかいい。
 この川勝君の移籍について東芝側が「選手引き抜きにからむ要望書」を日本サッカー協会に提出し「うちでプレーしていた選手が、年度が変わったからといってすぐよそのユニホームを着てプレーするのはおかしい」と指摘している――という記事が、3月11日付けの朝日新聞(東京版)に載っていた。
 記事を読んだだけでは東芝サッカー部が「引き抜きだ」と怒っているのか、記事を書いた記者が「引き抜きだ」と断定したのか定かでない。ただ川勝君の件に関して、東芝の大西監督が、日本リーグ2部の監督の集まりの席で噴満をぶちまけた、という話は、ぼくも耳にしていた。
 川勝君が読売クラブに移ったいきさつについては、ぼくは事情を知っている。これを「引き抜き」というのは間違っている。
 昨年の11月ごろ、「川勝君が東芝をやめるらしい。サッカーをするところがないようだから、読売クラブでやらせてやったらどうか」という話が、選手を通じて伝わってきた。
 この話を耳にして、ぼくはすぐ、読売クラブの運営をしている関係者に「他のチームに籍があるのに、声をかけたりしないように注意した方がいい」と念を押しておいた。「引き抜き」と誤解されては、いけないからである。
 川勝君は12月末で東芝を正式に退社し、サッカー部も退部した。そのうえで「読売クラブでサッカーをしたい」という意志を伝えてきた。
 読売クラブの事務局長は、交代したばかりでサッカー界の事情や規則にまだ慣れていなかった。その新事務局長が「東芝サッカー部の人が、1年くらいは、よそのチームでやるな、と言っているらしい。読売クラブに入れても、試合には当分出さないことにしたいが、どうか」と相談してきた。今度はぼくが「そんなバカな」と反対した。
 東芝ほどの大会社のチームが、すでに自分のところでは使う意思のない選手について、とやかく言うはずはないし、そんなことを言う権利もない。1人の人間がスポーツをする権利を、筋の通らない理由で奪うことは、1日だって許されない。
 「でもまあ、しこりを残すのは良くないから、東芝のサッカー部の責任者に会って事情を話し、東芝が来シーズン、川勝君を自分のチームの選手として登録するつもりがあるのかどうか確認してきてはどうですか」
 とぼくは助言した。
 新事務局長は、あいさつに行って、東芝サッカー部では、すでに川勝君の退社、退部を、ともに認めていることを確認してきた。
 それでもなお、慎重を期して、新年度の登録のときに、読売クラブは川勝君をはずし、東芝の登録に含まれていないことを確かめたうえで追加登録している。以上が、ぼくの知っている真相である。
 川勝君が、なぜ東芝をやめたのかは、ぼくは知らない。会社勤めに向かない性格で、デザイナーのような仕事に転職したいから――と伝えられているが、これは職業選択の自由の問題で、サッカーとは関係ない。
 ともあれ、川勝君のケースは「引き抜き」ではない。「1年間は他のチームのユニホームを着せるな」などと言う人がいたとすれば、理屈に合わない感情論以外の何物でもない。


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