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サッカーマガジン 1983年2月号

ビバ!! サッカー!! ワイド版

サッカー界この1年
1982年の日本サッカー大賞は?

アジア大会で日本健闘
韓国に外地で初白星。実質的に銀か銅の価値はあるが
 ジャジャーン!
 皆さま、お待ち兼ね、ビバ!! サッカー恒例の「日本サッカー大賞」の発表でありまーす!
 わが「日本サッカー大賞」は、風見ドリ内閣とは違って、いかなる外部の力にも影響されず、某国のサッカー協会とは違って、いかなる古い考えにもとらわれず、その代わり賞金も表彰状も出さず、自由奔放に独断と偏見をもって選考致します。頼みはただサッカー・マガジン愛読者大衆の支持あるのみでありまーす。
 しかもです。
 今回は、編集長に圧力を加え、ビバ!! サッカー!! をとくにワイド版にすることに成功したのでありまーす。
 そこで、この2ページをフルに活用して、サッカー界この1年をふり返りながら、賞の大盤振る舞いをしたいと思うので、ありまーす!!
 「なーんて、かっこいいこと言っちゃって、日本のサッカーに、大賞に値するような、いいことがあったかよ」
 と意地の悪い友人。
 「ニューデリーのアジア大会の日本代表チームは良かったよ。韓国とイランに勝ったしね」
 と人の良い友人。
 「よろしい。それではアジア大会での日本代表チームから検討してみよう」
 とぼく。
 韓国とイランに勝ったのは、確かに予想以上のできだった。とくに日本のサッカーが、外国の地で韓国に勝ったのは史上初めてということで試合内容は知らず結果は、悪くない。
 それに準々決勝では、イラクと延長戦のすえ、1点差の惜敗だった。
 そのイラクが結局は優勝したのだから、日本の成績は、実質的に銀メダル、あるいは銅メダルの内容と言っていい。
 「じゃあ、決まりだ。大賞はアジア大会の日本代表チームにやろう」
 と人の良い友人。
 「だけど、ほんとにメダルを持って帰らなきゃ話にならないね。実質的にはとか、内容的にはとかいうのは聞きあきたぜ」
 と意地の悪い友人。
 「そう、その通り」
 とぼく。
 アジア大会の日本代表チームの活躍ぶりは悪くはなかった。だが、一つ二つ勝ったからって表彰するほどわが日本サッカー大賞は甘くない。
 それに、かりに金メダルを持って帰ったとしても、ほかによほどのことがないかぎり、大賞をやるわけにはいかない。
 なぜなら、かりに優勝したとしても、優勝したことは金メダルによって、すでに報われているからだ。
 その上にさらに大賞をやるのは、わがユニークな日本サッカー大賞の趣旨にもとるではないか。まして現実には、目標の銅メダルも持って帰らなかったではないか。

森孝慈監督に技能賞を
ゾーンか、マンツーマンか、アジア大会で冴えた手腕!
 「それでは今回は該当者なしかなあ」
 と人の良い友人。
 「いやいや、せっかくのワイド版だ。監督の森チンに、とくに技能賞を贈りたいと思う」
 とぼく。
 「汗水たらして働いた兵隊は見捨てて、ベンチに坐っていた大将に賞をやるのか」
 と口の悪い友人。
 まあ、そう言うな。きびしいばかりが能ではない。
 なぜ、森孝慈監督に独断と偏見による技能賞を贈りたいか。
 その理由の一つに次のようなことがある。
 森監督は、昨年夏のヨーロッパ遠征のときから。日本代表チーム守備ラインは、ゾーンディフェンスを基本としてきた。
 ところが、アジア大会から帰国しての報告会の話では、ニューデリーでの対韓国戦からは、マンツーマンを基本に切り換えたということである。
 この話を聞いて、
 「ああ、やっぱりマンツーマンの方が、ゾーンディフェンスよりすぐれているんだな。森監督はやっと自分の誤りに気がついたのだな」
 と思う人がいるのではないか、いや実際にいたようなのである。
 そういうふうに受けとったとしたら、それはまったくの間違いで、現代のサッカー戦術理論への無知をさらけ出すようなものである。
 この点については、ぼくがいろいろ言うよりも、サッカー・マガジンのこの号に、日本代表選手の加藤久君が書いている文章を読んでもらった方が早い。
 それはさておき、むつかしい理屈は抜きにして、森監督が1年有余にわたってゾーンをやらせ、アジア大会の正念場でマンツーマンに切り換えたのは、監督として実にあざやかな手腕である、テクニックである、技能賞ものである、とぼくは思うわけである。
 これは、一つの例である。
 同じくアジア大会の韓国戦で、センターフォワードに、尾崎に代えて原を入れ、ウイングに風間を起用している。これも適切な戦略だった。
 だいたい、日本代表のメンバーの選び方にしてからが、就任以来、技能賞ものである。
 「うん、そうだ。最後になって岡田を入れたのはよかった。韓国戦の岡田のシュートは見事だった」
 と口の悪い友人。
 岡田がはいったのは、前田のけがによるもので、これは“けがの功名”だった。

殊勲賞は該当者なし
リエカ優勝のユース代表を推薦するなんて、ダサイよ
 「技能賞があるからには殊勲賞と敢闘賞もあるんだろうね」
 と人の良い友人。
 「殊勲賞に該当者がいるとは思えんね。そんな目ぼしい成績はなかったぜ」
 と口の悪い友人。
 実は、日本サッカー協会は、読売新聞社制定の日本スポーツ賞のサッカー部門に、6月のリエカ国際大会で優勝した日本ユース代表チームを推薦した。
 しかし、これを殊勲賞というのはいささか苦しい。
 リエカ国際大会は、ユーゴスラビアの一つのクラブの主催する招待大会に過ぎない。それに優勝したくらいが、たいしたこととは思われない。
 さらに、日本ユース代表チームは本番のアジア・ユース大会(8月・シンガポール)で、朝鮮民主主義人民共和国チームに5対0の屈辱的大敗を喫している。
 「そんなチームに殊勲賞なんて論外だ。殊勲賞は該当なし」
 と口の悪い友人は、問題外だと退けた。  
 「万難を排して、自費でスペインのワールドカップを見に行った日本の観戦旅行団にどうか」
 とぼく。
 これには、スペインヘ行けなかった2人の友人が、口をそろえて反対した。
 「行って楽しんで来たヤツらに賞なんか出すことはないぞ!」
 ついでながら、この1年をかえりみると、6、7月にスペインで開かれたワールドカップが、もちろん最大の出来事だった。
 イタリアを優勝に導いたベアルツォット監督の勝負師ぶりはグランプリものだし、パオロ・ロッシの活躍は殊勲賞ものだった。ブラジルチームには技能賞をやりたいし、ホンジュラスには敢闘賞をやりたい。 
 しかし、わがサッカー大賞は、日本のサッカー振興のためなので選考大賞は国内に限られている。
 「そういえば、ワールドカップを日本ヘテレピ中継したNHKには、9月号で敢闘賞を出していたね」
 と人の良い友人。
 そう。敢闘賞は、すでに決定ずみである。
 「4年前のワールドカップのときは.NHKにグランプリだったが、今回は敢闘賞にとどめた。その理由はわかってるぞ。それは……」
 ぼくは、あわてて、口の悪い友人の発言をさえぎった。
 「わかった、わかった。今回は殊勲賞は、該当なしにしよう」

大賞は高体連サッカー部
正月の高校選手権を盛り上げた功績を、この機会に!
 そういうことをいえば、グランプリも、該当なしとするのが妥当ということになる。だが、せっかく毎年続けてきた大賞だ。奨励のためにも「該当なし」にはしたくない。
 そこでだ。埋もれたもの、目立たないものを発掘するのも、わが「日本サッカー大賞」の役目である。
 ジャジャーン!
 「1982年度の日本サッカー大賞は、コータイレンのサッカー部に決定致しまーす!」
 「なぬっ! コータイレン? そんなチーム、聞いたことないぞ」
 と口の悪い友人。
 知らないやつは、しょうがない。だが、知られないものを世間に知らせるのも、われわれの仕事だ。
 コータイレン、すなわち高体連――全国高等学校体育連盟サッカー部の略称である。
 なぜ、高体連が大賞に価するか。
 それは、2月の全国高校選手権大会を、あれほどに盛りあげた功績による。だいたい、最近の日本のサッカー界に、パッとしたニュースがあっただろうか。
 大賞候補目白押しという状況であってこそ本当だのに、三人寄って文珠の智恵も出ないようでは、どうしようもないじゃないか。
 そんな中で、正月の高校サッカーは、テレビ中継を通じて全国のお茶の間をわかせ、国立競技場にあれだけの観衆を集めて熱狂させる。これこそ、ただ一つの、日本のサッカーの希望の星ではないか。
 その希望の星の総元締めこそ、高体連サッカー部である。
 「そうはいうけど、あれは主催者に加わっている民放テレビ局の関係者の努力のおかげだそうじゃない」
 と口の悪い友人。こういう度量の狭いことではいけない。
 テレビ局は、われわれジャーナリストの身内である。身内ぼめするなんて、こっ恥かしい。縁の下の力持ちは縁の下でいい。そういう協力者全部を代表して、高体連サッカー部に大賞を差し上げたい。
 それに、高体連は、高校の先生の集まりで、先生方は正月休みを返上して大会の世話をしているのだ。これまで、大雪が降ったときなど、率先してグラウンドの除雪をしたこともあるのだ。
 「ふーん、でも、それはずっと以前のことじゃないの?」
 と人の良い友人、バカだなあ。
 この大賞は、1982年度だけの業績に限るだなんて、官僚的なことは言わないのだ。長年積み重ねた業績を、高校サッカー60年に当たったこの年に表彰したって、いいじゃないか!


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