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サッカーマガジン 1982年11月号
ビバ!! サッカー!!

狙いのあるプレー
ハンス・オフトの指導で試合ぶりが良くなったヤマハ

 静岡の草薙サッカー場に、JSLカップの準決勝と決勝を見に出かけた。この静岡県営のサッカー場は、2年がかりでスタンドを改修し、四隅照明のナイター設備をつけ、なかなか立派になった。この調子でがんばれば、日本でワールドカップを開くときには、会場になる資格ができると思うね。
 それはともかく――。
 準決勝2試合を見たあと、清水東高の監督の勝沢先生が来て「感想はいかがですか」ときく。
 「準決勝に出た4チームの中で、2部のヤマハがいちばん、いい試合ぶりでしたね」とぼく。
 「やはり、そうですか。ハンス・オフトに指導を受けた効果があったんでしょうかね」と勝沢先生。
 ぼくは、うかつにも、この夏の間にハンス・オフトが静岡に来て、ヤマハを指導したことを知らなかったので、ちょっと、びっくりした。
 ハンス・オフトは、例の望月達也君の才能に目をつけて、オランダに呼んだコーチである。
 JSLカップの準決勝で、杉山隆一監督の率いるヤマハは、釜本邦茂監督不在のヤンマーと0−0の引き分け。PK戦で退いた。釜本不在とはいえ、ヤンマーは1部リーグで前期トップのチームである。2部のヤマハが引き分けたのは、もちろん、スコアの上だけでも健闘というべきだろう。
 しかし、ぼくの印象に残ったのは試合の結果ではなく、ヤマハの試合ぶりである。
 攻めでも、守りでも、ヤマハの選手は、自分たちのやろうとしていることの“狙い”を、明らかに意識してプレーしていた。
 「そんなこと、当たり前じゃないか」という人もいるだろうが、本人は“狙い”を持ってプレーしているつもりでも、外からみると、やみくもにがんばって、やみくもに走ってやみくもにけっているようにみえるチームが多いものである。
 ヤマハは、たとえば攻めるとき、相手のバックラインとゴールキーパーの間をつくクロスパスを、中盤からねらっていた。後方からの攻め上がりが、よく、その“狙い”に呼応していた。
 守るときには、ボールを奪いにいく選手が、背後でカバーしている味方を念頭に置いて、コンビでプレーすることを意識しているように思われた。
 なにからなにまで、狙い通りにうまく、いっていたわけではない。相手があることだし、選手の力量や経験の問題もある。
 しかし“狙い”をもつことは大切である。
 これは他から聞いた話だが、ハンス・オフトは「日本代表を任せてくれたら、オリンピック予選に勝つことぐらいは、やってやる」と言ったそうだ。

プロ化論議のすりかえ
日本サッカーの改革から目をそらしている消極的発言

 日本のサッカーの“プロ化”論議が盛んである。論議されるのは、結構なことだ。
 だけど、中には、ちょっと見当違いなことを言う人がいる。いや、わざとポイントをずらせて、問題の本筋から目をそらせようと思ってるんじゃないか、と思われるような発言がある。
 たとえば、こんな発言である。
 「プロになれば、うまくなるという考えは、間違ってるんですね。それよりもまず、日本代表選手になることを、めざしてほしいと思いますね」
 こういう、ものの言い方は、もともと、日本のサッカーの組織と構造についての問題であるものを、ちょっと言い方を変えることによって、選手個人の問題にすり変えている。
 日本のサッカーにプロフェッショナリズムを導入すれば、日本のサッカーは、大きく変わるだろう。外国との関係も変わるだろうし、日本リーグの各チームの取り組み方も変わるだろう。テレビや新聞の取り上げ方も変わるだろうし、小、中学生のサッカーを見る目も変わるだろう。
 どういうふうに変わるかについてはいろいろ見方があるだろうが、ぼくの考えでは、いろんなチームが、それぞれ独自の工夫をしてレベルアップをはかるようになるし、いま、サッカーの適性があるのに野球に流れている子供たちを、サッカーに引き止めておくのにも役立つだろう。
 そういうふうに考える根拠を、ぼくは持っているが、ここでは、それが論点ではないから省略する。ぼくが。ここで言いたいのは、日本のサッカープロ化論議のポイントは、プロフェッショナリズムの導入が、日本のサッカーの組織と構造に変化を呼び起こし、それが日本のサッカー全体のレベルアップにつながるだろう、ということである。
 「そんなことにはならない」という意見の人もいるだろうが、ともかくこれが議論のポイントである。
 ところが「プロになれば、うまくなるという考えは間違っているんですねえ」という発言は、まるで次元が違う。これは、たとえば戸塚哲也という選手が、フルタイムのプロになれば技量がぐーんと伸びるかどうかを問題にし、さらに「そういう考えは心得違いですぞ」と、選手個人に訓戒を垂れているニュアンスで話されている。
 このような発言は、この1年ほどの間に、日本サッカー協会の技術畑の人、あるいは、その影響を受けた人の口から、ちょくちょく聞かれるようになった。まるで、口裏を合わせて、プロ化論議を、ごまかそうとでもするかのように――。


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