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サッカーマガジン 1982年5月号
ビバ!! サッカー!!

ハレルヤ戦の成功
日本リーグの自主運営が読売クラブを生き返らせる!

 「ハルヤ戦には、ずいぶん、お客さんが集まったね」と、友人が感心した。2月28日に、後楽園球場で行われた読売クラブ−韓国『ハレルヤ』の国際親善試合のことだ。
 「うん、思ったより多かった。後楽園球場のシャンボ・スタンドに、豆まいたように、お客はパラパラってんじゃ、さまにならないと心配してたんだけどね」とぼく。
 プロ野球の巨人の試合運営に関係している仲間に球場で会ったので、
 「お客さんは何人?」ときいたら、ざっとスタンドを見渡して「プロ野球なら2万2千人と発表するな」と言っていた。アメリカのプロ野球では、有料入場者の実数を発表するが、日本で発表される観客数は、メノコ算による概数である。したがって実際の有料入場者数とは、かなり違うことはある。ハレルヤ戦の観客数は、2万2千と発表された。
 ともあれ、プロ野球の試合運宮の専門家からみても、ハレルヤ戦の観客動員は、かなりのものだった。巨人以外のチームが東京でやるプロ野球のオープン戦より、実数でも、かなり多かったことは確かだろう。
 「これは日本リーグの自主運営と大いに関係があるんだよ」と、ぼくは友人に説明した。
 ことしから日本リーグの試合は、ホームチームが入場料収入を管理することになった。そのかわり、試合の運営は自分たち自身の手でやらなくてはならない。当たり前のことだけれど、これを自主運営と称するわけである。
 この自主運営は、スポーツクラブの組織がなかなか理解されない日本で苦労していた読売クラブを、大いに刺激することになった。企業従業員の福祉厚生を表向きの建て前にしている“会社チーム”と違って、クラブ組織のチームは、自前の財源でなければ長続きしない。
 読売クラブの場合は、新聞社やテレビ会社がバックアップしてくれているわけではあるが、それでも、毎年毎年、大金を気前よく出し続けてくれるほど、世の中、甘くないからである。
 しかし、自主運営になれば事情が違う。努力してお客さんを動員すれば収入が増えるわけである。もちろん、さし当たってすぐ黒字になる見込みはなさそうだけれど、多少なりとも収入があれば、バックアップしてくれている会社に対しても、多少は顔向けできるというものだ。
 そういうわけで、読売クラブの運営をしている関係者は大いに張り切って「国際試合でも、自主運営をやってみようじゃないか」と、ハレルヤ戦を企画、実行したわけである。
 こまかいことをいえば、これにもいろいろ問題はあるのだが、とにかく、ハレルヤ戦でかなりの観客を動員できたことは成功だった。
 この調子で、日本リーグでも、各チームが運営に努力してほしいものである。

ワールドカップを日本で
今世紀のうちに、日本でW杯を開催できないか?

 ご存じのように、ことしは6月−7月に、スペインでワールドカップがある。
 4年後の1986年は中米のコロンビアである。もっとも、これは財政的に困難があるというのでブラジルに変更になるという説もある。しかし、いまのところ、コロンビアは、返上するとは、いっていない。
 そのまた4年後、つまりいまから8年後の1990年は、どこだろうか。
 これは、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクの「ベネルクス三国」が、まとまって立候補するというウワサが有力だった。ところが、国際サッカー連盟(FIFA)のアベランジェ会長が最近、語ったところによると、これはちょっと実現性が乏しく、ソ連とユーゴスラビアとイタリアが立候補する見通しだという。イタリアはすでに、1934年に開催したことがあるので、初の社会主義国ということで、ソ連かユーゴになる可能性が強い。これは、国際政治情勢にも、よるけれども、施設や運営能力の点では、ソ連はいますぐにでも開催する力がある。
 以上のような話を英字新聞に載っていた外電で読んで「1990年のワールドカップは、日本でやれるはずだったんだがなあ」と、ぼくは、はなはだ残念な気持になった。
 いまから12年前、メキシコのワールドカップのときに、当時FIFAの会長だったイングランドのサー・スタンリー・ラウスが、これも当時日本サッカー協会の会長だった野津謙氏に「1990年の大会に、日本はぜひ立候補しなさい」と勧めてくれたことがある。
 それをメキシコで聞いて「ぜひやりたいね」といったのは、いま協会の専務理事をやっている長沼健さんと、ぼくだった。
 「大会のときには2人とも会社は定年退職になってるね」と冗談をいい合ったものだ。
 日本に帰ってから、ぼくはサッカーマガジンの誌上に「ワールドカップ日本開催」の夢を、大いに書きまくったのだけれど、健さんの方は協会の要職にあるだけに、たちまち現実に目覚めて、1974年の西ドイツ・ワールドカップのときには「21世紀にならないと、日本開催は無理だ」と弱音を吹くようになった。
 健さんが「日本開催は無理」というのは、日本代表チームのレベルがワールドカップのレベルに比べると遥かに低いからである。ワールドカップはプロレベルの大会で、アマチュアレベルの日本では、どうしようもないのは事実である。
 1970年当時、ぼくは「10年以内に日本のサッカーはプロになる」と信じていた。ところが……。ぼくが定年になるまでに、日本にプロサッカーが認められるだろうか。


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