アーカイブス・ヘッダー

 

   
サッカーマガジン 1982年3月号
ビバ!! サッカー!!

釜本邦茂君、万歳々!!
長年の貢献で日本スポーツ賞を受賞。ぼくは大満足だ

 読売新聞社制定の「日本スポーツ賞」の1981年度受賞者に、ヤンマーの釜本邦茂選手が選ばれた。万歳!! 暮れの12月27日付け読売新聞に大きく載っていたから、みなさん、もちろん、ご存じでしょうな。1月23日に東京・大手町の読売新聞社で表彰式があった。
 この「日本スポーツ賞」は、ことしで第31回になる。かなり歴史のある賞だが、サッカーが受賞したのは、今回が初めてである。
 1968年度に、メキシコ・オリンピックで銅メダルをとった日本代表チームが「オリンピック特別賞」をもらったことがあるけれども、このときは、グランプリの「日本スポーツ賞」の方は、マラソン銀メダルの君原健二選手がもらった。サッカーのメダル獲得も画期的なことではあるが、銀の方が上であるということで、大賞は君原に行き、サッカーのために「特別賞」を出したのだった。
 このとき「特別賞」でも、ぼくは大いに満足した。というのは、メキシコ・オリンピックでは、男子体操やレスリングで、日本選手が金メダルをとっているのに、マラソンとサッカーが対象になったからである。
 マラソンは日本で高く評価される種目だからともかくサッカーの場合は、その世界的な普及度、国際的な競争の激しさを考慮して“銅”に特別の価値を認めてくれたわけである。
 長年にわたって日本の新聞社で働き、プロ野球の原稿の洪水の中から何とかサッカーの記事をサルベージして“世界のスポーツ”を知ってもらおうと孤軍奮闘してきたぼくにとっては、自分の働いている新聞社の制定している賞で、サッカーが“世界のスポーツ”として認められたのは万々歳だった。
 ところで、今回の釜本邦茂選手の場合はどうか。今回も、世界的な業績がほかにあった。
 柔道の世界選手権で2種目制覇した山下泰裕選手、バドミントンの女子団体世界一を争うユーバー杯で2連勝した日本代表チームなどである。
 スポーツ界の長老を集めた日本スポーツ賞委員会では、柔道やバドミントンの世界一は、もちろん立派なものではあるが、釜本選手が37歳の今日に至るまで、長年にわたって活躍した貢献を、高く評価しようという意見が、満場一致で支持された。
 ビバ!! 日本スポーツ賞委員会!!
 ビバ!! 釜本邦茂選手!!
 受賞した釜本選手は「200ゴールは、長年やってた結果の積み重ねに過ぎないですよ」と謙虚に話していたが、なんの、なんの。積み重ねたことに価値がある。
 長年にわたって第一線で活躍し続けた選手が、他でもなくサッカーから出て、ぼくは大満足である。

ああ! オフサイド
高校選手権、韮崎−清水商のきわめて珍しいケース!

 高校選手権大会の準決勝、韮崎対清水商の試合で審判上、きわめて珍しいケースがあった。
 非常に復雑なケースなので、ここで完全に説明し尽すことはできないのだが、テレビで見た人も多いと思うので、一応、紹介しておくことにする。
 韮崎2−1のリードで後半にはいった58分に、この珍しいケースが起きた。
 韮崎陣内で韮崎のディフェンダー2番の横森と、清水商の中盤プレーヤーの後藤がぶつかって、ともに芝生の上に倒れていた。
 韮崎が攻め込んで、清水商は防戦にまわっていた。
 清水商の5番野村がボールをクリアして前線に出した。この瞬間、倒れていた2人と韮崎のゴールキーパー以外はみな清水商陣内にいた。
 クリアされたボールは、攻め込んでいた韮崎のディフェンダー、12番青木の頭に当ったが、そのまま前線に出て、清水商のフォワード佐野宏光に出た。このときは佐野はハーフウェーラインより前に出ていた。佐野がボールをとって、長い距離をドリブルシュート。しかし線審はオフサイドの旗をあげていた。
 さて、以下はぼくの個人的見解である。
 韮崎陣内にはディフェンダーの横森が倒れていた。これを勘定に入れると、どう考えてもオフサイドはあり得ない。したがって、審判員は倒れている横森を戦力外として無視したらしい。ふつうは倒れていても、守備側を無視することはないのに、これは異例の判断である。
 野村がボールをクリアした瞬間に佐野は、ハーフラインより手前にいた。佐野のオフサイドはない。
 ボールが前線に出たとき、倒れていた清水商の後藤は起き上がって、のこのこと自陣の方に戻りかけていた。そのときまだ倒れていた横森を員数外にすれば、後藤はオフサイドの位置にいた。
 クリアされたボールは、途中で韮崎の12番のヘッドに当たったが、これで後藤のオフサイドが消えるということはない。この点は数年前にルールの解釈が変わっているので念のため。ただし、線審は、12番がヘディングしたときに旗をあげたように見えた。これは奇妙である。
 線審が旗をあげた位置は、佐野がハーフウェーラインを飛び出したところだった。フリーキックの位置もそうだった。佐野のオフサイドはあり得ないから、これも奇妙である。
 あとでテレビのビデオを見たら解説者が「オフサイド、オフサイドです」と連呼していた。しかし、そう簡単に割り切れるケースだっただろうか。ぼくは、清水商が、きわめて不運だったと思う。


前の記事へ戻る
アーカイブス目次へ

コピーライツ