単独少年チーム万歳!
個性ある選手は、単一小学校のチームに多かった
夏休みに東京都下、多摩丘陵のよみうりランドで開かれる全日本少年サッカー大会を、毎年楽しみにしているが、ことしは他に仕事があって、1次リーグの1日だけしか、試合を見に行くことは、できなかった。1日だけの“のぞき見”の感想だけれど、書かせてもらいたい。
感想の第一は、いわゆる“選抜FC”ではないチーム、純粋の単独チームに、いい選手がいる、ということである。
この大会の1次リーグでは、同時に6面のグラウンドを使い、各グラウンドで午前に4試合、午後に4試合をする。
だから、こまめに見て歩けば1日の“のぞき見”でもかなりいろいろなチームを見ることができる。
また、一つのチームが、午前と午後に、それぞれ1試合ずつするから午前に見そこなったチームを、午後に見ることができる。
午前の試合で栃木県代表の藤岡クラブを見た人が「あそこの山崎って子は、すごいよ」と教えてくれたので、午後の試合で見てみると、なるほど面白い。
2人がかり、3人がかりで守ってくる相手を、まっすぐにドリブルで抜こうとする。そして、たいていは抜ける。抜くときに、すでにシュートを狙っている。つまり、攻撃的な個人技で勝負する選手である。
他にも、なかなか面白そうな選手がいた。大分の舞鶴少年団、新潟の太夫浜ダッシャーズなど、これまでは、あまりサッカーのレベルの高くなかった地方のチームにも、センスのいい選手、得点感覚のいい選手がいて攻撃の先頭に立っている。
興味深かったのは、こういう目立つ選手のいるチームが、純粋に単一の少年団だということだ。藤岡クラブも、舞鶴少年団も、太夫浜ダッシャーズも、それぞれ、一つの小学校の児童だけで、編成されている。
昨年まで読売サッカークラブにいて、いま富山で小学校の先生をしている岡島俊樹君に、たまたま会ったので、この話をしたら「そういう選手がいたんで、県予選を勝ち抜いて全国大会へ出てこれたんですね」と言っていた。
しかし、こういう単独チームは、いい選手ばかり、11人そろえることはできないから穴がある。したがって上の方へ勝ち残るのは、むつかしい。
ベスト4に残ったのは、市内のいい素質の子を集めて特別に編成している英才クラブ、いわゆる“選抜FC”だった。こういうチームは、うまいけれども面白味がない。奇妙に型にはまっている。有名な清水FCも例外でない。これが感想の第二である。
選抜FCの弊害が、あちこちで問題になっているが、いい素質の子を大きく伸ばすためにも、マイナスがあるのではないか、と思う。
あるサッカー人の死
功も名も求めずに情熱を傾けた松木裕康氏のこと
単なるファンというには、あまりにもサッカーに深入りしていた。だが、いわゆるサッカーマンでない。選手だったわけではなく、協会のお偉方だったわけでもない。しかし、そういう人たち以上に、サッカーに情熱を注ぎ込んだ人、純粋な「サッカー人」だった。この夏の暑い日にその人がなくなった。まだ、53歳だった。
松木裕康さん、といっても、この雑誌の読者は、ほとんど知らないだろう。読売サッカークラブのディフェンダーで活躍している松木安太郎君のお父さんである。
松木さんは、一人息子の安太郎君を、暁星小学校に入れたために、サッカーと縁ができた。暁星は、東京では比較的恵まれた家庭の子弟が多い学校で、戦前からサッカーを校技のようにしている。
暁星小学校のチームのアストラジュニアが、よく、よみうりランドのサッカー場を利用したために、読売サッカークラブとも、縁ができた。安太郎君は、読売クラブの少年チームでプレーするようになり、ジュニアにあがり、ついに高校生のうちに1軍のメンバーになった。
一人息子が、サッカー選手として大きく成長していくとともに、父親の裕康さんのサッカー熱も昂じていった。
読売サッカークラブの後援会を作り、物心両面で肩入れした。一方、自宅のある千葉県の市川市では、少年サッカーの面倒を、かけずりまわってみていた。応援している読売クラブや千葉県のチームの世話をして東南アジアやヨーロッパにも出かけた。身銭を切り、自分の時間を注ぎ込んでのことだから、たいへんである。だけど、たいへんなことをしているという素振りは、ツユほども見せない人だった。
ほんとの江戸っ子で「ようし、やってやろうじゃないか」と、ひざを叩いて引き受け、本当は身を粉にして人のために働いても「いや、なにたいしたことじゃない」というようなカラッとした顔つきでいた。
そういうふうだから、ぼくは、松木さんは多趣味で、世話好きな人でいろんなことに手を出していて、その一つにサッカーがあるんだくらいに考えていた。
ところが、葬儀に参列してびっくりした。花輪も、会葬者も、ほとんどサッカー関係ばかりである。
聞くところによると、ここ10年あまり、サッカーのとりこになり、少年サッカーを広め、日本のサッカーをヨーロッパなみのクラブ組織に育てるには、どうすればよいかと、夢中になって取り組んでいたという。
真夏の太陽がじりじりと照りつける中で出棺を見送ったとき、功も名も求めないで注ぎ込んだサッカーヘの情熱を思って、顔中がぬれるのが汗だか涙だかわからなくなった。
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