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サッカーマガジン 1981年9月号
ビバ!! サッカー!!

■サッカーPR時代
日本企業は外国のサッカーには金を出しているが

 「スポーツPR時代」というタイトルで、新聞に7回の連載をしたら結構、反響があった。詳しくは、6月17日付から24日付までの東京本社発行の読売新聞のスポーツページを見ていただきたい。
 スポーツと企業のPR(広告)との結びつきは、ここ10年くらいの間に、急に多くなった。これは、テレビの発達と大きな関係がある。テレビを通じて商品を宣伝するのに、スポーツが非常に有効だからである。スポーツが、なぜ有効かといえば、その理由の一つは「大衆性」だ。男でも女でも、大人でも子供でも、右翼でも左翼でも、スポーツは共通の話題になる。
 もう一つの理由は「国際性」である。テレビが衛星中継の時代にはいって、映像は世界に飛ぶことになった。一方、商品の売り先も世界に広がって、日本の自動車や時計は、アメリカにもヨーロッパにも輸出され、逆にアメリカのビールやフランスのワインを、日本のデパートで自由に買える時代になった。そこで、テレビを通じて商品を世界に宣伝するときに、有効なのはスポーツである。
 日本のホームドラマをアメリカ人に見せてもはじまらないが、スポーツの映像は、世界のどこの国でも理解してもらえるからだ。
 というわけで、スポーツPR時代がやってきた大きな理由は、スポーツの大衆性と国際性にある――というのが、新聞の連載を手がけたぼくの結論である。
 それでは、もっとも大衆的で、もっとも国際的なスポーツは、なんだろうか。言うまでもない。それは、わがサッカーである。
 ビバ! サッカー!
 PR時代の花形、万歳!
 ――と言いたいところだが、ちょっと待った。手放しでは喜べない問題がある。
 それは、日本のサッカーに大衆性が、まだまだ充分でなく、国際性はきわめて乏しい、ということだ。
 外国のサッカー試合のテレビ中継を見ていると、場内広告に、日本の企業のものが、たくさんあることに気がつくだろう。
 キヤノン、富士フイルム セイコー、JVC(日本ビクター)――みな日本企業だ。
 日本企業は、国際的になっているから、サッカーのために、どんどんお金を出している。ただし、残念ながら、日本のサッカーのためではない。
 サッカーPR時代を迎えて、日本のサッカーは、もっと国際的にならないとソンをする。これは、国際試合に勝て、ということだけではなくて、日本のサッカー界全体の体質を国際的に通用するように(単純にいえばプロ化できるように)変える必要がある、ということである。

■高校サッカーの60年
この機会に大先輩の苦労と活躍の跡をまとめたい

 ことしは高校サッカー60年なんだそうだ。
 「高校サッカー60年」という言い方は、厳密には正確ではない。なぜなら現在の「高校サッカー選手権大会」にあたるものは、昭和22年までは旧制の「中等学校」の大会だったからである。新制の「高校選手権」は昭和23年度からで、今年度が第34回になる。
 それを「60年」というのは、大正7年に大阪毎日新聞が「日本フートボール大会」(フットボールではない)という名前ではじめて、後に「日本中等学校蹴球選手権大会」の名称で続いた大会から通算すると、ことしの昭和56年度が、第60回になるからである。
 大正7年から数えると、ことしは64年になるが、途中、戦争などで中止された年もあるので、実質60年というわけである。
 実は、この数え方にも、いくつか問題はあるのだが、どこかで、ひと区切りをつけて、先輩の業績を振り返ってみることも必要だろう、というわけで、高校サッカーの主催者の一つである全国高等学校体育連盟が「昭和56年度大会」を「第60回」として、高校と旧制中等学校のサッカーの歴史をまとめることを決めている。
 あの名取篤君が、みごとに攻めをリードした帝京の3度目の優勝や、浦和南−静岡学園の血をたぎらせた決勝戦や、永井良和君などの「赤き血のイレブン」の活躍なども、ぜひ記憶の新たなうちに、まとめて残しておくべきだと思う。
 ただ、今回の場合、非常に重要なのは、戦前の「中等学校大会」の資料を、できるだけ正確に残しておくことではないか、とぼくは考えている。
 なぜなら、戦前の中学大会の記録をまとめるのは、これが最後の機会になるかもしれないし、資料もかなり散失しているし、昔のことを記憶している人も、しだいに少なくなっているからである。
 大毎(大阪毎日新聞)の大会については、20年前に故岩谷俊夫氏がまとめた「高校サッカー40年史」が貴重な資料として残っている。
 ところが、大正の中期から昭和の初期にかけて開かれていた中等学校の大会は、他にもあったらしい。東京には高等師範主催の大会や朝日新聞主催の大会のあったことがわかっているが、各地にそれぞれ、上級の学校(旧制高校など)や地元新聞社の主催する大会があり、いわば群雄割拠の戦国時代だったようだ。
 そういう実情を、ぜひ、この機会にまとめて残しておきたい。
 読者の中に、資料をお持ちの方、当時の事情に詳しい大先輩をご存じの方がおられたら、ぜひ、ぼく個人あてでいいから、ご一報いただきたいと思う。


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