岡島先生、がんばれ!
日本リーグを退いた名選手の新スタートに幸あれ!!
日本リーグの新しいシーズンが始まった。
釜本君や落合君のようなベテランが自己の記録を、さらに伸ばしながら、なおがんばり続けているのは頭が下がるし、早稲田君や金子君のように、つい先だって高校選手権で走りまわっていたように思われるヤングが、もう中堅どころに育ってきたのも頼もしい。
一方で、まだまだ活躍できるのにと思われる選手が、新しいメンバー表から消えているのは、ちょっと寂しい。たとえばフジタの今井敬三君や読売クラブの岡島俊樹君や橋本好章君である。
今井君は、フジタをやめて出身地の京都に帰り、家業を継ぐというように聞いた。
読売クラブの橋本君も故郷の郡山に帰って家業を手伝うが、ゆくゆくは独立してスポーツ用品店を開きたいという話である。
日本代表にはいったこともある岡島君は、故郷の富山に帰って小学校の先生になった。
岡島君は、富山の高校を出て上京し、読売クラブでプレーしながら東海大学に通い、教員資格をとった。
これは、なかなか、たいへんなことだったらしい。というのは、体育学部に通っていると実習が多いからである。
学校の先生になれば、いろいろなことを教えなければならないから、いろいろな実習がある。たとえばキャンプやスキーの実習がある。
こういう実習は、山に出かけなくてはならないから、どうしても土曜、日曜になる。ところが、その日には読売クラブのサッカーの試合があるというわけだ。
これが、その学校のサッカー部の選手なら、なんとか便宜を計ってもらいやすいのだが、そうでないからやっかいである。なんとかやりくりして、勉強は大学で、サッカーは読売クラブでやりとげたのには、人知れぬ苦労もあっただろうと思う。
富山に帰ったら、慣れない教壇に立って最初は、まごまごするかもしれないが、勤務のかたわら、ぜひ地元のサッカーのために、その苦労を生かしてほしい。また地元のサッカー協会なども、ぬかりはないだろうけれど、岡島君の才能と経験を100パーセント利用してほしい。
これは今井君や橋本君についても同じだ。
今井君は、正月の高校サッカーのとき、すでに母校の洛北高のベンチに座っていた。橋本君も現役のころから郡山で、少年たちの指導に、ときどき引っぱり出されていた。
企業チームの選手が、現役引退して平凡なサラリーマンとなってしまうのは本当にもったいない。
新しい人生を、サッカーを生かして、いっそう意義のあるものにしてほしいと祈らずにはいられない。
川淵強化部長への反論
代表チームの集中強化策が元も子もなくす可能性は?
『サッカー・マガジン』の先号(4月25日号)に載った日本サッカー協会の川淵三郎強化部長の文章を興味深く読んだ。「代表チームの1年を振り返って」というタイトルの記事である。
責任ある立ち場の人が、多くの人に自分の考え方を知らせようとするのは非常にいい。自分の考えを明確に知らせ、違う考え方にも謙虚に耳を傾けるのは進歩のもとである。
全体として、川淵氏の考え方は明快で、筋も通っているが、ぼくの考え方とはかなり違う。全部について違いを書くスペースはないから、その一部について、ぼくの考えを述べさせてもらうことにする。
川淵部長は、日本代表チームの若返り方針について「もし、この方針が失敗したら、元も子もなくなる」という批判は「全くその意味が理解できない」と述べている。
それでは、ご説明申しあげよう。
問題は、日本代表チームの若返りが、集中強化方式と結びついている場合である。
若い、将来性のあるプレーヤーを選ぶ。これが若返りである。「選べるものか」(首脳陣は、選手の将来性を見抜く目を持っていないんじゃないか)という人もいるけど、それでは若返り策の前提が崩れるから、ここでは、間違いなくベストの素材を選べるものと仮定する。
代表チームの監督が、この貴重なタレント集団を、長期間にわたって拘束する。それが集中強化方式である。現に、ことしの日本代表チームも1年間に延べ4カ月(実に1年の3分の1である)の強化合宿や遠征を計画している。
ところが、その代表チームの監督が、適任者でなかったとする。そうすると、選ばれたタレントは、もっとも伸び盛りの数年間を、つぶされることに、なりかねない。
さらに、タレントの所属しているクラブは、重要な戦力を、かなりの期間にわたって奪われたうえに、才能や体力をすり減らされて戻ってくる廃兵を迎え入れることになる。選手を育てる母体は、単独チーム(クラブ)であるべきだ、とぼくは考えているが、その母体がスポイルされることになる。
貴重なタレント(子)をつぶしたうえに、その母体のクラブ(元)をスポイルすれば「元も子もない」ではないか。
以上は極端に誇張した“たとえ”だが、これに類した例は外国にあったし、日本にもなかったとは、いえない。
とはいえ、ぼくは、川淵−森の現首脳陣を信用していないわけではない。
ただ、一つのやり方(つまり自分たちのやり方)だけが、「絶対に正しい」と考えて仕事をするのは危険だと警告しておきたい。
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