ハートのある選手
高校選手権の最優秀選手は帝京の辻谷浩幸君だった!
『サッカー・マガジン』の先号の表紙は帝京高の辻谷浩幸君だった。黄色いユニホームが、パッと目に飛び込んだ。「パッとしてグー」だね。
正月の高校選手権に出場した選手の中で、ぼくが見た限りでは、最優秀選手は辻谷君である。したがって彼を表紙に選んだのは、まことに適切だったと思う。編集部万歳!
ついでに、独断と偏見によるぼくの誌上表彰を付け加えれば、優勝に貢献した最高殊勲選手は、古河一高のゴールキーパーの永井則夫君である。ゴールキーパーが安心だと、他の選手が思い切り力を出すものだ。今度の大会で不覚をとった有力校のほとんどは、ゴールキーパーになんらかの不安を抱えていたように思われただけに、古河一のゴールを守って危な気のまったくなかった永井君の優勝貢献度は大きかったと思う。
技能賞は古河一の相川淳君、敢闘賞は清水東のキャプテン高橋良郎君。ついでのついでに新人賞は韮崎の一年生の保坂孝君。以上、理由を書いてるとスペースが足りなくなるから省略するけど、独特のドリブルで勝利に結びつくゴールに何度も貢献した相川君が、大会の優秀選手30人の中に選ばれなかったのは意外だったね。ぼくには――。
さて本題に戻って辻谷浩幸君の件である。
辻谷君のテクニックや戦術的能力については、多くの人が認めているから、ここには繰り返さないが、それに加えて、ぼくがすばらしいと思ったのは、辻谷君の根性である。
西が丘で行われた清水東−帝京の準々決勝で、後半始まってすぐ、清水東が得点して2−0と差が開いた。
そのあと、辻谷君は、チームの先頭に立って、猛烈にがんばりはじめた。1分後に中盤からドリブルでもち込み、ペナルティーエリアにはいるあたりの密集の中で3人抜き。清水東の守備陣が懸命に防いで、得点にはならなかったが、意気込みは、ものすごかった。
意地の悪い人は、「そんなに、がんばれるのなら、リードされる前からがんばればいいじゃないか」というかもしれないが、そうではない。
辻谷君は、前半まだ1点差のときは冷静に中盤でゲームを組み立て、味方を動かして反撃のチャンスをねらっていた。チームの力はまったく互角で、残り時間はまだ、たっぷりあったのだから、無理をする必要はない。これでいいのである。
「さあ反撃だ」と意気込んだ後半の立ち上がり出鼻をくじかれて、味方が絶望的な気持になった。そういうときだからこそ、無理をしてチームの先頭に立った辻谷君のブレーはすばらしい。高校の先生たちが、よく使う言葉を借りれば。辻谷君は「ハートのある選手」である。
“冠もの”の功罪
トヨタカップの本当の意義を売り込むべきではないか
ヨーロッパ・チャンピオンと南米チャンピオンの間で争われる試合に「トヨタカップ」というタイトルがついた。
こういうふうに、スポーツエベントの頭に、商品名や企業名をつけたのを、その道では「冠(かんむり)もの」と呼ぶんだそうだ。
世の中には、この「冠もの」をけ嫌いするけっぺきな人がいる。
ジャーナリズムにも、そういうところがあって、昨年、ヨハン・クライフのワシントン・ディプロマッツが来日したときの試合を「ゼロックス・スーパーサッカー」と書かないで、単に「国際親善サッカー」とだけ書いた新聞もあった。
ぼくの個人的な考えでは、スポーツのために、お金を出してくれるんだから、スポンサーの名前を書いても、いいんじゃないかと思うけど…。
しかし、これが本末転倒になって商品名や企業名を表面に出そうとするあまり、そのエベントの本来の意義が遠くに押しやられてしまうようでは困る。
ノッティンガム・フォレスト対ナシオナル・モンテビデオの今回の試合は「トヨタ・ヨーロッパ/サウスアメリカ・カップ」(略称トヨタカップ)という、長たらしい“正式名称”で発表された。
これはどうも、スポンサー筋の意向が見え見えでいただけない。
これまで使われていた「インターコンチネンタル・カップ」という名称や、世界のジャーナリズムが通称としていた「ワールドクラブ選手権」あるいは「ワールドクラブ・カップ」の呼び名を表面に出すと、それだけで充分に重みのある呼称だから「トヨタ」の名前が新聞に出ないおそれがある。
そこで、わざと長たらし過ぎて新聞では使いにくい正式名称を正面に押し立てて、略称の「トヨタカップ」を使わせるように仕向けた――と見たは、ひが目か……。。
今回のエベントの大きな意味は、単独のクラブチーム、つまり事実上プロの世界一決定戦が、日本で行われることにある。いろいろな問題があって、ヨーロッパと南米のホーム・アンド・アウェーでは、開催困難になっていたのを、中立国の一発勝負でやってみよう、という試みなのである。
したがって、ここは事実上の「ワールドクラブ選手権」であることをセールスポイントにすべきでは、なかっただろうか。
そのポイントを後のほうにもっていって「トヨタカップ」の名前を先に売り込もうとしたのは、かえって逆効果だったのではないか。
単なるエキジビションやアメリカの国内試合のはんぱカードを日本に持ってきて「××ワールド」といったたぐいの、ことごとしい冠をつける催しが近ごろ多いけれど、それとこれとをいっしょにされては困るといったら余計な取り越し苦労だろうか。
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