新聞記者の国際試合
モスクワ五輪に日本参加とばかり勇躍出かけてみたが
「君と鈴木君を選手として登録しておいてやったからな。必ず出してやるから来てくれよ」
時は1980年8月某日。所は夏のオリンピック大会たけなわなるソ連邦の首都モスクワ。国際サッカー試合に出場させてやるといわれて勇み立たないわけにはいかない。誘ってくれたのは国際スポーツ記者協会(AIPS)の副会長を務める宮川毅氏(共同通信社論説委員)だ。
わが読売新聞特派員の鈴木康雄記者と2人で出かけたる先は、かの有名なるディナモ競技場。モスクワ・オリンピックの会場の一つである。
と、申しましても、もちろんオリンピックの試合に出場するわけはない。大会のサッカーの準々決勝と準決勝の間の一日。ここで大会取材の外国記者チーム対地元ソ連の記者チームの試合が恒例によって、行われたのである。
ところが――だ。
駐車場への入り口がわからないために、お巡りさんに聞きながら、広大なスタジアムのまわりを一周したのが、意外に時間を食ってしまい、到着してみたら、他の国の記者はすでに、支給されたま新しいシャツを着込み、ま新しいシューズをはいて出陣の準備を整えている。
「シューズとユニホームは、もうないのか?」
「いかんながら数の制限があるので足りなくなった。シューズはソ連側から借りてこよう」
「ユニホームはどうするのか」
「後半にチェンジして出場できるよう取り計らうであろう」
ソ連側からシューズを借りるったって、十文半(24.5)のぼくの足に合うのがあるわけないんだよね。それに後半チェンジして、ユニホームを取り替えてもらえると思ったのは、国際試合の経験の足りないぼくたちの甘さだった。
ユニホームもシューズも、スポーツ用品メーカーの「プーマ」が提供したピッカピカの新品なのだ。それをいったん着用したら最後、がめついヨーロッパ野郎どもが手離すわけはない。
しかし、本当は出られなくて良かったのだ。
最初の20分間ほどは、もらいもののシューズをはいたシロート記者の試合で「これなら、ぼくたちもやれるぞ」とみていたのだが、しだいにメンバーは、かつての国際試合のスターやプロの名選手ばかりになってきて、とてもぼくたちが出られるレベルではなくなってきた。試合時間は正規の90分。テレビカメラも動員され、翌日の新聞には、ちゃんと結果が載っていた。
それでも――。
次にチャンスがあれば、忘れずにユニホームとシューズは、日本から持って行こうと思っている。日本のスポーツ用品メーカーで、スポンサーになってくれるところはないだろうかねえ。
選抜FC批判へ反論
全日本少年大会が小学校選手権にならないように…
モスクワ・オリンピックの取材から帰って、留守中にたまっていた新聞や雑誌に目を通した。気がかりになっていた全日本少年サッカー大会の記事が、ぼくの勤務先の読売新聞の紙上にも、また『サッカー・マガジン』の誌上にも、ちゃんと大きく報道されているのに安心した。
この少年サッカー大会に、いわゆる“選抜FC”方式のチームが進出してくることについて、ことしも、いろいろ議論があったようだ。簡単にいえば「優秀な選手をかき集めて編成したチームが、一般の単独チームといっしょに参加するのは、公正でない」という批判が繰り返されている。
しかし「それでは、どうすれば良いか」についての名案は出ていない。代案がなくては、せっかくの批判も、批判倒れではないか。
「参加資格を単独チームだけに制限しろ」というのでは、代案にならない。なぜなら、現在の規定でも、参加できるのは「協会に登録した第四種の単独チーム」ということになっているからである。
それでは、なぜ、船橋FCや四日市少年団のような、市内の優秀選手を集めた“選抜チーム”が参加しているのだろうか。
それは、船橋FCにしろ、四日市少年団にしろ、一つのクラブとして最初から協会に登録してあるからである。そういう意味で、形式的な建て前をいえば“選抜FC”は、単独チームであって、選抜チームではない。したがって、選手の二重登録は許されない。たとえば、山田君が最初は船橋小学校チームから出場し、船橋小が予選で負けたから、決勝大会出場権を得た船橋FCに加わるようなことは認められないわけである。
そうなると、「一つのクラブの構成人員を、どのようにして制限するか」という問題になる。まさか「良い選手ばかり入れるのは、けしからん」というわけには、いかないだろう。そこで考えられるのは「一定地域内に住んでいる少年」という線を引くことである。 現在の少年サッカー大会では「日常の練習に無理なく通える範囲内」ということで、「一つの市区町村内」をおよそのめやすにして、了解事項にしている。
ぼくが恐れるのは、選抜FC批判があらぬほうに突っ走って「面倒くさいから、いっそ小学校単位でなければ認めないことにしよう」という議論が出てくることだ。
地域のクラブを育てようという趣旨でスタートしたこの少年大会が、小学校選手権大会に変質し、あどけない少年が、わけもわからずに「母校の名誉のために!正々堂々と オッー!……」と叫ぶことを想像すると寒気がする。
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