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サッカーマガジン 1980年9月25日号

<現地レポート>モスクワ・オリンピック大会
モスクワでもサッカーは大衆のものだった

 レーニン中央スタジアムの夜空に、あかあかと燃え上がる聖火を仰いで考えた。フィールドでは、モスクワ・オリンピックのサッカー決勝戦、チェコスロバキア−東ドイツの試合が行われている。
 「もし、この大会に日本が出ていたら?」
 「ソ連が決勝に進出していたら?」 
 「もし、これがワールドカップだったら?」
 いろいろな疑問や仮定が交錯する中で、一つだけ確実に感じたこと、それは、モスクワ大会の中で、サッカーだけは間違いなく大衆のものであり、サッカーはオリンピックのメーンエベントだったということである。   
          ☆      ☆

“ソ連大衆”の不満の口笛
 決勝戦は、1−0でチェコスロバキアの勝利に終わった。チェコがオリンピックのサッカーで金メダルをとったのは初めて、“銀”も1964年の東京大会以来である。
 「スボボーダ! スボボーダ!」
 チェコスロバキアからやってきた千人余りの応援団が、決勝点をあげたスボボダの名を連呼する。旗がうち振られ、歌がスタンドにこだまする。それは、西側のサッカー大会で見られるのと、少しも変わりない光景である。試合が終わってから表彰式まで30分以上の間があった。その間、彼らは旗を振り続け、歌をうたい続けた。
 表彰式――。
 1位チェコスロバキア、2位東ドイツ。
 各チーム17人の選手が 一人ずつ、フィールド中央に設けられた台にあがってメダルを受ける。続いて前日の3位決定戦でユーゴスラビアに勝った地元のソ連。
 ここで、ちょっと異様なことが起きた。
 ソ連の選手が表彰台に上がって銅メダルを受けとるたびに、スタンドに残っていた1万人近い地元のファンが、いっせいに口笛を吹く。それが耳をつらぬくように、フィールドの上にひびいた。金メダルを期待していた地元ファンの「銅では納得できないぞ」という意思表示である。
 そのあとで行われた記者会見のとき、チェコスロバキアのハブラネク・フランティセク監督は、西側の記者の質問に答えて「あの口笛は非常に悲しいことだ。観衆はスポーツには運不運があり、優勝は一つということを理解していないようだ」と述べ、ソ連サッカー協会のポニジェルニク会長も、特に発言を求めて「まことに残念なことだった」と観衆の態度に、いかんの意を表した。
 しかし――である。 
 ぼくの受けた印象は、ちょっと違うのだ。 
 たしかに、銅メダルを受ける地元チームに口笛を浴びせた観衆のマナーは良くなかった。奨励できることではなかった。 
 だが、試合が終わってから表彰式まで、サッカーの成績に不満の意思表示をするために30分以上も待っていたソ連のファンの辛抱強さはユーモラスではないか。 
 これは、どこの国でも変わらない大衆の一つの横顔ではないか。
 モスクワ・オリンピックは、非常に整然と秩序正しく行われた。どの会場でも、地元の観衆はお行儀よく地元チームを声援し、いいプレーには拍手を惜しまなかった。 
 けれども、それはどことなく、よそ行きのお行儀の良さで、一般大衆が熱狂的にオリンピックを支持しているというムードは少なかった。 
 ただ、サッカーの会場だけは、ちょっと、雰囲気が違うのだ。 
 メキシコやアルゼンチンほどではないけれど、ゴール裏や天井さじきには、国旗をうち振り、歌をうたって熱狂するソ連の大衆がいた。 
 たまたま、ソ連チームが準決勝で敗れたために、大衆の顔は、表彰式の口笛になって表れた。それは良くないことだったけれど、いつも、お行儀よく、まじめな顔をしている人たちには、感服はしても親しみはわかないものだ。お行儀の悪い大衆を見て「やっぱり、ソ連の人たちはサッカーが好きなんだな」ということを感じることができたし、ソ連の大衆が、他のどのスポーツの金メダルにもまして、サッカーの金メダルを望んでいたことを知ることができたのである。
 もし、ソ連が決勝戦に進出していたら、8月2日、オリンピックの終幕を飾るレーニン中央スタジアムの雰囲気は、すばらしいものになっていただろう。 
 実際には、そうはならなかったけれど、サッカー会場の大衆的ムードは良かったと思う。

臨機応変の攻めができなかったソ連
 それにしても、ソ連はなぜ優勝できなかったのだろうか。
 スピード、体力、周到な準備、地元の利――あらゆる条件が整っているように思われたのに……。
 準決勝の試合の前に、記者席で、ソ連サッカー協会のポニジェルニク会長の話を聞いた。この人は、「ソビエツキー・スポルト紙」にサッカー評論を書いていて、いわば同業者でもある。
 「きょうの準決勝は、非常にむずかしい試合になると思う。東ドイツはソ連の伝統的なライバルであり、今度のチームも本当に良いチームだ。守りは固いし、この大会で1、2を争う良いストライカー(ネッツ)を持っている」
 「ソ連の弱点は1次リーグで得点の上で楽な試合をしてきたことだ。ベネズエラには4−0、キューバには8−0で勝った。それだけに、はじめて守りの強い相手にあうと、固さが出るのではないだろうか」
 ポニジェルニクさんの話は、そのとおりだった。
 ソ連の選手たちは、手ごわい相手を迎えて最初から固くなっており、「負けられない」という意識が先に立って、攻めてはシュートを焦り、守っては乱暴が目立った。
 前半17分に東ドイツは左コーナーキックのチャンスを生かしてネッツがゴールを決め、結局これが決勝点となった。そのあとソ連は攻めに攻め、ガブリロフのシュートがバーに当たったり、ポストに当たったりしたが、ついに1点を返せなかった。
 シュート数はソ連の20に対して、東ドイツは7だった。 
 形勢だけをみると、ソ連が一方的に優勢で、勝てなかったのは不運のように思える。しかし、内容的にはそうは言い切れないように思う。 
 試合は、体力とスピードにものをいわせる速攻の応酬で、その点ではほぼ互角だったのだが、一人ひとりのプレーの柔かさ、つまりボール扱いのテクニックと、状況判断の融通性の点で、東ドイツの選手のほうがまさっていた。
 ソ連は、アンドレーエフとガザエフを前線に立てたツートップ。両翼のあいたスペースに中盤やバックから攻め上がり、センタリングをダイレクトでシュートしようとするのが第一の攻め手である。
 次に、ゴール前の密集地帯で一人が相手のバックを背にして壁になり、その折り返したパスをダイレクトでねらおうとする。これが第二の攻め手である。 
 これが、なかなかうまくいかないとみると、後半には、アンドレーエフ、ガザエフ、ガブリロフの個人的なドリブルで攻め込むことも試みはじめた。やらせれば足わざも、なかなかのものである。 
 だが、どの攻め手も型にはまった感じで、臨機応変の組み合わせがない。そのためにトリーロフをスイーパーに、ウルリッヒをストッパーに置いた比較的若い東ドイツの守りを攻め崩せなかった。 
 決勝戦は、この東ドイツとチェロスロバキアの対戦である。 
 チェコスロバキアは、準々決勝でキューバを、準決勝でユーゴスラビアを破って進出してきた。 
 決勝戦の様子は、準決勝のソ連−東ドイツと似たところがあった。今度は東ドイツのほうが固くなり、速攻を焦った。守りでは乱暴なタックルが目立った。
 後半がはじまって間もなく、58分に東ドイツのシュタインバッハとチェコのベルガーが退場させられた。
 決勝点は10人対10人の試合になったあとの77分だった。

結局はテクニックと状況判断の勝負
 金メダルの決勝ゴールをあげたスボボダは、その4分前に、負傷したピジェクと代わって出場したばかり、27歳、国際試合出場24回(オリンピック前まで)のベテランである。後方からのフリーキックがゴール前へあがり、シュートをゴールキーパーがたたき落としたところにいてけり込んだ。
 シュート数は東ドイツ21、チェコ10。東ドイツが体力とスピードで一見優勢のようにみえたが。これも中身はそうでない。チェコスロバキアのほうがボールを大切に扱い、こまかいパスを通す自分たちのサッカーで勝負していた。
 大まかにいって、準々決勝以降は東ヨーロッパチームのスピードと体力がぶつかりあった試合だったが、その中で勝負に勝ったのは、個人のテクニックと状況判断(戦術)を、うまく生かしたほうだった、といえるのではないだろうか。
 1964年東京大会以後のオリンピックでは、サッカーの決勝は、いつも社会主義国同士の争いだった。今回もその例にもれなかったけれども、事情が違うところがあることにも、注意しておく必要がある。
 今回は、ソ連や東ドイツなどの社会主義国でも、ワールドカップ(予選も含む)に出場した選手には、オリンピックに出る資格が与えられなかった。
 そこでソ連では、比較的若い選手でチームを作った。レギュラーの平均年齢は、23歳強である。
 東ドイツも似たような構成だったが、中盤にテルレツキ、前線にネッツと29歳のベテランを配していた。レギュラーの平均年齢は24歳強である。
 チェコスロバキアのチームは、別の作り方だった。平均年齢は26歳。6月のヨーロッパ選手権に出たナショナルチームのメンバーが8人も含まれていた。
 こういうチーム構成の違いが試合ぶりに表れて、体力とスピードの争いの中でも、技術と戦術の熟練度の高いチームが、上位を占めたのだと思う。
 ところで、この中に日本がはいって戦ったらどうだろうか。
 今回出場した16チームの中に、日本よりもヘタなチームがなかったことは確かだろうと思う。ボイコット騒ぎのために繰り上げ出場になったチーム、たとえばベネズエラ、キューバ、ザンビアなどの選手たちもみな高いテクニックを持っていた。
 またクウェートとナイジェリアがチェコスロバキアと引き分けたように、アジア、アフリカのチームも、ヨーロッパ勢と互角に戦う力を持っていた。
 ただ、こういうチームは、チームとしては国際試合の経験不足のところがあり、体力的にも鍛えられていないようだったから、もし日本が充分なトレーニングを積んで参加し、また幸運に恵まれれば、1次リーグを突破する可能性はあったかもしれない。
 しかし、東ヨーロッパのチームと本番の舞台でぶつかったら、日本はこっぱみじんにやっつけられただろう。
 なぜなら、日本が頼りにするほかはない体力とスピードで、彼らのほうがずっと上であり、日本の選手には、ベネズエラやキューバなどの選手ほどのテクニックはないからである。


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