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サッカーマガジン 1980年4月25日号

ビバ!! サッカー!!

オミってだあれ?
ユーモアのわかる男 小見幸隆君がんばれ

 かつてクライフがオランダのアヤックス・アムステルダムにいて、ベッケンバウアーが西ドイツのバイエルン・ミュンヘンにいたころの話である。
 ヨーロッパ・カップの試合で、いよいよ、あすは両チームが対戦するというときに、新聞記者がクライフにインタビューした。
 「あしたは、ベッケンバウアーの守りを、どうやって破るかが、問題だと思うが……」
 「え? ベッケンバウアーってだあれ?」
 これが、クライフの返事だったという。これは伝説である。
 1974年のワールドカップの最中に、読売クラブが西ドイツへ遠征した。
 ヘネフという小さな町に、西ドイツ・サッカー協会がスポルトシューレ(トレーニングセンター)を持っている。読売クラブは、そこに泊めてもらって、主としてアマチュアのトップクラスと試合をしたのだが、一つだけブンデスリーガ2部のプロチームとの対戦が組まれていた。
 その前日のミーティングで、当時、読売クラブの監督だったオランダ人のファン・バルコム氏が、このクライフの話をした。「相手がプロでも恐れるな。そんなチーム、聞いたことないという気持でやれ」という趣旨である。
 たまたま、ぼくもヘネフに行っていたので、このミーティングでバルコム監督の通訳をした。この話は選手たちに大いに受けて、試合前日の緊張が一気にほぐれた。
 やぼを承知で蛇足を加えると、クライフは、ベッケンバウアーの強さも、うまさも知りつくしている。そのうえで「ベッケンバウアーといえども、恐れはしない」という気概を「ベッケンバウアーってだあれ?」というユーモアで、示しているわけである。
 もう一つ、つけ加えると、これは、ヨーロッパでは、よく使われる小話で、登場人物はクライフやベッケンバウアーに限らない。
 さて、日本に帰ってきてからのことだが、用があって読売クラブの事務所へ電話をかけた。
 「もしもし、読売新聞運動部の牛木ですけれども……」
 電話口に出てきたのは、小見選手たった。        
 「えっ、ウシキ? 聞いたことないなあ」 
 好漢、小見幸隆君が、クアラルンプールで「オミってだあれ」といわれるくらい奮戦してほしいと祈っている。

世界一の記録用紙
ワールドユースでほめられた日本式フォーム

 昨年、ワールドユースが日本で開かれたとき、大宮サッカー場の記者室で、スペインの新聞記者に話しかけられた。
 「おれは、もう30年以上、サッカーの取材をしているが……」
 と、その初老の記者がいう。片手に、配られたばかりの、報道関係者用の試合記録用紙を持っている。
 「日本の、この記録のつけ方は最高だ。世界で一番よく考えられている」
 「そうだろう」――ぼくは内心得意になったネ。
 なにを隠そう、現在、日本で使われているサッカー記録用紙のフォーム(様式)は、14年前にほかならぬ、ぼくが工夫改良したものなのダ。それを「世界一とほめられてうれしくなったのは当然ジャン。
 この記録用紙は、われながら良くできていると、心の中で自画自賛していたのだが、日本ではあまりほめてくれる人はいなかった。それどころか、当時の協会の実力者は大反対で、そのために、日本リーグでは1966年から使ってくれたのに、協会で採用したのは2年後になった。協会で採用したあとで、ぼくたちが取材に行かない地方の大会では、実力者の威光で、古い様式の記録用紙を使わせていたそうである。
 現行の様式が、当時の協会実力者のお気に召さなかった最大のポイントは、ポジションの呼称だった。
 古い様式では、RB(ライトバック)、CH(センターハーフ)というように 選手1人に一つずつポジションの呼称がついていた。「これがサッカーの伝統的なやり方である」と、当時の実力者は信じていたようだ。
 現在の用紙では、ポジションはGK、FB、HB、FWに分けてある。これは日本の新聞のフォームに合わせたものである。
 さて、この記録用紙が、外国人の記者に「世界一」だとほめられたのに気を良くして、さらに改良して、日本式記録用紙を世界に広めようと、目下画策している。
 サッカー記者会や協会と相談した結果、今シーズンからは、新しい記録用紙を使う予定だが、それではポジションの呼称を、国際的に通用しやすいように、GK、DF(ディフェンダー)、MF(ミッドフィルダー)、FWとしてある。これは、『サッカー・マガジン』で前から採用しているのと同じ方式である。


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