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サッカーマガジン 1980年1月10日号

時評 サッカージャーナル

高校サッカーの異変

正月は楽しみだ!
 「高校サッカー異変の年だな」
 正月の全国高校選手権大会の代表32校の顔ぶれを眺めながらそう思った。
 初出場が11校である。
 これまでの大会で、初出場がもっとも多かったのは3年前、全国大会の開催地が、関西から首都圏に移ったときで12校。初出場の静岡学園が、足わざのサッカーをひっさげて登場し、あれよあれよという間に決勝へ進出、浦和南とドラマチックな名勝負を演じた年だ。
 さらにさかのぼって、初出場のチームが多かった年をさがすと、14年前の昭和41年1月、第44回大会になる。大正7年の「日本フットボール大会」以来、この大会を育ててきた毎日新聞社が主催した最後の大会で初出場は12校だった。このときは、26回目の出場の明星(大阪)と3回目の出場の習志野(干葉)が決勝を争い、延長2回の死闘を演じて相譲らず、引き分けで両校優勝となった。
 初出場が多いということは、予選である地方大会が波乱続出だった、ということである。そして、そういう年は全国大会でも、名勝負が生まれるのではあるまいか。そうだとすれば、今度の正月は楽しみだぞ――と考えた。
 地方大会の波乱は、9月に、全国のトップを切って、北海道代表が決まったときに、早くもはじまっていた。
 前回の大会で“北国旋風”を巻き起こして決勝戦に進出した室蘭大谷が、9月25日に、札幌大グラウンドで行われた決勝戦で札幌光星に逆転負けしたのである。
 前回、国立競技場の決勝戦に進出したときの室蘭大谷は、レギュラーの大半が2年生だった。だから「来年こそは」と選手たちも思い、多くの人たちも期待していたに違いない。それが、北海道の中で敗れるとは――。
 9月30日に札幌の円山球場で行われた日本リーグ東西対抗を取材したついでに、翌日、札幌光星をのぞいてみた。
 あいにくの雨で、練習は、体育館の中だった。選手たちは、楽しそうに、わいわい騒ぎながら、ミニ・サッカーをやっていた。
 「きょうは、のんびりやらせてますが、ふだんの生活指導などは厳しくやっています」と、石田邦正監督の話。遊び半分の練習のように見られては困ると、ちょっと弁解されたように聞こえたが、そんなことはない。アルゼンチンのメノッティ監督の口まねをすれば「遊びの中から驚きが生まれる」のがサッカーで、楽しい練習ができないようでは、勝つチームはつくれない。
 「札幌は少年サッカーが盛んですから、かなり技術のいい子がたくさん出るようになりましたよ。うちなんかは、サロンフットボール(室内サッカー)をやったら断然です。室内の高校選手権があったら優勝するかも……」
 かつては、雪国のチームは、けって走る体力でがんばったものだけれど、いまや、雪国のほうが技術を売りものにできるらしい。
 石田監督のお話では、札幌の中学生でも、サッカーの優秀選手は室蘭大谷に行きたがるのだそうである。それが、正月の大会で脚光を浴びる近道だと思うからではないだろうか。
 「いまの1年生は、札幌の中学の強いところの選手たちが、まとまって、うちへきてくれた。その1年生が、がんばって……」
 室蘭大谷を破った試合の決勝点は終了3秒前。1年生の市村がチャンスをつくり、これも1年生の加藤が決めたものだった。

浦和勢は総崩れ
 埼玉県は、私立の武南が初の代表になった。この埼玉の大会も異変の典型だった。浦和勢が1チームも、ベスト4に残れなかったのである。
 かつては「埼玉を制するものは全国を制す」といわれたとされている。これは本当は「浦和を制するものは全国を制す」だった。
 新制の高校選手権大会になってから31回の大会のうち、埼玉のチームは28回全国大会に出場し、24回は浦和勢である。そのうち半分近くの11回も、全国優勝を記録している。
 この伝統ある浦和勢が、県内の大会で総崩れになったのは、なぜだろうか。
 同僚が、あちこちに電話をかけて、情報を集めてくれた。
 「これは、埼玉の高校の入学制度が変わったためのようですよ」
 「どうして」
 「公立の高校を受験できる範囲が細分化されて、浦和の公立高校は浦和周辺の中学生しか入学できなくなった。そのために優秀な中学選手を集められなくなったらしい」
 「へえ、そうかねえ」
 「私立は学区制に関係なく選手を入学させられるから、これからは私立が強くなるんじゃないですか」
 埼玉代表になった武南は。浦和市のすぐ南に隣接している蕨(わらび)市にある私立高校である。
 「ぼくは、そうじゃないと思うね。私立の高校が、野球だけでなくサッカーにも目を向けはじめたことは確かだけど、今回の異変の原因は、別にあると思うね」
 浦和のサッカーのうまい中学生は、浦和南をはじめ、浦和市立、浦和西、県立浦和など地元の名門校をめざしていると思う。全国大会の実績のない武南が、いい選手を集めるのは、これまでは、むしろ困難だっただろうと思う。
 しかし、中学生以下の少年サッカーの層が厚くなったために、実績のない高校にも、けっこうテクニックのある選手がはいるようになったのではないか。武南の選手は、やはり浦和の中学出身者が主力になっているはずだ。
 「だから、逆に私立の強豪が負けて、公立が出てくる可能性もあると思うな」
 はたせるかな、静岡では県立の名門、藤枝東が復活し、神奈川では県立旭が初出場を決めて、7年ぶりに公立の代表校が出た。
 高校サッカーの異変は、少年サッカーの普及に原因がある――とぼくは観察している。

 

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