Wユースの応援に…
「そろそろ、ことしの日本サッカー大賞を選考したい」
友人たちを集めて、ぼくが、こう宣言した。
毎年いまごろになって、原稿のネタがなくなると。勝手に“サッカー大賞”をでっちあげて、貴重な誌面をふさぐため、ひょっとすると、『サッカー・マガジン』編集部では、うんざりしているかもしれないが、年に1度の冗談だから、勘弁してもらいたい。最後にちゃんと埋め合わせはする。
それに、この1ページの中だけの誌上表彰で、別に「サッカー・マガジンから賞品を出してやってほしい」というわけじゃない。
さて、A子ちゃんが、まず発言した。
「ことしは、あまり、パッとした候補がなかったわねえ」
へえ、そうかねえ。ぼくは一つパッとした候補を考えているんだけどねえ。
わかるかな?
パッとするも、パッとしないもない。パッ、パッの、パッ、パッ、パッだ。こんな、にぎやかな候補は、めったにない。
そう、そのとおり。
1979年の日本サッカー大賞に輝くのは、第2回ワールドユース大会で日の丸を打ち振ったスタンドのファンでありまーす!
8月下旬から9月上旬にかけて日本で開かれたワールドユースについて、評価はいろいろあるだろうと思う。
1勝もあげられなかった日本ユース代表チームについては、まことに残念ながら及第点をつけるわけにはいかない。
運営については、結果としては 「日本で開催して良かった」といえるものを残したので、すれすれで及第点をつけたいが、準備はひどいものだったから、組織委員会に大賞をあげる気持には、とてもなれない。
ただ、スタンドの応援は、すばらしかった。日の丸を打ち振って「ニッポン、チャ、チャ、チャ」を叫び、大会を盛りあげた功績は「国際レベルである」とテレビの解説者も、いっていたではありませんか!
「だけど、なんだよ。笛みたいなものを吹いて、審判のホイッスルとまぎらわしいから、やめてくれって、場内アナウンスで注意されてたこともあったよ。ひとの迷惑になるようなのは、行き過ぎだと思うな」
「ホントかね。記者席のぼくには笛なんか、聞こえなかったな。場内アナウンスのほうが、野暮なんじゃないかね?」
「行き過ぎだっていうのなら、外国のほうがひどいよね。ワールドカップのときは、群衆が通りへ出て騒ぐんで、タクシーなんか走れないものね」
まあね――。
ワールドユースでアルゼンチンが優勝した日に、地球の裏側のブエノスアイレスでは、例の町の中心部にあるオベリスクの塔のまわりを、前年のワールドカップ優勝のときと同じように大衆が埋めつくしたという話だ。
「だけど、サッカーのために交通渋滞になるのは当たり前ってのが、向こうの常識なわけよ。日本じゃ、そうはいかないよね」
友人たちの説は、それぞれ、もっともではあるが、サッカーが強くもなく、盛んでもない日本で、日の丸を打ち振った若い先駆者たちに、ぼくは、サッカー大賞を贈りたい。
技能賞は釜本
大賞のついでに、技能、敢闘。殊勲の3賞も選ぶことにする。
まず技能賞。
「これは、日本リーグ選抜に、やりたいねえ」
なるほど、これは、いい意見である。
日本リーグで活躍している与那城やラモスやカルバリオを加えたチームを編成したのは、6月に来日した韓国農協チームとの試合のときだった。
その前のジャパン・カップのときに、外人勢を加えた「日本選抜」をつくる案が出ていながら、日本サッカー協会は、そこまで踏み切れなかった。外人勢プラス釜本の日本リーグ選抜編成に踏み切ったのは、日本リーグの高橋英辰総務主事である。
これが口火となって、8月のワールドサッカー79の試合でも、10月のコスモス来日のときの試合でも、外人勢プラス釜本が、目玉になった。“コロンブスの卵”じゃないが、こういうアイデアは、最初に実行した人の功績である。
「それじゃあ、高橋ロクさんを表彰するべきだな。これは技能賞ではなくて、殊勲賞じゃないか」
「そうだね。与那城やラモスのプレーがおもしろいといっても、日本のサッカーでは毛色が変わっているというだけのことで、国際レベルからみて、日本リーグ選抜に技能賞というのは、気がひけるよ」
「技能賞なら、釜本選手にやりたいな」
日本リーグ選抜の総大将として釜本は、6月の韓国農協との試合では均衡を破る豪快なボレーシュートを決めた。
8月に後楽園球場でFCアムステルダムと対戦したときにも、見事な先制ゴールを放った。
10月に神戸でコスモスと試合をしたときには、後半39分に、むずかしい角度からの同点シュートで引き分けに持ち込んだ。
「監督兼選手で出て、3試合とも得点をあげたのは、たいしたもんだ」
これで決まり――。日本リーグ選抜を編成したロクさんこと、高橋英辰氏に殊勲賞。その選抜チームの監督兼エースの釜本邦茂氏に技能賞。
「それで敢闘賞は?」
「これは、ぼくの口からは、いいにくいんだけど……」
「なんだ?」
「昨年のワールドカップに優勝したアルゼンチン代表チーム監督の手記“メノッティ1353日の闘い”を連載した『サッカー・マガジン』編集部にどうだろう」
あの連載が、おもしろかったかどうかは、読者が評価してくれることだけれど、あの長文を、省略なしで載せてくれた編集部に、監修者として、ぼくは心から感謝している。 |