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サッカーマガジン 1979年9月25日号

時評 サッカージャーナル

ワールドサッカー79

新聞論評に異議あり!
 「終わり良ければ、すべて良し――だよ」
 といったら、
 「サッカーについちゃあ、お前はいつでも甘いなあ」
 と同僚に笑われた。
 あのワールドカップ決勝、アルゼンチン対オランダの再現をうたい文句にした“ワールドサッカー79”と称する国際シリーズの話である。
 アルゼンチン対オランダ戦の再現を売り物に、大々的に宣伝しながら、実際には単独のプロ・クラブを招いての試合になってしまった。それでいて入場料は、特別席6000円。「ご不満の向きには、払い戻しを致します」とはいったものの、不手際だったことは、隠しようがない。
 しかし――である。
 そういう、いきさつや、入場料の高さを別にすれば、この自称“ワールドサッカー79”の最終戦は、すばらしかった。8月13日の後楽園球場。第1試合で釜本監督の率いる日本リーグ選抜が、プロのFCアムステルダム(オランダ)を破って、お客さんを大いにわかせたし、第2試合のバレンシア(スペイン)対ウラカン(アルゼンチン)は、これまでに日本で行われた外国のプロ同士の試合の中でも最高にいい試合だった。
 試合の内容については、東京12チャンネルが、午後5時から4時間にわたる大中継をやったから、多くの人はよくご存じだと思う。ぼくは第2試合のバレンシア−ウラカンのテレビ中継を、翌日ビデオでもう一度見たが、長年世界のサッカーの放映を続けてきた局が総力をあげただけあって、中継もみごとな出来栄えだった。すばらしかった試合内容を、あますところなく伝えていた。
 そういうわけで、最終的には、試合が3万2千の後楽園の観衆を熱狂させ、テレビの視聴者を十分に満足させるものだったから、それまでのいきさつはともあれ「よかった、よかった」と、ぼくは胸をなでおろしたのである。
 ところが――。
 翌日の朝日新聞の論評を読んで驚いた。(中条)と署名のある記事である。
 バレンシア対ウラカンの試合について、こう書いてある。
 「(この試合が)日本サッカー界にどれだけプラスになったか疑問。個人技、体力で彼らにとても及ばぬ日本人が、やろうとしても、やれない異質のサッカーだからだ。若い選手たちが、この日のショーまがいのかっこいい試合を『本当のサッカー』と誤解することこそもっとも危険なことと思う」
 この論評に対して、ぼくは大きな声で異議を申し立てたい。
 この試合が実現するまでのいきさつや運営の仕方については、大いに批判の余地があると思うけれども、それは試合そのものの内容とは別である。バレンシア対ウラカンの試合内容は、けっして「ショーまがいのかっこいい」だけのものではなかった。これこそ『本当のサッカー』であり「日本人がやろうとしてもやれない異質のサッカー」どころか、日本のサッカーが目を大きくみひらいて学んでほしいサッカーである――とぼくは思う。
 いったい、個人技と体力なしでどのような「本物のサッカー」ができるのだろうか。
 個人技こそは、本物のサッカーの基礎であり、体力は、その個人技を試合の中で発揮するための必要条件である。
 朝日新聞の論評は、チームプレーについては触れてないが「個人技と体力のない日本人はチームプレーのサッカーに活路を求めるべきだ。それが『本当のサッカー』だ」というように読みとれる。
 「そんなバカな」とぼくは思う。

個人技こそ基礎だ
 読売新聞には、次のように書いてある。日本リーグ選抜が、FCアムステルダムに勝った試合の戦評である。
 「奔放な個人技を生かしたサッカーが、目立ったスターのいない相手とはいえ、ヨーロッパのプロに対抗できたのは興味深い。チームプレーに頼って、個性を殺しがちな日本のサッカーにとって、いい刺激になっただろう」
 これは、東京本社発行の紙面では無署名だが、ぼくの書いた記事である。比べてみると、サッカーについての考え方が、まったく違うことがわかる。その考え方の違いが、バレンシア対ウラカンの試合の見方と、試合内容に対する評価の違いにつながっている。
 人間の考えは十人十色だから、ぼくの考えが絶対に正しく、朝日新聞に載った論評が全面的に間違っている、というつもりはない。 しかし、ここでは、朝日新聞の論評とは対照的な、ぼくの考え方をもう少し、はっきりさせておきたい。
 まず、バレンシア対ウラカンの試合について――。
 @ケンペスをはじめとするプロのトップクラスの個人技、両チームのドリブルとワンツー・パスを軸とする攻撃、フリーキックやコーナーキックからの攻め、コンビネーションによる守備、両方のゴールキーパーの好守などは、現代の世界のサッカーの最先端をゆくものだった。
 A体力的な面、とくにスピードと激しさについては、彼らの最高のものが出たわけではない。選手たちが、初めての人工芝に用心していたせいもあるが、連戦の親善試合だから、この点でワールドカップなみのものを求めるのは、無理である。
 次に日本のサッカーとのかかわりについて――。
 @体格的には恵まれない日本人だからこそ、彼らの個人技と、すばやさと判断力の良さによるサッカーを参考にしなければならない。
 A個人技と体力で及ばないからといって、別のサッカーを求めることはできない。とくに若い世代の選手たちは、多彩な個人技を身につけ、それをグラウンドで発揮できるようになってほしい。それが『本当のサッカー』への道である。
 以上が、ぼくの考えである。反論には、喜んで耳を傾けたい。


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