甲子園を上まわる
「ベッケンバウアーのやっているチビっ子チームが、こんどの全国少年大会に出るらしいよ」
ぼくの勤めている新聞社の、運動部のとなりにある部の部長さんが、こう教えてくれた。
「ほんとですか。へえ。びっくりしたなあ、もう」
ベッケンバウアーといったってバイエルン・ミュンヘンからアメリカのコスモスに行った、あのベッケンバウアーではない。
わが社内に社員の草サッカーのチームがあって、他の新聞社などのチームと親善試合をやっている。運動部のとなりの部の部長さんはそのチームの総監督である。
このチームのリベロ(と自称している)を務めている“選手”に「おれは、このチームのベッケンバウアーだ」といっている快男児がいる。そのベッケンバウアーが自分の住んでいる町でサッカー少年団の世話をしているが、その少年団が県の大会を勝ち抜いて、7月下旬から東京のよみうりランドで開かれる全日本少年サッカー大会決勝大会に出ることになった――という話である。
ところで、わが社内チームは、日曜日の正午から約2時間、よみうりランドのサッカー場で練習をする。
新聞社という職場は、日曜日といえども休日ではない。月曜日づけの朝刊をつくるために出勤しなければならないが、ただ、日曜日は夕刊を出さないから、出勤は午後からになる。そこで日曜日の昼間に練習するわけである。
本当は午前中に練習すると都合がいいのだけれども、よみうりランドのサッカー場は、読売サッカークラブの少年スクールが使っている。そこで、午前のスクールが終わって、午後のがはじまるまでの間に割り込んで、社内チームの練習をするわけである。
だから、わがチームのベッケンバウアーは大忙しである。午前中は、自分の町で少年チームの面倒をみている。それから、はるばる東京の郊外のよみうりランドまできて、自らリベロを、あい務める。練習が終わると都心の新聞社へすっとんでいって出勤することになる。そんなふうにしてがんばっていたベッケンバウアーの少年団が、みごと県大会に優勝して、ベッケンバウアーのホーム・グラウンド? にコマを進めることになったのは、まことに快挙といわなければならない。
さて、ことしの全日本少年サッカー大会には、全国で3397チームが参加した。これは甲子園をめざした全国の高校野球チームの数を、はるかに上まわっている。
その一つひとつが“わが社のベッケンバウアー”のような欲得なしにサッカーが好きな人たちの献身的な努力によって育てられているのだということを思うと、実に心楽しくなってくる。日本代表チームが、ムルデカ大会で負けたって、たいして問題じゃないような気持になってくる。
もう一つ、気分のいい話を紹介しよう。
先日、神奈川県横須賀市の“シーガルズ”という少年チームからガリ版刷りの新聞を送ってもらった。
新興住宅地らしい地域で活動しているチームのようすが手にとるように報告されていて、なかなか興味深かった。
ガリ版刷りの小さな新聞だけれども、とても要領よく、ポイントをついて編集されている。
それも、そのはずで、この少年サッカーチームのミニコミ発行を担当しているのは、ぼくの商売ガタキになる、ある一流スポーツ新聞の練達のデスクなのである。
地域ぐるみで育てよう
仕事仲間であり、友人であるそのスポーツ新聞のデスクは、自分の子供が通っている小学校の先生の相談にのって、少年サッカーのチームづくりに引き込まれ、サッカースポーツ少年団の世話をするようになったらしい。少年団のメンバーが、100人以上いて、その世話をしている父兄が数十人いる。その1人として、チームの広報を担当しているわけである。
実は、このスポーツ新聞のデスクは、ボウリングでは、日本の草分けの1人であり、ボウリングがブームになる前から、市民のスポーツとして取り上げ、紹介してきた、その道の権威である。
東京の新聞社に出てくれば、デスク(編集者)として部下の記者の原稿に筆を入れ、ボウリング界では専門の権威であるこの友人が、家に帰ったら、1人のお父さんとして、子供たちのサッカーのために、かけずりまわっている。そういうようすを想像しただけで楽しくなった。
「シーガルズ」(カモメという意味である)の新聞を送ってもらったお礼の葉書を送ったら、おり返し電話がかかってきて「神奈川県の少年大会でベスト8にはいりました」と報告してくれた。
全日本少年サッカー大会に出場してくるチームの性格は、さまざまである。
小学校単位のチームもあるし、市内の各小学校から、素質のある子供を集めて編成したクラブもある。PTAや子供会が世話をしているチームもあるし、おとなのチームが面倒をみている少年スクールのチームもある。
全体としては、一つの小学校を単位にしたチームが多いようで、これは当然のことだろう。小学校は、地域ごとにあるのだから、地域のクラブチームとしてつくっても一つの小学校の児童によるチームになるのは、ごく自然である。
しかし、これが「小学校の先生のチーム」ばかりにならないように、とぼくは願っている。
小学校の先生は、子供を扱うことにかけては専門家だから、先生がチームの指導に協力してくれれば、これにこしたことはない。しかし、熱心な先生に頼りすぎていると、その先生が転勤すればチームはおしまいになりかねない。
その地域に住みついている人たちが、会社員だろうと、新聞記者だろと、お坊さんだろうと、お米屋さんだろうと、みんなが力を出しあって盛り立てる。そういうチームが増えてほしいと思う。
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