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サッカーマガジン 1979年4月25日号

時評 サッカージャーナル

サッカー用語の乱れ?

“さらす”とは何か
 「ええと“さらすな”ということを私たちはいいますが……。“さらす”という言葉はご存じでしょうが……」
 日韓サッカー定期戦で、下村全日本が初陣を飾ったあと、下村監督と渡辺コーチが国立競技場の記者室(スタンド下にある)へ来てインタビューを受けた。そのときに“ワッタン”こと、渡辺コーチの口から「さらす」という聞き慣れない言葉が飛び出した。
 「なぬ、なぬっ! なんじゃいそれは!」
 という感じだ。サッカー記者25年。不勉強のせいか、そんなサッカー用語は知らねえなあ。
 そのときは、話の本筋とはあまり関係がなかったから、素知らぬふりして聞き流し、あとで電話をかけて“シモさん”こと下村監督に聞いてみた。
 「“さらす”って、いったい何ですか」
 聞くはいっときの恥、聞かぬは一生の恥である。
 下村監督の説明によると、ボールをキープするとき、奪いにくる相手の選手の側、つまり相手にとられやすい場所にボールを置くのを“さらす”というんだそうである。もちろん相手にボールを“さらす”のは、良くないプレーの例である。
 このこと自体は、別に目新しい考えではない。ドリブルをするとき、ボールと相手の間に自分の体を入れる。つまり、自分の体で、ボールを相手から守るようにすることは、たいていのサッカーの入門書に書いてある。
 「さらす」というのは、漢字で書けば「曝す」だな、とぼくは推察した。これは当用漢字表にはいっていない字だから、いまの若い人には、ピンとこないんじゃないだろうか。 
  これもシモさんに聞いたのだが近ごろよく「きれ」という言葉が使われるんだそうである。たとえば、左サイドから相手のフォワードがドリブルしてくる。味方のバックが、それを迎え撃つ。そういう場面で、その背後をカバーしている別のバックやゴールキーパーが「左きれ」というように叫ぶのだそうである。
 「へえ、それはまた何ですか」
 「左側を抑えてパスのコースをふさげということなんですな。ほら、むかしはワンサイド・カットといったでしょう。あれですよ」
なるほど「カット」か。つまり「切れ」だな、とようやく納得した。
 「高校の選手たちが、よく使ってますね」
 近ごろのヤングは、フィーバーだとかサバイバルだとか何でも横文字にするのかと思ったら、逆に横を縦にすることもあるらしい。
 「そうなんです、そういうのを翔(と)んでるっていうんです」
 うーむ、参った。精いっぱいがんばって若い人たちのセンスについていってるつもりなんだけど、やっぱり昭和ヒトケタ生まれは「遅れてるウ」だな。
 渡辺コーチが新生全日本の合宿でよく使った言葉に「ツノヘボールを入れろ」というのも、あるそうだ。
 1人がボールをキープする。当然、相手がマークに寄ってくる。そこへ味方がサポートに寄る。そういう場面で、ボールサイドへ、パスをもらいに寄ってやることを「ツノを出す」というらしい。ただ漫然と寄る動きをするだけではダメで、ボールをキープしている選手に、サポートに来ていることがはっきりわかるように、パスをもらえる場所で顔を見せてやらなければならない。ツノを出した選手には、すかさずボールを渡せ、というわけである。

“フチョウ”では困る

 説明を聞いてみると、みなそれぞれに、ぴったりくるところがあって、巧みな表現である。
 ただ、こういう言葉が、一部の限られた人びとの間だけで通用する“特殊用語”として使われているのであれば、ぼくはあまり使いたくない。ヤクザの世界の人たちが、自分たちの仲間内だけで通用するフチョウ(用語)を使って仲間意識を固めているのと同じようなつもりで、サッカー部の仲間だけしかわからない言葉を、むやみにつくり出して、使いたがるのなら賛成できない。
 ぼくたちは、新聞や雑誌に記事を書くのが商売だから、何万人、何十万人の読者全部にわかってもらえる言葉を使いたい。とくにサッカーは「大衆のスポーツ」でなければならないと思うから、大衆に理解できない用語は、できるだけ避けるように心がけている。
 もっとも、新しい言葉に対してあまり臆病になると、かえって大衆よりも「遅れてるウ」ということになりかねない。
 7、8年前に、イギリスのサッカーの本の翻訳をしていて「ワンツー」という言葉が出てきた。原文を無規して「壁パス」と訳してしまったのでは、味もそっけもないから、そのまま「ワンツー」として、わざわざ“訳注”をつけて、説明を加えたことがある。
 ところが、しばらくたって、高校生や中学生のサッカーファンがなんの抵抗もなく「ワンツー」を使っているのに気がついた。
 これは東京12チャンネルの金子アナウンサーが、イングランドの試合のテレビ放映のときに連発して、とうとう流行させてしまったもののようだ。テレビの場合は、画面にワンツーの壁パスで突破する場面が映る。そこですかさず金子アナウンサーが「ワンツー」と叫ぶから、訳注なんかなくても、即(そく)わかるわけである。
 ただし、この「ワンツー」も、「サッカー・マガジン」の誌上では使えるが、広く一般読者の目に触れる新聞紙上で、注釈なしに使う勇気は、ぼくにはまだない。
 近ごろ、よくコーチたちが使っている言葉で「これはイケる」と思っているのが二つある。
 一つは「クサビを打つ」という言葉で、中盤からゴール前へのスルーパスをさしている。もう一つは「勝負ダマ」で、ラストパスのことである。横文字を使うよりも一般の読者にわかりやすいように思うが、これも乱用すると「サッカー用語の乱れ」だろうか。


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