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サッカーマガジン 1979年4月10日号

時評 サッカージャーナル

人材のムダづかい

三菱・細谷の引退
 新しいシーズンがはじまり、若い新人がはいってくると同時に、何人かの、顔なじみの人たちがグラウンドから消えてゆく。サッカーに限らない。スポーツの世界はみな同じである。
 先日、三菱の細谷一郎選手が電話をかけてきてくれた。
 「選手生活を退くことになりました」という。天皇杯の準決勝、古河との延長後半にみごとな決勝ゴールをあげたのは、つい先日のような気がするのだが……。
 「あのゴールが、いい思い出になりました。(新聞に)書いていただいたし……」
 電話の声は、やはり、ちょっぴり、しんみりしていた。
 細谷選手は33歳。日本のサッカー選手としては、長く現役をやったほうである。今後は、サッカーとは縁を切って、会社の仕事に専念するらしい。
 「でも、英語のサッカーの本の翻訳でもあったら、やらせてくださいよ」と、まだ、白黒のボールに未練がありそうなことも言っていた。
 クレバーでカンのいい選手だったから、三菱の社員としても細谷選手はエリート・コースを歩むだろうと思う。しかし、本当に「それでいいのだろうか」という気もする。というのは、日本のサッカーはここで1人の責重な人材を失うことになるからだ。
 細谷選手は、優秀な三菱社員であるにしても、「余人をもって代え難い」というほどではないだろう。大三菱には、ほかにも人材はたくさんいると思う。
 しかし、日本のサッカーにとっては、細谷選手ほどの才能は、他に代わりのない責重なものだ。彼ほど、すぐれた選手としてのキャリアを持ち、技術も頭脳もあり、さらに、今後も勉強していきたいという情熱をもった人材は、ざらにはいない。
 そういう人材が、ただのサラリーマンになるのは、もったいない。
 巨人の王選手は、ソロバン2級の腕前である。高校のときに習ったものだそうだけれど、いまでも打率の計算など、頭の中にソロバンを思い浮かべて暗算でパチパチとやってしまう。
 しかし、だからといって「王選手は銀行で働いたほうがいい」という人がいるだろうか。ソロバンのうまい人は銀行にはたくさんいるが、世界のホームラン王は、王貞治だけである。だから王選手が銀行で働くのは、人材のムダづかいであり、社会の損失である。だれだって、王選手は現役を引退したあとも、野球界で働くべきだと思うだろう。細谷選手の場合もそれと同じだ。
 ただ、残念ながら日本のサッカーはアマチュアだから、細谷選手が現役を退いたあともサッカーのために働きたいと思ったところで、才能に見合うほどの報酬を払うところはない。三菱の社員として安定した給料をもらい、出世したほうが、本人のためである。したがって人材のムダづかいを黙ってみているほかはない。
 人材のムダづかいといえば、日本代表チームから退いた二宮寛前監督もそうである。三菱の社業に戻って輸出関係の仕事をするそうだが、外国だったら、たちまちどこかのプロチームから声がかかって、高給で監督に迎えられるだろう。
 代表チームから退かなければならなかったのは不運だったが、サッカーの指導者として才能のあることは、過去の実績からみても、明らかだからである。

珍しいトレード
 そうでなくても、日本のサッカーには人材が少ないのに、貴重な人材をサッカー界の外に追いやってしまうような現在の仕組みでは、いつまでたっても、日本のサッカーは強くならないし、盛んにもならない。これは日本にプロがないための、大きなマイナスである。
 プロでないために、トレードができないのも、人材のムダづかいを助長している。
 あるチームに、日本代表候補クラスのゴールキーパーが、3人も集まっていたことがあった。ポジションは一つしかないから、あとの2人は人材のムダづかいである。プロだったら、少なくとも1人はトレードに出している。
 ゴールキーパーは、守りの最後のとりでだから、信頼のおけるベテランがいると、思い切って若手を起用してみる気には、なかなかなれない。しかも経験がものをいうポジションだけに、試合に使ってもらえない若手はベテランのレギュラーをなかなか追い抜けない。そのため、サブの若手のほうが先に引退することになって「名キーパーのあとに名キーパーなし」という結果になる。
 ゴールキーパーは、ポジションが一つしかないため目立つけれども、ほかにも、こういう人材のムダづかいは多いはずである。これはトレードができれば防げるムダである。
 実をいうと、日本でも“トレード”に似た例が日本リーグにないわけではない。
 ことしの読売クラブに、どこかで見たことのあるような名前が新たに登録されている。
 ゴールキーパーの福本豊明選手は、一昨年まで日立にいた。在籍5年。日本リーグでは3試合に出場しただけである。     ”
 もう1人、田中稔選手は昨年までフジタにいた。在籍7年、44試合に出ているが、一昨年あたりから、ほとんど出番がなくなっていた。
 永大のように、チームが解散したため選手が他のチームに移った例はあるが、同じ日本リーグ内の“移籍”は珍しい例だろう。
 福本選手は、日立系の会社に勤めながら、サッカーは読売クラブでやるそうだ。これは読売がクラブ組織であり、日立のサッカー部に理解があったから実現した例外的なトレードだが、この移籍選手が新チームで才能を生かすことができたら、日本のサッカーにとっ
ては画期的な“人材の活用”ということになる。  


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