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サッカーマガジン 1978年4月25日号

時評 サッカージャーナル

ジョージ与那城の世界

ブラジル育ちの個性
 日本リーグの1、2部入れ替え戦に読売クラブが勝ち、念願の1部昇格が決まった試合のあと、ジョージ与那城は西が丘サッカー場でつぎつぎにやってくる子供たちに親切にサインをし続けていた。
 「ジョージ、おめでとう」と声をかけたら、顔をあげてニッコリ笑った。
 「長かったですねえ」――これがジョージの勝利第一声だった。
 たしかに長かった。6年前にジョージが初めて日本に来た日のことを、ぼくはよく憶えている。羽田の国際線到着ロビーに出てきたのは、まだ子供っぽさのぬけない紅顔の青年だった。生まれて初めての海外への一人旅。日本語がしゃべれなくて、飛行機の中で知り合ったポルトガル語のできる日本人に付き添われて出てきた。ロビーでの簡単なインタビューを、親切にも、その人が通訳してくれた。
 あのときジョージは20歳。読売クラブの中心選手になったいまは26歳である。その間に彼はずいぶん成長した。身体もおとなっぽく、がっちりしてきたし、日本語も不自由なくしゃべれるようになった。しかし、なによりも目ざましいのは、プレーぶりの成長だろうと思う。ジョージの前にも後にも、ブラジルから来て日本リーグでプレーしている選手は何人もいるが、日本に来てからジョージのようにプレーが伸びた選手は少ないのではないだろうか。
 「そんなことはない。ブラジル選手第1号だったネルソン吉村だって、ヤンマーで釜本と組んでいる間にプレーに幅が出てきた。フジタの2冠に貢献したマリーニョだって、一昨年と昨年では、見違えるように変わったじゃないか」
 こんな意見もあるにちがいない。確かに、それはそのとおりだ。 ただ「ちょっと違うぞ」とぼくが思うのは、吉村やマリーニョの場合、彼らがもってきたブラジル育ちの能力が土台になっているにしても、日本に来てから伸びたのは、本格的なトレーニングによって鍛えられ、日本的サッカーに適応するように手直しされたためじゃないか、と思うからである。
 ジョージ与那城の場合は違う。彼は、ブラジルからもってきたサッカーを、そのまま伸ばし続けてきた。彼の能力に枠をはめて日本的サッカーに合うように変形したのではなかった。ジョージの能力に合うように読売クラブのプレーぶりのほうが変わっていった。
 これは、ちょっと極端な、誇張したいい方かもしれない。しかし一面の真実ではあると思う。だから与那城のプレーには、日本で6年間もプレーを続けていてなお、日本のサッカーにはない独特の個性があふれている――とぼくは見ている。
 どんなところが個性的かは、読売クラブの、調子のいいときのプレーぶりを見てもらえばわかる。
 例をあげれば、与那城は攻撃の第二線から飛び出し、相手のバックの間に割ってはいって、強引にゴール正面を突破しようとする。スルーパスを相手のバックをもっとも近くに引き寄せて受けてボールといっしょにすり抜けていく。
 彼は、ボールに触らないで、身体だけを動かして、相手の逆をとるフェイントをよく使う。ボールをこねくりまわさないで縦に出ようとするから、スピードが落ちない。うまく成功すれば相手を置きざりにし、ゴールキーパーと1対1の決定的なチャンスになる。
 読売クラブの西邑昌一監督は、こんなふうにいっていた。
 「ジョージはうまい。ボールをもてて、抜けて、その先に開けるスペースを読む先見性がある。ああいう能力のある選手がいなくて、ただパスをまわしてつないでいるのが、いまの日本のサッカーじゃないのかな」

相手とのかけひき
 与那城は、シュートにも独特のものをもっている。いつもシュートに“ねらい”がある。
 相手のバック2、3人を前に置いて、ゴール前を横にドリブルする。「相手のバックは、こう引きずられるだろう」「ゴールキーパーはこう動くだろう」ということを本能的に読んだうえで、抜き打ちにシュートしたりする。目のさめるような強烈なシュートではない。ときにはふわりと、相手の動きの逆をとって、ゴールのすみっこに落とし込んだりする。シュートもドリブルも、同じように、身体とボールを活用しての、相手との“かけひき”である。
 いいところばかり書いたけれども、もちろんジョージ与那城に欠点がないわけではない。いや、むしろ欠点のほうが目立つようなプレーヤーである。さきに「読売クラブの調子のいいときのプレーを見てもらえば……」と書いたが、これを裏返していえば「調子の悪いときには別人のようにヘタな試合をする」ということだ。
 ブラジルでもプロの一流選手は攻撃でも守備でも、すぐれた能力を示すオールラウンド・プレーヤーである。またリードされ、攻め込まれている苦しい局面でも冷静さを失わずに、激しくがんばって逆転のチャンスを見いだそうとする。ワールドカップでのブラジル・チームのそういう試合ぶりを、ご存じの人も多いだろう。
 ジョージは、こういう選手たちの良さは持ち合わせていない。守備にまわってがんばることは少ないし、1点でもリードされると不必要にいらだって良さを失ってしまう。外国風にいうと、典型的な「アマチュア」である。外国のアマチュア・チームには、得意なプレーだけを見るとプロそこのけの選手がよくいるものだ。
 そうではあるけれども、1部にあがった読売クラブの試合で、ジョージ与那城の欠点には目をつぶり、長所のほうをよく見ていただきたい。
 というのは、この長所はジョージが子供のときから草サッカーばかりやっている間に身につけ、日本に来て、クラブ・チームにはいったおかげで、あまり規制を受けなかったために伸びたものだと思われるからである。
 そして、これは教えられ、統制されることの多すぎる日本のサッカーに、もっとも欠けているものだと思うからである。


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