アーカイブス・ヘッダー

 

   
サッカーマガジン 1977年12月25日号
時評 サッカージャーナル

国民体育大会の改革

補強でも、単独でも
 国民体育大会に参加するチームの編成方法が昭和53年から変更されることになった。すでに先の青森国体のときに開かれた日本サッカー協会の全国理事長会議で長沼専務理事が説明したとのことだから、各都道府県のサッカー協会では承知しているはずである。
 これまでの国民体育大会には、各都道府県ごとの「選抜チーム」が出場していた。
 たとえば青森国体に出場した「少年の部」の埼玉県代表チームは、15人の選手が5つの高校チームから選ばれていて、そのうちの7人だけが浦和南の選手だ。一つのチームからは、15人のうちの半分以下、つまり最大限7人しか選ぶことはできない規則だったから、そうなったわけである。
 この方式が廃止されて、来年からはどうなるのか? 新聞には「単独でも、補強でも、選抜でもよい」と出ていたが、実際のところはどうなのか? 長沼専務理事にただしてみた。
 「単独でも、補強でも、選抜でもいいというけれど、三つの方式のうち、どれをとるかは誰が決めるんですか? 各都道府県のサッカー協会が決めるんですか?」
 「うーん。青森の理事長会議では、そう説明しました」
 「現実にはどうなるんでしょうかね。単独チームの県が多くなるでしょうかね。それとも多少は補強するかな? 完全な選抜チームはなくなってしまいそうだな」
 「うーん。どういうふうになるか、やってみなくちゃどうも」
 「日本サッカー協会としてはどうなんです。三つの方式のうち、どれが望ましいと……」
 「うーん」
 長沼専務理事の返事は、歯切れが悪い。歯切れが悪いのも当然で、この改正には日本サッカー協会は、もともと乗り気じゃないのである。サッカー協会の加盟している日本体育協会が、文部省の意向を受けて「国体の選抜チーム参加は困る」と圧力をかけてきた。サッカー協会がこれに抵抗して、さんざん苦慮したすえ「三つの方式のうちのどれでもいい」という妥協案に落ち着いたという内幕がある。
 体協がなぜ「選抜チームでは困る」といい出したかといえば、これにはさらに内幕の内幕がある。
 数年前にある野党の議員が国会で体協や国民体育大会のあり方を追及して政府に質問したことがあった。「国民体育大会には、競技団体に登録した一部の選手たちしか参加することができない。国体を“オープン化”して、一般大衆が誰でも参加できるようにしろ」 という趣旨だった。
 この質問には、ちょっとピントのずれたところがある。競技団体は、それぞれのスポーツについて責任を分担している。陸連は陸上競技について、サッカー協会はサッカーについて、それぞれスポーツを盛んにして、大衆のために競技会を組織する責任がある。ポイントは、競技団体そのものの民主化と大衆化であって、競技団体に誰でも気軽にはいることができれば、国体にも、誰でも気軽に参加できるはずである。それを飛び越して国体の“オープン化”を主張するのは見当がはずれている。
 しかし、政府すなわち文部省はあわてふためいて、体協に国体のオープン化を考えるように要求してきた。というのは体協にも、国民体育大会にも政府の補助金が出ている。国体が国民全体のものでないとなると「国体に補助金を出すのなら他の国民スポーツ団体の主催するスポーツ祭にも補助金を出せ」という要求が出てくるかもしれない。文部省はそれを、おそれたようである。

町のクラブにもチャンス
 革新議員の質問が原因のすべてではないにしろ、とにかく体協は国民体育大会の大衆化に乗り出した。各都道府県さらには各市町村で国体につながる大会を開き、それには国民大衆が、比較的簡便に参加できるようにする方針で競技団体を指導しはじめた。それはそ
れで、非常にけっこうなことだ。
 ただ、そうなるとサッカーの選抜方式はぐあいが悪い。サッカーが選抜方式を採用したのには、それなりの理由と利点があったのだが、やはりトップレベルの選手のための方式だという感じは免れない。国体に広く底辺のチームの参加を求めるという趣旨からは、ちょっと離れている。
 次回の国体からサッカーの方式が変わるのは、以上のようなわけである。したがって、かりにある県が、これまでと同じような「選抜チーム」を編成するにしても、県の大会(つまり国体の県予選)をやらないで、いきなり選抜チームを作ることはできない。底辺からの積み上げの趣旨に沿わないからである。来年からは「選抜」にせよ「補強」にせよ「単独」にせよ必ず各都道府県で“国体予選”を行うことになる。
 底辺のチーム数が増えた現在では、この国体予選を本格的にやるとなると、たいへんな時間と労力を要することになるだろう。「少年の部」の場合、夏の高校総体と秋の高校選手権大会予選の間に国体予選がはさまるわけだ。過密スケジュールで頭が痛くなるのではないだろうか。
 しかし、新しい方式には、これまでにはなかった大きなメリットもある。それは高校チームではない町のクラブの同年代のチームが初めて公式の大会に参加する機会を得ることである。
 たとえば、近江達先生が指導しておられる大阪の枚方クラブや、日本リーグ2部の読売クラブの下にある読売ユースチームは、4月に、日本サッカー協会の第2種に登録しておけば、国体予選の出場資格を得られる。
 実をいうと国体のサッカーは、昭和44年までは単独チームの参加だった。ただし当時は「少年の部」ではなくて「高校の部」となっていた。だが現在は事情が違う。昭和53年度長野国体には「昭和35年4月2日以降に生まれた者」で編成されたチームは単一の高校チームでなくても参加できる。この改革の意味は、体協やサッカー協会が考えている以上に、大きいかもしれない。


前の記事へ戻る
アーカイブス目次へ

コピーライツ