プロ第1号の意義
古河電工の奥寺康彦選手が、日本のサッカーのプロ第1号として西ドイツの“1FCケルン”に移った。これは最近に珍しい快ニュースである。奥寺君、万歳
伝えられるところによると契約金25万マルク(約3000万円)、年俸は20万マルク(約2400万円)だという。3年契約で総額1億円以上になる。日本のプロ野球で、これだけ稼げる選手は、王や張本など数えるほどしかいない。だからぼくの周辺に「本当にそんなにもらえるのかね」と疑わしげな目できく連中も多かった。「税金もだいぶとられるとは思うけど、総額としては正解じゃないか」とぼくは答えた。西ドイツの新聞には、奥寺康彦の日本字サイン入りの契約書のコピーの写真が出たそうだ。
「そんなにもらって、それだけの活躍ができるかなあ」というのが、“奥寺”の名前を今度のニュースで初めて知った人たちの第二の疑問である。これはぼくにも、なんともいえない。ケルンのバイスバイラー監督は、奥寺のスピードを高く評価したらしいが、一流のプロとして活躍するには、体力や技術のほかにプラス・アルファーが必要である。奥寺君がそれを持っているかどうかは、一流のプロの間にはいって、やってみなくてはわからない。
しかし、奥寺君がケルンで成功しようとしまいと、日本のサッカーから生まれたプロ第1号としての意義は変わらないだろう。奥寺君に続いて「ぼくもプロでやってみよう」という若い日本のサッカーマンが、これからつぎつぎに続くだろう。そのトップを切った奥寺君の勇気に敬意を表したい。
さて、奥寺君のもらう金額や彼の実力の程度に、多くの人の興味が集まったようだけれども、ぼくは、もう一つの意義を彼のプロ入りに見出している。それは。ごく一部の人を除いて、日本の社会の大多数が“奥寺プロ入り”にまったくアレルギーを起こさなかったことである。これは日本のスポーツ界が、いまなお、偏狭で、古くさいアマチュアリズムに毒されていることを思うと、とても、すばらしいことだった。
奥寺君がケルンにはいる決心をした、と聞いたとき、ぼくは古河電工の鎌田光夫監督のところに電話をかけた。
「本人は古河電工を退職してケルンに行きたいといっているようだけど……」
鎌田監督は笑って答えた。
「いやあ、それは本人が覚悟のほどを述べたわけですよ。ケルンに行って失敗したら、また古河に帰ってきます、というような甘い考えではプロのプレーはできませんからね。こちらは、できるだけいい形で本人の希望をかなえてやりたいと努力しているところです」
数日後に正式発表になったのをみると、奥寺君は古河電工を「休職」となっていた。「休職」というのは、古河電工の仕事は休むが社員としての籍は残しておく、ということである。
「無期限の無給休職ですが、これは他にもよくある例でございまして、古河電工の社員が、他の関連会社に出向するような場合には本社のほうは休職になるわけでございます」と、発表の席で古河の守サッカー部長は説明した。
この説明をきいて、ぼくは驚嘆した。
古河電工は、電線ケーブルなどの生産をしている“堅い”会社である。その堅い会社がプロ・スポーツのチームに移る社員を他の会社に出向するのと同じように考えて扱うことができる――その柔軟さに、びっくりした。
体協アマ規定の足かせ
考えてみれば、これは当たり前のことである。
プロ・スポーツも、社会の立派な一部分であって、特に差別しなければならない理由は何もない。スポーツのプロになるのを、何か特殊な世界へ移るように考えるのは、日本だけにある偏狭なアマチュアリズムの感覚である。国際的な仕事をしている日本の大企業のトップがそんな時代遅れの感覚にとらわれるはずがない。
ところが日本のスポーツ界の中には、まだ、そういう古い感覚が残っている。プロとアマチュアが接触するのは不潔だという感じでプロの世界とは“縁切り”をしなくてはならないと考えている人たちがいる。日本体育協会の「アマチュア規定」が、その例である。
体協のアマチュア規定では、日本体育協会に加盟している競技団体は、アマチュアの選手以外は、登録させてはいけないことになっている。プロとアマを一つの団体に入れては弊害があるという考えである。
陸上競技やラグビー(15人制)のような、国際的にアマチュアだけで成り立っている競技団体ならそれでもいい。しかし体協には、サッカー、テニス、卓球など、いろいろなスポーツ団体が加盟している。それを一つの、偏った考えによるアマチュア規則で、同じようにしばるのは間違っている。
ご承知のように、サッカーではプロもアマも、その国のサッカー協会が登録させ、統制するのが国際的な決まりである。協会から離れて別の組織を作ることは禁止されている。しかし、日本では現在の体協アマチュア規定にしばられている間は、日本サッカー協会がプロ選手の登録を受け付けることはできないわけである。
つまり、体協のアマチュア規定は、日本のサッカーにプロフェッショナルの制度を取り入れるための足かせになっている。足かせはほかにもあるが、これは特に重い足かせである。
今回の奥寺のプロ入りが、この足かせをはずすための、一つのきっかけになれば、すばらしいとぼくは思う。古河電工をはじめ日本の一般大衆は、奥寺のプロ入りにアレルギーを起こすどころか、むしろ好意的だった。このことは体協のアマチュア規定の考え方が古くて間違っていることを、明らかに示すものだと思うからである。
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