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サッカーマガジン 1977年8月10日号
時評 サッカージャーナル

アメリカのプロに学ぼう

NASLの成功
 プロ野球のヤクルト・スワローズにロジャーという外人選手がいる。元大リーガーである。
 そのロジャーの家族が夏休みになって日本へやってきた。カーラ夫人と男の子2人。長男のクラーク君は中学1年生で「アメリカでは野球のリトル・リーグとサッカーをやっている」という。
 お父さんがプロ野球選手だからリトル・リーグはわかる。だけどアメリカの子供なのになぜサッカーを? と疑問に思ったら、お父さんのロジャー選手が次のように説明してくれた。
 「いま、アメリカではサッカーをやる少年が増えてるんだ。アメリカン・フットボールは子供には向かないからな」
 それで思い出したのだが、昨年の9月、モントリオール・オリンピックの帰りにニューヨークヘ寄ったとき、五番街の書店のスポーツの棚に少年向きサッカーの本が、かなり並んでいた。野球やゴルフやテニスと同じくらいか、それ以上に種類があった。  
 「うーむ。アメリカのサッカーもいよいよ本物になってきたんだな」
 ロジャー選手の話とニューヨークの書店の棚とを思い合わせて、「なるほど」と納得した。
 アメリカのサッカーが、ここ数年の間に急速に普及したのは、11年前にスタートしたプロのNASL(北米サッカー・リーグ)が推進力になったためである。このNASLも、今シーズンは特に景気がいいようだ。
 さる6月19日にニュージャージー州メドーランドのジャイアンツ・スタジアムで行われたコスモス対タンパベイ・ローディースの試合は6万2394人の観衆を集めた。これはアメリカのサッカーの観客動員最高記録である。
 このジャイアンツ・スタジアムは、ニューヨークから川ひとつ隔てたところにあり、州は違うけれどもマンハッタンから車で20分足らずの便利なところにある。テレビの画像を映し出せる巨大な電子スクリーンなど最新の設備を誇り3階建ての7万6800人を収容するスタンドを持っている。
 このスタンドがほとんど埋まっているのを見て、ペレは「アメリカのサッカーを盛んにしようと思ってコスモスにはいったが、その日がこんなに早くくるとは思わなかった」と喜んだそうだ。ペレはベッケンバウアーとコンビを組んで活躍し、この試合でハットトリックを演じた。
 翌日のニューヨークの新聞は、この試合の記事をスポーツページの1面で扱った。
 ニューヨーク・ポストは、ペレとベッケンバウアーが抱き合って喜んでいる写真を載せ「サッカーのもっとも偉大な日」という大見出しをつけた。
 同じ日に、アメリカのスポーツ界では年間を通じてのビッグ・エベントの一つであるゴルフの全米オープンの優勝者が決まったのだが、ニューヨーク・タイムスは、ゴルフとサッカーをともに1面で同じくらいのスペースで扱った。
 「ついにアメリカにサッカーが根をおろした」というのが、各新聞の論調だった。
 その4日後にセントルイスで行われたコスモスの試合も、5万人以上の観衆を集めた。「セントルイスで最後のペレ」が、キャッチフレーズだったらしい。
 4年前にはアメリカではペレの名前を知らない人が多かったのだから、これだけの人間をペレの名前で集められるようになったのは、大したものである。

きびしい開拓精神
 アメリカで、このようにサッカーが盛んになってきたのは、良い意味での“プロフェッショナリズム”の勝利だと、ぼくは思う。
 NASLは、完全なプロのリーグだから、入場料を払って見にきてくれる人がなければ成り立たない。そこで観客を集めるために、各チームはそれぞれ必死の努力をする。
 アメリカでは、サッカーそのものが、あまり知られていなかったのだから、関係者の努力は、まずサッカーを普及させるという気の遠くなるような計画からスタートしなければならなかった。
 しかし、サッカー・チームに投資してくれた企業家たちは、サッカーがアメリカに根をおろすのを、根気よく待ってくれるほど気が長くはない。実際に、11年前にNASLがスタートしたときの22チームの中で、今季の18チームに残っているのは、セントルイス・スターズとダラス・トルネードの2チームだけである。
 そういうわけで、アメリカにサッカーを植えつけようと努力している人たちは、次から次へと新しいスポンサーをさがしながら、底辺でサッカーを育てる計画と、トップのプロリーグを成功させる計画を、同時に推し進めなければならなかった。その計画は三つの面から推進された。
 第一は、外国からトップクラスの選手をどんどん移入することである。ペレ、ベッケンバウアー、ジョージ・ベスト、ボビー・ムーア、エウゼビオなどがアメリカに行ったことは、ご承知のとおりである。
 第二は、大胆な改革をどんどん実行したことである。たとえば、得点数によって勝ち点にボーナスを加えて、攻撃的な試合をさせるような試みを、次から次へと採用した。星条旗をアレンジしたNASLのボールを意匠登録し、各チームのマークとともに、商品化のために売り込むようなことも、積極的にやっている。
 そして第三が、草の根サッカーの開拓である。「NASLユース・キャンペーン」の計画をたて、少年サッカーを指導育成し、将来の選手と観客を開拓するという遠大なプランに手をつけた。
 重要なポイントは、こういう大事業を推進している人たちがプロフェッショナルであって、このNASLの事業に体を張り、生活を賭けているということだ。大企業から月給をもらい、労働組合に身分を保証されながらサッカーの運営をやっているわけではない。
 アメリカのきびしいプロフェッショナリズムに裏打ちされた開拓精神を、日本も学ぶべきではないかと、ぼくは思う。


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