アーカイブス・ヘッダー

 

   
サッカーマガジン 1977年8月25日号
時評 サッカージャーナル

サッカーの新しい用語

テンポ・フットボール
 いま『べッケンバウアーの少年サッカー』という本の翻訳をやっている。少年むきにやさしい文章で書いてある本だけれども、内容は高級だ。高校や大学の選手はもちろん、トップレベルのコーチが読んでも、得るところは大きいと思う。
 3カ月ほど前に、出版社の友人が、この本を持ってきて貸してくれた。ドイツ語はにが手だが、文章が少なく、やさしいので、ポツポツ拾い読みをしていて「できたら日本語訳を出したいね」などとのんびりしたことをいっていた。
 そのうちに、ベッケンバウアーがアメリカのコスモスにはいるニュースが新聞に大きく出て、しかもそのコスモスが9月に日本にくるという話が伝わった。
 友人が飛んできて「あの本、すぐやりましょう」という。翻訳権をとったから「コスモス来日の前に出版したい。10日間で訳してもらわないと、間に合いませんよ」と性急な話だ。     
 いかに文章がやさしいといっても、ドイツ語の1冊の本を10日間で訳すなんて、ぼくの能力を超えている。幸い、大学のサッカー部の後輩に最近、ドイツ留学から帰った人がいるので、救援を仰いで目下、大わらわで横のものを縦に直している、というわけである。
 この本の中に「テンポ・サッカー」Tempo-Fussballという聞き慣れない言葉が出てくる。
 「それはね、1974年のワールドカップのあと、ドイツではやっている言葉ですよ」と、留学帰りの青年が説明してくれた。
 「スピードのサッカーといったらいいのかなあ。すばやく攻めこむサッカーでボルシア・メンヘングラッドバッハは、その典型だといわれています」
 南米のサッカーのように、個人の技巧をゆっくりみせるスタイルではなく、チームとしてのスピードを生かす攻め方だが、単純な長い縦パス1本の速攻とは違う。速いテンポでパスをつないで突破をはかる――そういう感じじゃないかなあ、とぼくは想像した。
 1974年のワールドカップのころには「トータル・サッカー」という言葉がはやった。主としてリヌス・ミケルス監督の率いたオランダの試合ぶりをさして使われた言葉で、その意味はミケルス監督自身が、サッカーマガジンに寄稿した連載「リヌス・ミケルスのトータル・フットボール」(7月10日号)の中で説明しているからここでは繰り返さない。
 このトータル・サッカーに対して「ユニバーサル・サッカー」という言葉もある。これはベースボール・マガジン社から出版された『世界サッカー史』(オルドジッフ・ジュルマン著、大竹国弘訳)の中に出てくる。
 この本はチェコスロバキアのものだが、著者は「トータル・サッカー」という表現に、あまり好意的でないように読みとれた。オールラウンドなテクニックを持つプレーヤーによるオールラウンドなチームプレー――それを表現するのに「ユニバーサル」という言葉を使ったようだ。
 ついでながら、この『世界サッカー史』は、なかなかいい本だとぼくは思っている。ワールドカップの記録と歴史を、これだけ詳しくまとめた本は、まだ日本では他にないし、ヨーロッパカップなどの、日本ではよく知られていない競技会の歴史や記録を、第1回から集めたものも、日本では他には出ていない。
 豪華保存版で、ちょっとお値段ははるけれども(9500円)、サッカーの好きな人は、1冊持っていていい本だと思う。

翻訳はむつかしい
 しかし、どのような出版物にも多少のミスは免れない。この『世界サッカー史』は、ぼくも監修者の1人に名を連らねて、できるだけ丹念に翻訳原稿に目を通したつもりだったけれども、写真の説明に見落としがあって、さっそく、サッカー史の権威である大先輩の新田純興氏からお叱りを受けた。
 巻頭の写真版のページに「イギリスはランカシャーの学生たちのフットボール。1863年当時のスケッチによるもの」という説明の絵が載っている。絵そのものはいろいろな外国のサッカー史の本に掲載されている有名なスケッチである。
 違っているのは説明の文章で、これは「1879年のイングランドとスコットランドの国際試合」である。棒にツナを張っただけの簡単なゴールの前で、少なくとも15人のプレーヤーがひしめいており、とても現代の感覚からは“国際試合”とは思えないが、よく見るとイングランドの選手が、胸にいまのと同じナショナル・チームのマーク(協会のマーク)をつけている。たしかに、これは国際試合である。
 そういうわけで、申し訳ないがこのページを借りて訂正させていただくことにしたい。
 ところで、ぼくがいいたいのは言い訳がましいけれど「サッカーの本の翻訳も、むつかしい」ということである。
 たとえば、いまやっているベッケンバウアーの本に出てくる「テンポ・サッカー」という言葉を、そのままいきなり出しても、日本の読者にはわからないだろう。そこで「スピードと激しさの現代のサッカー」というように訳してしまうのだが、それが当たっているかどうかは心もとない。
 前にエリック・バッティ氏の本を訳していて「ワンツー」という言葉が出てきた。壁パスのことだが、そのままではわからないだろうと思って、わざわざ訳注をつけたことがある。
 ところが東京12チャンネルの金子アナウンサーは、イギリスの試合の放映の中で遠慮なく「ワンツー」を使い、とうとう、この言葉を日本のサッカー用語にしてしまった。
 これは、金子アナウンサーの大胆な才能のせいでもあるけれど、テレビの場合は、しゃべりながらその場面が画面に映る。だから、あえて詳しい説明を必要としないわけである。
 テレビには敵わない――とぼくはカブトを脱いでいる。


前の記事へ戻る
アーカイブス目次へ

コピーライツ