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サッカーマガジン 1977年7月25日号
時評 サッカージャーナル

“釜本引退”の周辺

引退決意の“真相”
 釜本邦茂選手が、「胸に日の丸をつける試合にはもう出ない」と語ったそうだ。前から何度もウワサされていたことではあるが、6月12日に京都で行われた1FCケルンの最終戦のあと、多くの報道陣の前で、はっきりとそう話したらしい。つまり日本代表からの引退宣言である。
 そうすると6月15日にソウルで行われた日韓定期戦が、釜本選手の「日本代表としての最後の試合」ということになる。
 ところが世の中、そう簡単にはいかないようで、二宮監督の口ぶりは「まだまだ必要とあれば出てもらう」と割り切れない感じだったらしい。その上、日本サッカー協会の長沼専務理事は、日韓定期戦の翌日、月例の記者懇談会の席上で、「9月にコスモスの来日が実現すれば釜本に出てもらいたいと考えている」と話した。一般のファンからみたら「いったい、どうなってるの?」というところだろう。
 釜本選手はいま33歳だ。モスクワ・オリンピック予選の行われる1979年には35歳になる。これは、いま富士通の監督をしている八重樫茂生氏が、メキシコ・オリンピックに主将として銅メダルを獲得したのと同じ歳である。やる気になれば「あと3年」は立派にがんばれるだろう。
 しかし――である。
 釜本選手自身はおそらく、さらに先のことを考えて、悩んだのではないだろうか。
 あと3年がんばって、釜本選手は立派にプレーできるだろう。3年後の日本代表チームは、おそらく釜本がいない場合よりも、釜本が残っていた場合のほうが、強いに違いない。
 けれども、それはそこまでのことである。かりにすべてがうまくいって、モスクワ予選を勝ち抜いたとしても、それ以上のことは望めそうもない。そして釜本が抜けたあとに大きな空白が残る。そうなったら日本のサッカーにとってたいへんな損害である。
 それくらいなら、いまのうちに惜しまれつつ去って、若い選手たちに自分たち自身の力で新しい日本代表チームを作らせたほうがずっといい。かりにモスクワ予選で敗退したとしても、若い選手たちが自分の力で積み重ねた努力は、その後に貴重な財産として残り、再建への踏み台になるに違いない。
 以上のようなことを、あれこれと考えたすえに、釜本選手は「日本代表からの引退」を決意したのではないか――とぼくは考えている。
 釜本選手のこういう決心は、4月の初旬にワールドカップ予選で敗れたとき、すでに固まっていたように思う。あのとき日本代表チームが帰国して羽田で解散したとき、釜本選手はチームメートの一人ひとりと握手して別れた。ちょっとふつうのサヨナラとは違う、異様な光景だった。釜本選手はそのときには「まだ、大阪に帰って相談しなければならない人もいますから……」と口をにごしたが、ヤンマーの関係者をはじめ、これまで世話になった人たちの了解を得てから「日本代表からの引退」を口にしようという心づもりだったと思う。そしてケルン戦のときには、ヤンマーなどの諸先輩の了解を得ていたのだと思う。
 釜本選手が以上のように考えて行動したのだとすれば立派だし、その考え方に、ぼくも心から共鳴する。日本代表から身を引いて若い人たちに奮起をうながすには、いまをおいて時機はない。当分の間は、タイトルをかけた重要な国際試合はないのだから、いまのう
ちに若い選手たちが。自分たちの力ではいあがって、新しいチームを作ってもらいたい。
 2年後にモスクワ予選を目前にして「どうしても釜本がいなければ試合にならない」ということであれば、それはそのときのことである。願わくば、そんな緊急事態にはならずに、釜本君が安心してスタンドから応援していられるようであってほしい。
 釜本選手は、少なくともヤンマーでは、さらに3年くらいは試合に出るということである。だから釜本選手のプレーが、もうこれからは見られない、というわけではない。

アマチュアにも花道を
 以上のようなわけで、ぼくは釜本選手の決意に賛成だし、日本代表としての13年間の労苦と功績に心からの拍手を送りたいのだけれども、今回の「引退表明」がなんとなく、うやむやのうちにニュースになったのは、割り切れない気がする。
 ある人は「アマチュアの引退なんて、こんなもんだよ」といったという。釜本自身も「隆さんや八重さんも、特別に引退のためのことをやったわけじゃないし……」という気持だという。
 たしかに、杉山隆一選手も、八重樫茂生選手も、特に「サヨナラ試合」などをやってもらうこともなく、代表チームから去っていった。宮本輝紀選手、小城得達選手などは、いつ代表チームをやめたのか、はっきりしないくらいだった。
 しかし、本当なら杉山選手や八重樫選手の場合も、なんらかの花道を作ってやりたかったと思う。ぼくは外国の人から「なぜ杉山のサヨナラ試合をやらないのか」といわれたことがあるくらいである。
 「アマチュアに引退はない」という人がいるが、ぼくはこの言葉の裏に偽善のにおいをかぐ。
 プロだろうが、アマチュアだろうが、第一線の競技生活を退くときがあるのだ。
 戦いに敗れて消えることもあるし、栄光の中に自ら消えるときもある。もちろん、引退したあとも、低いレベルの試合でボールをけり続けることもある。それはプロとアマが同じ組織の中にあるサッカーでは、プロにもあるし、アマにもあることである。
 だから、9月にコスモスがきたとき、釜本選手に「日の丸」のユニホームを着て花道を飾る試合をしてもらおうというのは、いいアイデアだと思う。
 「引退試合」だというタイトルをかかげなくてもいい。「これが最後だ」といわなくてもいい。機会があれば、また日の丸のユニホームを着てもらってもいい。
 しかし、釜本選手が代表チームの公式戦に出ないという決意は固いようだから、これまでの労苦に感謝する気持を、コスモスとの試合の中で表現することを考えてもらいたい。


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