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サッカーマガジン 1977年7月10日号
時評 サッカージャーナル

視野の広さについて

審判のファインプレー
 このところ、サッカーの試合のスケジュールが、いやに立て込んだ。JSLカップの終盤戦、日本リーグと関東大学リーグの対抗試合、韓国リーグ・チャンピオン浦項製鉄の来日、早慶ナイター、1FCケルンの来日など、東京では一時毎日のように試合があった。 古河電工の諸君や早稲田大学の西野君なんかは、なかなか大変だっただろうと思う。日程の調整をちょっと考えてもいいんじゃないだろうか。
 しかし、いろいろ試合があったから、比べてみて気のついたことも多かった。その中のいくつかを取り上げてみたい。
 5月22日に西が丘サッカー場で行われたJSLカップの準決勝、古河−フジタの試合で気がついた「審判員のファインプレー」をまず紹介しよう。
 この試合はフジタのブラジル勢の出来が悪く、特に中心選手のカルバリオは、ひどくナーバスになっていた。
 古河が1−0とリードしている後半4分ごろ、そのカルバリオが、マークしていた古河の清雲に離れざまのひじ打ちを食わせてノックアウトした。
 古河が逆襲で攻め込んでいたから倉持主審は、ちょうどその場面には背を向けた形になっていた。主審に見えないところでやった悪質な乱暴で、記者席から見ていた限りでは、退場にしてもいいくらいのものだった。
 倉持主審には見えなかったわけだけれども、スタンドのざわめきで「何かあった」と感づいたのだろう。振り返って線審を見た。線審が旗をふって合図している。主審が駆け寄って線審に事情を聞いて、すぐカルバリオのところに行って警告のイエローカードを出した。カルバリオは、ちょっと不服そうに何かいいかけたけれども、審判員の処置があまりにも明確で厳然としていたから、おとなしく従うほかはなかった。
 背後で何か起きたことにすばやく気がついた主審のカンの良さ、線審との協力の見事さ、態度の厳しさなど、最近にない審判のファインプレーだったと思う。
 さて、次の話はまた、別の事柄についてである。
 数日後に、西が丘で日本リーグと関東大学リーグの対抗試合が行われた。
 第1試合の日本リーグ2部選抜と関東大学リーグ選抜の前に、審判の人が「牛木さん、この前の家風の話は良かったですね」とほめてくれた。サッカーマガジンの前号のこのページに書いた「スポーツには家風の違いがある」という話である。
 あの中に、負傷者がグラウンドに倒れて起き上がれないような事故が起きたとき、プレーヤーがわざとボールをタッチラインの外にけり出してタイムアウトにして、手当てをさせることがある話をとり上げた。そして、手当てが終わったあとの再開では、スローインのボールをわざと相手チームに投げてお返しする習慣のあることを紹介した。
 なんと偶然にも、そのあとの試合で、その例とまったく同じケースが起きた。関東大学リーグ選抜の選手がグラウンドに倒れて、しばらく起き上がらなかったら、日本リーグ2部選抜の選手が、ボールをわざと外にけり出して、手当てをする時間をつくったのである。スタンドの観客は、これに気がついて、パラパラと拍手を送った。そこまでは良かったのだが、そのあとは筋書きどおりにはならなかった。
 関東大学リーグ選抜のスローインでプレー再開になったのだが、大学選抜の選手は、ボールを相手に投げ返してお返しをするどころか、相手の好意で得たこのチャンスを利用してなんとか攻め込もうど目の色を変えてボールを投げ入れようとした。
 ぼくは大学選抜の選手が“お返し”をしなかったことを、必ずしも非難しようとは思わない。南米のサッカーでは習慣になっているというこの“お返し”は、日本の習慣として定着しているわけではないし、このような行為をフェアプレーとは考えない人もいるだろうからである。

大学生の欠陥
 ただ、ちょっと残念な気がしたのは、大学選抜の選手のほうは、このスローインが相手の好意によって得られたものであること――つまり大学側の選手の手当てをするために日本リーグ2部選抜がわざとけり出したものであること――に気がついていないふうだったことである。あるいは、ぼくが前号に書いたような習慣について、まったく読んだことも、聞いたことも、なかったのかもしれない。
 大学のトップレベルの選手ともなれば、試合中に起きた状況について、その原因を見きわめるくらいの視野の広さをもってもらいたいと思う。さらにいえば、世界のサッカーのいろいろなやり方や考え方についての知識ももっていてほしい、とぼくは考えた。
 目では見えなかった背後の反則を適切に処置した倉持主審の“視野の広さ”に比べて、自分の目の前で行われた相手の好意的プレーさえ理解できなかった(ように思われた)学生選手の“視野の狭さ”は対照的だといったら、話は飛躍しすぎるだろうか。
 しかし本当のところ、視野が狭いのは大学サッカーの欠陥の一つだとぼくは思う。第一に、フィールドの上でプレーヤーの実際の視野が狭い。時間的にも、場所的にも、自分の目の前で起きるプレーを見るのが精いっぱいのプレーヤーが多すぎる。第二に、学校のサッカー部で教えられたこと以外に知識や工夫がないという意味でも視野が狭い。テレビで外国のプロの試合を見すぎて知識過剰になっているという評判は、少なくとも試合ぶりからみては、とても本当とは思えない。        
 大学チームと日本リーグのチームを比べて見る機会を得て、ぼくの受けた印象は、以上のようなものである。対抗戦の第2試合、早大−日本リーグ1部ジュニア選抜は、同じ年代の選手同士だったが、試合ぶりは1部ジュニアのほうが、やはり“おとな”だっだ。


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