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サッカーマガジン 1977年6月25日号
時評 サッカージャーナル

スポーツには家風がある

プロ野球の事故
 スポーツには、それぞれ家風がある――というのが、ぼくの考えである。家風なんて時代遅れの言葉はいまどき通用しないかもしれないが、要するに、スポーツの種類によって、それぞれ、ものの考え方や習慣が違う。陸上競技には陸上競技風の習慣があり、野球には野球的なものの考え方がある。それはサッカーの習慣や考え方とは、かなり違ったものである。
 しかし、こっちが正しく、あっちは誤っているという性質の違いではない。太郎君の家では朝ごはんのときに必ず味噌汁が出るけれど花子さんの家では朝食はパンと果物に決まっている、というようなものだ。だから“家風”の違いだと考えるわけである。
 ところで話はプロ野球のことである。
 先日、川崎球場で行われた大洋と阪神の試合で、阪神の佐野仙好選手が外野のヘイに頭をぶつけて大けがをする事故があった。
 一死走者が一塁にいて、バッターが大きな外野フライを打ちあげた。外野手の佐野選手が追いかけて、ヘイぎわでジャンプして捕ったとき、頭をヘイにぶつけて倒れて意識不明になった。それでも捕ったボールは、グラブの中にしっかり握っていたそうだ。したがって打者アウトで二死になった。
 外野手がボールを捕ったのをみて、一塁のランナーが二塁に向かってスタートを切った。一方、阪神の池辺外野手が、佐野選手のところに駆け寄ってみると「白眼をむいてぶっ倒れていた」という。びっくりした池辺選手は。プレーを続けるのをやめて「おーい、担架だ、担架だ」とベンチに向かって大声で叫んだ。
 一塁からスタートを切ったランナーは、その間に二塁、三塁をまわってホームインしてしまった。これが大洋にとっては貴重な1点となって試合は7−7の引き分けに終わった。
 池辺選手が、倒れている佐野選手のグラブの中からボールを取り出して、とりあえず内野に返球しておけば問題はなかった。一塁からのランナーは、二塁でストップするのがせいぜいで、そこでタイムをかけられたはずである。しかし「白眼をむいてぶっ倒れている」選手のグラブからボールを取り出してプレーを続けることが、人間としてできるだろうか。それより前に人命救助を考えたのは、ごく自然である。
 問題は、その後の審判の処置である。この場合は、大洋の一塁走者のホームインを認めたのだが、それがはたして妥当だろうか。
 「事故がなければ、二塁に進めるか、どうかってところなんだろう。事故のあったところでタイムということにして、ホームインしたランナーを二塁に戻すという処置はとれないのかね」
 いろいろな人に、こう聞いてみたけれど「うん、そうすりゃあよかったな」という人は、野球の専門家にはいなかった。
 「いや、ランナーが走り続けている間にタイムをかけることはできないな。プレー続行中にはタイムをかけられないんだよ」
 「でも突発事故じゃないか。こういうときに審判の裁量で処置できるという規則はあるんだろ」
 「うーん。あることはあるけれども。しかし、これを突発事故として扱うことになると、たとえば返球しても、とても間に合いそうにないと思ったら、わざとぶっ倒れて失神したふりをすることだってありうるからな」
 若いころに野球の選手だった同僚記者の話は以上のとおりだった。
 「なるほど、これは野球的感覚なんだな」と、ぼくは思う。
 池辺外野手がプレーをやめて担架を呼んだ行為が悪い、というわけではない。それはそれでいいのだが、だからといって審判が規則の解釈に融通をきかせることはできないらしい。それが野球の家風のようだ。

融通のきく家風
 ところで、これがサッカーの試合だったらどうだろうか。
 サッカーは男らしい、激しいスポーツではあるが、人命にかかわるような危険な事故は、ほとんどない。しかしプレーヤーがフィールド上で倒れて、しばらくの間は動かないという場面は、しばしばみかける。
 サッカーの試合には「タイムをかける」ことはないから、反則がない限り、プレーはそのまま続行する。ところが倒れているプレーヤーがいつまでも動かないと、心配でもあるし、プレーの妨げにもなる。だれでも知っているように、そんなときにレフェリーは自分の裁量で試合を中断することができる。そして負傷者の手当てをしてから中断したときにボールのあった地点でドロップ・ボールにして再開する。その地点がどちらかのゴールにあまり近いと影響が大きいから、レフェリーはボールがフィールドの中央付近にあるときを見はからって中断している。このように、審判がかなり融通をきかせることができるのは、サッカーの家風だと思う。
 審判だけでなくてプレーヤーが融通をきかせることもある。
 春さきにアルゼンチンのインデペンディエンテが来日したときの試合で、プレーヤーが倒れて、なかなか起き上がれない場面があった。そうすると、アルゼンチン側がボールを大きくタッチラインの外にけり出してアウト・オブ・プレーにして、負傷者の手当てをすることができるようにした。これは南米のサッカーでは、よくやることで、プレーヤーが融通をきかせたわけである。
 倒れていたプレーヤーが起き上がって試合が再開された。先ほどアルゼンチン側がボールをけり出したのだから、当然、日本チームのスローインになる。
 日本側は、そのスローインをアルゼンチン側に渡るように投げ込んだ。もともと相手のボールだったのだから、お返しをしたのだった。そうしたらスタンドの観客がいっせいに拍手をした。
 「最近のお客さんは、サッカーの家風をよく知っているな」と、いささかびっくりもしたし、感心もしたものである。


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