永大廃部の身勝手
「企業ってのは勝手だねえ」と友人がいう。
「まったくだな」とぼくも同感である。
話は永大のサッカーが廃部に追い込まれたことだ。
詳しい経過は前号の本誌にも速報されたし、新聞でも伝えられたから、ここでは省略するが、スポーツを利用できるときには勝手に利用しておいて、ぐあいが悪くなると社会におよぼす迷惑もかえりみずポイと棄ててしまうのは、公害たれ流し同然の企業の身勝手だと思う。
「日本の企業スポーツの弊害だね。選手たちは会社のためにと思って一生懸命やってきたのに、会社はトカゲのシッポみたいに切り捨てちまうんだからな」
「そもそも、会社のためにスポーツをやるという考えがよくないんじゃないの。会社が主でスポーツは従だ。日本の企業はほとんどが終身雇用制だから、選手たちもプレーヤーである前に、まず社員という意識で会社べったりなんだろ」
「永代の場合はそうじゃないと思うけど、企業がダメになればチームもダメになるのは同じだな」
友人は自分で商売をしているからサラリーマンに対して同情がない。しかし、言い分はもっともなようでもある。
「そういえば、同じ企業の宣伝に使われていても、プロ野球のほうが割り切っていて、いいところもあるなあ」と、ぼくには思い当たるところがあった。
プロ野球パ・リーグで、昨年は「太平洋クラブ・ライオンズ」という名前だった球団が今年は「クラウンライター・ライオンズ」と名前を変えた。世間は「企業から企業へと転々と身売りする」と非難したが、オーナーは「身売りじゃない。スポンサーを変えただけだ」と平然としたものだった。
つまり、九州の福岡に本拠地をもつ「ライオンズ」というプロ野球のチームは、昔も今も変わらずにちゃんと存在している。ただ入場料収入とテレビ放映の権利金だけでは財政的にやっていけないから、ユニホームに企業の名をつけてやって宣伝料をもらう。その企業がダメになれば、別の企業をさがしてスポンサーにするけれども、球団の実体は同じ、というわけだ。
説明をきけば「なるほどな」と思う。アメリカのプロ野球やヨーロッパのサッカーにも、スポンサーのついているクラブは、いくつもある。ただクラブの名は「ニューヨーク・ヤンキース」というように本拠地の都市を名乗るのがふつうだから、スポンサーが変わるとチーム名まで変わるというまぎらわしいことがないだけである。
このようなシステムだったら、企業がダメになっても、スポーツチームのほうはダメにならない。別のスポンサーをさがすか、自前でやってゆく工夫をすれば、よいからである。
ただし、このシステムの場合は、選手はスポンサーの会社の社員ではない。社員である選手がいてもさしつかえはないが「会社は仕事をするところ、サッカーをするのは社員としてではなく個人の資格で」と割り切らなくてはならない。
つまりチームは「実業団」ではなくて、地域に根をおろした「クラブ」でなければならない。
理想への条件づくリ
「そりゃ、まあ理想だけど企業大国の日本では夢の夢だよ」
と友人はあざ笑うようにいう。商売人の友人は、銀行や大企業の威力を身にしみて知っているから皮肉たっぷりである。
「だけどサッカーの仲間の力の及ぶ限り、理想を目ざして条件づくりをしておくべきだと思うな」
ぼくとしては、外国でやってることを日本ではできないなどといわれては心外だ。そんなことではいつまでたっても、ワールドカップで勝てっこない。
それでは、理想を目ざすための条件とは何だろうか?
「まあ、これまでも繰り返しいわれていたことなんだけどね」と前置きして、ぼくは次のような例をあげた。
@地域権(フランチャイズ)をはっきりさせること――リーグに加わっていることは、その地域でリーグの試合を主催できるという独占的な権利をもつことだが、日本ではその点が理解されていない。リーグ加盟に権利がともなっていれば、その「権利」を簡単には放棄しないだろう。
A入場料の自主管理――地元での試合の入場料収入などは、地元チームに管理させるのが本当である。いまの日本では、いずれにしたって赤字だろうけれど、チームの運営経費の一部をチーム自身の努力で多少でも埋められるというシステムになれば、しだいに考え方も変わってくるに違いない。
「ほかにも、いろいろとあるけどね」とぼくはいった。
「日本リーグの1部と2部を一つの組織体にして入れ替え戦をやめることなんか、多くの人が指摘しているのになかなか実現しない」
「1、2部合わせて20チームの中に各地域から最低1チームは加盟する権利を与えるというのは、どうだろう。そのかわり都府県ごとに人口100万について1チーム、最高5チーム以上は加盟させないとか……」
「一つのアイデアだけど、いまのリーグの役員たちには理解できないだろうな」
「リーグの役員たって、みんな大企業の社員なんだろ。年功序列の中で、ぬくぬくとサラリーもらってんじゃ発想にも実行力にも限界があるよ」
サラリーマン嫌いの友人の言い方は小面憎いけれど、鋭いところがある。
日本リーグは、もっといろいろな人の意見を聞いて、真剣に改革を考えてもらいたい。
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