アーカイブス・ヘッダー

 

   
サッカーマガジン 1977年2月10日&25日号
時評 サッカージャーナル

首都圏の高校選手権

運営に不安はないか
 長い間、関西で開かれていた全国高校サッカー選手権大会が、今回は東京の国立競技場を中心に、首都圏で開かれた。
 高校選手権の前身である中等学校大会が大正7年に大阪の豊中で始まって以来、これで55回。その間、半世紀以上にわたって関西で開かれていた伝統の大会を関東にもってきたのだから、反対や抵抗が多かったのは無理もない。それを押し切って首都圏開催に踏み切ったのにも、またそれなりの理由があってのことではあるが、首都圏開催が正しかったかどうかは、しばらく結果を見守って判断しなければならないだろう。
 この問題については、ぼくはずっと沈黙を守っていた。関西で署名運動などが行われたときに、一度はこの「時評」で取りあげるべきだったかもしれないが、わざと触れないでおいた。
 というのは、一つには、この問題はテレビの放映と関係があるとされており、ぼくの勤務先の新聞社が放映の中心になっているテレビ局と同系列であるため、個人的意見であると断って書いても、世間から色めがねで見られかねないと思ったからである。
 しかし、すでに首都圏開催は実現してしまったし、このことは日本のサッカーの歴史の上で一つの大きな出来事として残るだろうと思われるから、やはり一度は、この問題を「時評」の中に記録しておきたいと思う。
 この問題について論評を活字にはしなかったけれども、個人的に話をしたときに、意見を述べたことはある。
 テレビ局の友人に意見を聞かれ「このままずっと大阪でやってほしいという気持だな」と答えたこともあった。
 いささか感情的で、意見としては根拠が弱いかもしれないが、ぼくが高校サッカーの首都圏開催に消極的な気持だったのは、次のような理由による。
 @半世紀以上も阪神地域で開かれてきたこの大会に対して、全国の多くのサッカーマンが「大阪の正月大会」として愛着をもっている。
 A関東地方の冬は霜どけがひどく、よほど芝生の管理をしっかりしないと、ひどいグラウンドで試合をしなければならない恐れがある。
 B東京では大会の準備運営にあたる地元協会の役員と組織に不安がある。というのは、関西には自分で商売をしていて比較的自由に時間を使える役員が多いけれども東京ではほとんどサーラリーマンか受験期を控えた学校の先生方だからである。学生も冬休みには、大部分が故郷へ帰ってしまう。
 「そんなことはない」と反論されれば、それまでである。@の理由は、まったくの感情論で「中年男のノスタルジアだ。いまの高校生には、東京だろうと大阪だろうと関係ない」といわれると一言もない。AとBについても「ちゃんと運営管理するから心配するな」と主張されたら、とにかくお手並みを拝見してみる必要がある。
 一方、関西出身の人に「なんとか大阪に残せないのか」と非難がましくいわれたときには、こう答えた。
 「これは最終的には主催者のサッカー協会と高体連が決定するわけだから……。関西が結束して代案を示し、関西から出ている理事を先頭に、まず協会内部で主張すべきじゃないでしょうか」

東西分割開催は?
 それにしても、関西のサッカーマンが首都圏開催に反対したのは当然だろうと思う。ただ、ぼく自身は、心情的には「大阪の大会」を支持しながらも、首都圏開催のアイデアに、反対しきれない気持もあった。
 というのは、これが従来の伝統にとらわれない、自由で新しい発想から出てきたものであり、そういう新しい芽を、中年男のノスタルジアで片っ端から摘んでいっては、永久に進歩や改革は望めないからである。そうでなくても「出直し改革」の必要に、もっとも迫られているのが、現在の日本のサッカーである。
 そういうわけで、ぼくは「大阪の大会」を心情的に支持しながらそれをまったく裏返しにした理由で、首都圏開催に反対しきれなかったのだった。
 「スタンドで試合を見ている人よりも、テレビで見ている人のほうが何百倍も多いんですよ。テレビ中継をするのに、東京のほうが都合が良いというのなら、グラウンドの状態や地元の事情と同じようにテレビのことも考慮にいれてくれていいんじゃないでしょうか」
 新春の大会は、全試合が電波にのって出場校の地元には、毎日かならず中継される。首都圏開催にならなかったら民放テレビは放映をおりる――といわれた場合、それを無視できるだろうか。10年前のように、決勝戦だけをNHKテレビがやってくれることもあるしやってくれないこともある――という状態に戻っても、痛くもかゆくもないといえるのだろうか。
 こういうふうに、つきつめられると、ぐっとつまってしまうのだ。首都圏開催という新しいアイデアは、テレビ時代の今日、出てくるのが当然だとも思えるのだ。
 そこで、ぼくにもアイデアがある。
 全国大会の出場校は31チーム。来年度からは32チームになるだろう。これを16チームずつに分けて東西でトーナメントをする。決勝戦だけを隔年に東京と大阪で交互にやる、というのはどうだろう。 グラウンドの問題も、運営役員の問題も、二地域に分けたほうが解決しやすいのではないだろうか。
 東京−大阪間が新幹線で3時間10分という時代。一地域集中にこだわることはないように思う。


前の記事へ戻る
アーカイブス目次へ

コピーライツ