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サッカーマガジン 1976年4月25日号
時評 サッカージャーナル

サッカー協会の政変

実力者小野卓爾氏の功績
 オリンピック予選がはじまる直前の3月12日に、財団法人日本サッカー協会が評議員会を開いて役員改選をした。
 過去20年間にわたって会長を務めていた野津謙氏が勇退して名誉会長となり、協会の実力者、小野卓爾氏が専務理事を辞任、日本代表チーム監督の長沼健氏が新しい専務理事に推された。
 新しい理事会の構成をみると、みな、これまで協会の仕事をしてきた人たちばかりで、顔ぶれ一新というわけではない。だから、古い盤の上で、駒をすこし並べ変えてみただけ、という印象があるかもしれない。
 しかし、ぼくは今度の人事を、一種のクーデターないし政変であるとみている。というのは、この人事の最大のポイントは、これまで日本サッカー協会の中心となって仕事をしていた小野卓爾専務理事が、“協会の実力者”の地位を追われたところにあるからだ。
 ぼくは、このサッカーマガジンの時評で、よく小野さんを批判した。“協会の実力者”という表現で批判したこともあるし、実名を名ざしして非難したこともある。
 しかし、だからといって、小野さんとぼくが、仲が悪いのだと思っている読者がおられたら、それは誤解である。誌面で批判を加えても、小野さんは、ぼくをよく理解してくれた方だし、サッカー界の先輩、後輩としては、ぼくは小野さんに、かわいがってもらったほうだと思っている。
 したがって、小野さんを批判する一方で、小野さんの力量と才能を、ぼくは人一倍、評価していたつもりである。
 小野さんは、自己の信念に忠実な人で、自分の考えどおりに物事を進めることに固執し、自分の考えに反することには、しつこく反対した。だからときには、手がつけられないほど頑固で、ものわかりが悪いようにもみえた。
 しかし、ワンマンとして25年以上も協会の実権を握ってきただけに、大局的なものの判断と決断の良さは、現在の協会の役員のだれよりも、すぐれていたように思う。
 昨年10月に東京で開催するはずだったモントリオール・オリンピック予選を、イスラエルや台湾のからんだ問題で中止、返上したのは、小野さんの決断とリードによるものだったと、ぼくは推測している。
 あの10月東京開催中止は、当時ずいぶん論議のマトになったけれども、結局のところだれが当事者であっても、中止する以外にはなかっただろうと思う。当時、この問題について、もっとも早くから見通しをつけ、次善の策を考え、決断して、自分の考えのほうにリードしていったのは小野さんだった。
 開催地を東京からイスラエルにもっていかれてしまわないように、取りあえず延期という策を考え、アジア・サッカー連盟(AFC)のテオ・チャイ・ヒン総務主事を利用して代案をまとめ、そのテオ・チャイ・ヒン氏が、新しい方式による試合日程について日本では受け入れがたい案を作ってきたら、韓国サッカー協会と謀議して、日本−イスラエルの試合をソウルでやる案を、すばやく発表して実現させてしまった。
 こうやるべきだと思ったら、かなり強引にその方向にもっていくだけの大胆さと智略を、小野さんはもっていた。そういう独特のやり方で、日本のサッカーを引っぱってきた功績は、十分に認めなければならない。

長沼専務理事への注文
 新しい専務理事になる長沼健さんは、小野さんの強引さにくらべると、ずっとソフトな感じになるだろう。
 小野さんのような強引さは、小野さんの判断が正しい場合には、効果的である。目先の小事にこだわった反対論によって、正しい判断をつぶされることはないからである。
 しかし、昔の古い考え方を、いつまでも正しいと思い込んでがんばられると、新しいアイデアはなにも実現しない結果になってしまうおそれがある。
 日本サッカー協会の専務理事が70歳の小野さんから、25歳も若い長沼健さんに代わったことに対する期待は、若い感覚で新しいことが、どんどんやれるんじゃないか、というところにある。
 一方、これまでのようなワンマン的な協会運営を改め、多くの人材の協力を求めて、組織として協会の仕事をしていくことも、新専務理事に期待されている。
 こういうことは、いうのは簡単だけれども、実行するのは、なかなか困難である。委員会などを作って、多くの人の意見を拝聴していると、議論百出て、結局なにもできないで終わることが多い。なにもしないで時間を浪費するのは強引にやるのよりも、はるかに困りものである。長沼専務理事にはソフトにやってもらいたいが、強力なリーダーシップは、どうしても必要だということをいっておきたい。
 また、若い仲間だけの“なれあいムード”で協会の仕事をしないように気をつけてほしい。
 専務理事になったあと、日本代表チームの監督には、平木隆三コーチが上がるという話である。
 予選に勝って、日本代表チームがモントリオールに行く場合は、それでいい。しかし、かりに日本が予選に敗れた場合はどうか。
 予選に負けても、平木コーチを監督に昇格させることを、早くも決めているのであれば「仲間うちのなれあい」という批判は、まぬがれないだろう。平木コーチが、かけがえのない人材であるにしても、責任を明らかにして筋を通すのが第一歩であると、ぼくは思う。


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