釜本に5度目の表彰
いよいよ、オリンピック予選。日本代表チームの奮戦が楽しみである。
「日本が勝つためには釜本が得点しなけりゃな」とぼくは思う。若手にがんばってほしいのはもちろんだし、釜本をオトリにして他のプレーヤーがゴールをねらうというような作戦も必要だが、最終的には、釜本がエースでなければならない。なぜならば釜本は日本の唯一のスター・プレーヤーだからである。
実力の接近したチーム同士が、タイトルを賭けて激しい試合をする場合には、必ずといっていいほど、スター・プレーヤーの活躍したチームが勝つ。だから日本が韓国やイスラエルに勝つ場合には釜本が決定的な役割を果たすだろうとぼくは思うわけである。
残念ながら、いまの日本代表チームには釜本以外にスーパースターがいない。記者投票による年間最優秀選手に、釜本邦茂が今回で5度も選ばれた。これは他にスーパースターの少ない証拠である。
この日本の最優秀選手表彰は1961年に、ぼくが発案し、関東と関西のサッカー担当先輩記者に相談してはじめたものである。
そのころは「サッカーはチームゲームで、勝った功績はチーム全体のもの。特定の個人を表彰するのは適当でない」という反対論も強かった。
しかし――とぼくは考えた。
サッカー・チームの中に特定のスーパースターがいて、そのスターが勝利に著しく貢献することは客観的事実である。
そういうスーパースターは、必ずしもチームの中で、もっともうまい選手、あるいはもっとも強い選手であるとは限らないが、何か他のプレーヤーにないような特異な能力を持っているものである。
そういう特異な才能を、チームプレーの名のもとに、集団の中に埋もれさせてしまいがちなのが、日本のサッカーの悪い風習ではないだろうか。そういう意味でスーパースターを陽の当たるところに引っぱり出すのは、一つの刺激になるのではないか。
たしかに、サッカーはチームゲームだから、サッカー協会が選手を個人的に表彰するのには抵抗があるかもしれない。だから、この表彰は協会とは関係なく、ジャーナリズムの手で独自にやろう ――と、こういうふうに考えたわけである。
第1回の、1961年度の表彰選手は、いま日本代表チームの監督をしている長沼健さんだった。
健さんは当時、古河電工のベテラン選手で、古河電工はこのシーズンに天皇杯、実業団、都市対抗の3つのタイトルを全部とった。
(まだ日本リーグのできる前のことで、実業団と都市対抗の2つは日本リーグ発足とともに解消して現在はなくなった大会である。)
このときの古河電工の3冠王に健さんがチームのリーダーとして決定的な貢献をしたことは、だれの目にも明らかだった。
特に、新潟で行われた実業団選手権の決勝戦、対日立の試合での決勝ゴールは、いまでもありありと、まぶたに浮かんでくる。
得点は1−1だったが、古河が劣勢で押しまくられていた。後半26分、ほとんどペナルティーエリアの中に下がっていた古河の守備から、長いクリアのボールが、前線に残っていた健さんに出た。
ハーフラインの手前から、健さんは1人でドリブルしてゴールラインまで突進し、左サイドのほとんど角度のないところからボールをあげ、それがキーパーの頭上でカーブしてゴールにはいった。
機会をのがした山口
これは日本のサッカー立てなおしの恩人となった西ドイツのデットマール・クラーマーさんが、日本にきて間もなくのころである。クラーマーさんは、健さんのゴールを見て、記者席へ飛んできて、こういった。
「いまのゴールを見たか。サッカー・チームには、ああいうプレーヤーが絶対に必要なんだ。味方が苦しんでいる場面で、ナガヌマは突然、能力を発揮して試合の流れを変えた。彼こそ日本のサッカーに必要な男だ」
実をいうと、日本の最優秀選手表彰を1961年度からはじめることは、この健さんのゴールによって決まったといってよい。
というのは、最優秀選手の選考が第1回から大もめにもめて票が割れるようでは面白くない。だれもが「今年の最優秀選手は彼しかいない」と思うようなときに、この表彰をスタートさせたい、とぼくたちは考えていたからである。
最優秀選手の表彰がはじまってから、もう15年になる。その間に、表彰されていい選手で、選ぶ機会のなかった名選手も何人かはいる。
ゴールキーパーの保坂司君(当時古河電工、のちに甲府クラブ監督)は、この表彰がスタートしたとき、すでに最盛期を過ぎていて選ぶことができなかった。
山口芳忠君(日立)も選ばれていい選手だったが、今年現役を退いたので、もう機会がない。1972年に日立が2冠をとったときがチャンスだったけれど、このときは野村六彦君の活躍があまりにも目覚ましすぎた。山口君を表彰しそこなったのは、いささか残念である。
モントリオール予選で釜本が大活躍をすれば日本は勝てるだろうし、そうなれば次の最優秀選手はまた釜本になるだろう。釜本ばかり選ばなければならないのは情ないが、背に腹は代えられないから来年は6つ目のトロフィーを釜本にやりたい。苦しい場面で真価を発揮した第1回の表彰選手、長沼健さんのようながんばりを釜本に期待したい。
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