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サッカーマガジン 1975年9月25日号
時評 サッカージャーナル

日本の大人はなぜ弱い?

結びつかない少年サッカーのレベル
 静岡県清水市の小学生と中学生の選抜チームが、夏休みに西ドイツへ旅行して、10戦全勝の成績で帰ってきた。小学生チームが、ヘネフのトレーニング・センターで地域の選抜チームに16−Oで勝ったのをはじめ、どの試合も大勝だったそうだ。10試合で82点とって失点はPKの1点だけ。向こうの新聞に「シミズの少年たちは西ドイツヘきて何も学ぶところはなかったが、われわれはシミズの少年チームからたくさん学ばなければならない」と書かれたという。
 そのころ、ちょうど日本代表チームは、マレーシアのムルデカ大会に出かけて悪戦苦闘中。そこで「日本は子供のサッカーは強いんだね。大人になると、なぜ弱くなるのかね」と、いろいろな人に聞かれて答えに窮した。
 そこで、清水のチームが日本へ帰ってきたその夜に、遠征チームの総監督を務めた堀田哲爾先生に電話をかけて、いろいろと聞いてみた。堀田先生は、国体の静岡県代表選手として毎年活躍してきた名選手であり、10年以上にわたって小学生から清水のサッカーを育てているバイタリティにあふれる名物男である。今回の西ドイツ旅行も、まったく堀田先生の実行力のおかげで実現したものだ。
 「向こうでは、子供たちのサッカーは、あまりチームとして、まとまって練習していないんだね。夏休みで向こうがシーズンオフだったせいもあるけど……」
 と堀田先生は説明してくれた。
 清水の少年たちと、向こうの少年たちを比べて、技術、戦術、体力のどの面でも見劣りしなかったそうである。清水のほうは、十分に練習を積んで「パーフェクトの態勢で元気いっぱい」出かけて行った。一方、向こうは比較的のんびり構えている。しかも向こうの少年サッカーは、中盤でのんびりとボールを持つのがふつうだから日本のテンポの早い出足に、立ち上がりで押しこまれ、リードを奪われて、がたがたになる。そういうふうな試合展開だったらしい。
 「西ドイツの少年たちは、個人技はあるけどね。でも清水のほうのボール・テクニックだって見劣りしなかったなあ」
 どの試合も、グラウンドはすばらしかった。じゅうたんのような緑の芝生だから子供たちは大喜びで「いままでやったことのないようなアクロバットのプレーを見せた」そうだ。
 要するに、清水の小、中学生たちは、個人技に自信があるうえにチームとして訓練されている。西ドイツ側は、サッカーのうまい子を集めているが、チームとして訓練されていない。その違いが出たということだろう。
 ヨーロッパの子供たちのサッカーは、チームとしては、それほど水準は高くないらしい。そういうことは、ぼくも多少見たことがあるので知っていた。サッカー・マガジンの誌上にも書いたことがある。だから清水のチームの大勝はぼくにとっては、そう意外ではなかった。
 問題は、子供たちを緑の芝生に野放しにしているようなサッカーのなかから、なぜ、クライフやベッケンバウアーが育つのか。規律正しい日本の少年サッカーが、なぜ大人のサッカーのレベルをあげることができないのか、というところにある。

地域単位のサッカー育成
 「向こうは、指導性の点では、なんというか、子供たちに自由にやらせるという方向だね。自由にやってる子供たちが数ある中から、本当にサッカーの得意な子は、本格的に地域のクラブでやって才能を伸ばし、拾いあげられてゆく組織になってる……」
 「日本じゃスポーツは学校単位でやるのがふつうだからね」
 「そう。清水じゃ小、中学生と社会人は、地域単位のサッカーを育てようとして、みんなでやってるけど、高校レベルになると、まだむずかしい問題がある。結局ガンは日本の教育制度と学校単位のスポーツにあるという結論だなあ」
 堀田先生のいおうとしているのは、こういうことである。
 地域単位のスポーツは、小学生のころには、日本でもそう問題はない。なぜなら、小学校はだいたい地域ごとにあり、地域の少年サッカー・チームは、ほとんど同じ小学校の児童で構成されているからである。
 しかし、中学校、高校と進むにつれて問題が出てくる。少年チームでは、いっしょにプレーしていた仲間たちが、ある者は県立高校に行き、ある者は商業高校に行き、ある者は私立高校に行く。学校が分かれるだけでなく、サッカー・チームも分かれ分かれになる。
 それだけではない。たいていの高校では受験競争のために、夏の高校総体が終わると3年生はサッカーをやめてしまう。現在の大学入試は、ばかばかしいくらい厳しいから、一流大学をめざす一部の生徒が受験対策に専念するのはやむをえないけれど、そのために、他の選手まで犠牲にならなければならない。
 「地域単位のクラブだったら、サッカーの得意な子は、思いきって才能を伸ばすことができるはずだけど……」
 清水の子供たちの成果を無にしないために、この問題はもっと徹底的に考えてみる必要がある。


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