スポーツ交流と費用
夏休みにはいって最初の日曜日東京郊外の多摩丘陵にある“よみうりランド”に出かけた。ブラジルからきた少年のサッカー・チームが、東京の高校選抜チームと試合をするというので、見に行ったのである。
京王よみうりランドの駅をおりたら、日本サッカー協会の小長谷亮策常務理事に呼び止められた。
小長谷さんは、協会の実力者の小野卓爾理事とコンビを組んで事業関係を担当している長老だ。丘陵をあがるスカイロードのベルトの上で、かんかん照りの真夏の太陽に火あぶりみたいになりながら、ブラジルの少年チームがやってきたいきさつなどをきいてみた。
「これはね。サンパウロのサント・アンドレというスポーツ・クラブのチームなんだね。サンパウロの少年リーグで、このところ数年連続チャンピオンになっているという話だったね」
「どうして、日本にくることになったんですか」
「向こうに行ってた人がもち込んできたんで、旅費は自分たちもちで日本にきたいというんだな。だから1カ月間の日本での滞在費をもってくれということだった」
「そりゃ、たいへんでしょう。サッカー協会の財政は火の車だというのに――」
「それでだな。15日間だけ東京と静岡と京都で分担して引き受けてもらったんだ。残りの15日間は沖縄の海洋博のほうでやる少年団大会に行ってもらうことにした」
いまどき、ビジネス・ホテルみたいなところに泊めたって、食事や移動費を含めると、1人1日あたり1万円はかかるだろう。東京では1試合だけで、足かけ3日間の滞在だったが、それでも70万円あまりの支出で、これは「東京都協会で寄付を集めることにしてるんだが、集まりそうにないな」と、小長谷理事はいっていた。静岡と京都では、入場料をとって試合をするんだろうと思うが、東京は組織が弱体で、有料試合をする自信がない。そこで経費は、別に寄付で集めることにして1試合は入場無料の練習試合みたいなものにしたらしい。
「外国じゃあ、こういう試合はクラブが引き受けてやってますね。小さな町のクラブでも、クラブのグラウンドの入り口で2、300円の入場料をとって、やってますよ」
試合を運営するのは、対戦相手を務める地元のクラブ(チーム)で、入場料収入は、そのクラブのものになる。小さな町では、見にくる人の数など知れていて、試合のあとのささやかなパーティの費用にも足りないかも知れないが、寄付のかわりに、町の人たちに切符を買ってもらうわけである。
日本からヨーロッパや中南米へ遠征したチームも、たいてい、各地でそういうふうにして試合をしてもらっているはずである。
もっとも、滞在費を地元で負担してくれるかどうかは、遠征するチームの実力とそれに伴う人気にもよることで日本のチームがヨーロッパに行った場合は、ちょっとむずかしいだろう。
今度来日したサント・アンドレのクラブの役員は「日本のチームがブラジルにきたら1カ月の滞在は面倒をみる」といっていた。これは、日本側が今回、面倒をみたことの見返りで、スポーツの交流がこういうふうに、お互いに同じ条件で相互にやれるようだったらいちばんいい。
日本では問題があるが
「日本でも、加盟チームに、こういう試合を運営させたらどうかなあ」と、ぼくは思う。
今度のブラジル少年チームの場合だったら。東京では、たとえば帝京高校のサッカー部にホストになってもらう(帝京高というのは一つのたとえである。帝京ならやれるだろうという意味ではない)。
帝京高が西が丘サッカー場を借り、ポスターを作り、入場券を売って、帝京高チームとブラジル・チームの“国際試合”をする。200円の券を5000枚売れば、100万円で一応、経費くらいは出そうである。
と、いうのは簡単だけれども5000枚の入場券を売り尽くすのはもちろん簡単ではない。だから毎回というわけにはいかないだろうけれど、たとえば学校創立50周年の記念事業のようなものに組み込んでもらえば、やってやれないものでもないように思う。
そんなことを考えて
「日本でも、外国みたいにやるべきですよ。この試合も西が丘のナイターでやりたかったなあ」
とぼくは食い下がったが、小長谷理事は、苦笑するだけで、とりあってくれなかった。
「外国からきたチームの試合はいっさい、協会が直接管理する。入場料収入は、すべて日本サッカー協会のものとする」
というのが、日本サッカー協会の方針だから、小長谷理事は返事のしようがないわけである。しかし、そのために、少数の協会役員と事務員の能力の範囲内でしか仕事ができないのではないか、とぼくは思う。
試合の前に、ブラジル・チームは大きなブラジルの国旗と日の丸の旗を持って出て、フィールドの中央で高く掲げて見せた。
隣りの遊園地のプールは、いもを洗うような混雑だったが、炎天下のサッカー場は、入場無料でも観客まばら。パチパチとまばらに拍手の起きたのがさびしかった。
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