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サッカーマガジン 1975年8月10日号
時評 サッカージャーナル

アメリカのプロサッカー

スポーツ人気調査でサッカーは5位
 「アメリカにもプロのサッカーがあるんだね」
 “王様”ペレが、21億円の破天荒な金額でニューヨーク・コスモスヘはいったニュースを新聞で見て、友人の1人がこういった。
 アメリカ合衆国では、アメリカン・フットボール、野球、バスケットボールが3大スポーツだが、サッカーもしだいに盛んになってきている。
 数年前に、世論調査で有名なギャロップ研究所が、アメリカのスポーツの人気調査をしたとき、「過去1年間に、自分で見に行ったことのあるスポーツをあげてください」という質問に対して名前のあがったスポーツを並べると、サッカーは5位にはいった。
 @フットボール   33%
 A野球       30%
 Bバスケットボール 23%
 Cボクシング    14%
 Dサッカー     13%
 アメリカ人100人のうち13人はサッカーを見に行ったことがあるというわけである。1959年の調査のときは、この数字は1%だったというから、この10数年の間に北米のサッカーが、いかに目ざましく伸びてきたかがわかる。

基礎は底辺との結びつき
 アメリカ合衆国でサッカーが盛んになったのは、明らかにプロ・リーグのおかげである。ペレと契約したニューヨーク・コスモスはNASL(北米サッカー・リーグ)というプロ組織に属しているが、このリーグの観客動員数は、毎年5%ぐらいずつ増えてきているという。
 今年で設立8シーズン目を迎えて、チーム数も20に増えた。
 ところで、このアメリカのプロ・サッカーは、はじめから、こんなに順調だったわけではなく、スタートのころの混乱ぶりは、アメリカならではの、ひどいものだった。
 アメリカに本格的なプロのサッカーリーグがスタートしたのは1967年である。
 まずNPSL(全米プロ・サッカー・リーグ)が、CBSテレビとの放送契約金(当時3億6千万円といわれた)を背景に結成された。ところが、この組織は、アメリカのサッカー協会と対立して、ヨーロッパから強引なプレーヤーの引き抜きをしたため、国際サッカー連盟(FIFA)から締め出されてしまった。
 一方、アメリカのサッカー協会は、非公認リーグの結成にあわてて、別にUSA(ユナイテッド・サッカー・アソシエーション)を作った。
 もともと、基礎のないところに2つのプロ・リーグが急造されたのだからうまくゆくわけがない。二つのリーグは、翌年にはたちまち和解して、一つのリーグに合同し、アメリカのサッカー協会の公認組織になった。それが現在のNASL(北米サッカー・リーグ)である。
 2つのプロ・リーグが和解して再スタートした当時の苦しみを、NASL広報担当理事だったクライブ・トイ氏がFIFA・NEWS(NO.70)に書き、それをぼくが翻訳して、当時発刊されていた協会の雑誌「サッカー」(69年7月号)に掲載したことがある。
 クライブ・トイ氏によれば、アメリカのプロ・サッカーは、スタートの失敗にこりて、再建にあたっては底辺との結びつきを基礎にした。
 「ピラミッドの積み石のひとつひとつに、同じように時間と、お金と、努力をかけなければならない。ピラミッドの基礎は、この国の少年たちであり、その頂点はプロである。もっとも優れたプロフェッショナリズムとは、われわれが、アメリカの大衆に最高のお手本を見せうることである」
 これが、当時のアメリカのプロ関係者の言葉だった。

日米の競争に勝負あり
 その年に、日本リーグは発足4年目を迎え、日本代表チームはメキシコ・オリンピックで銅メダルをとって「日本にもプロのサッカーを!」という声が出かかっていた。
 そのころ、ぼくは日本のサッカーの将来について見通しをきかれたときには、次のように答えることにしていた。
 「そうですねえ。野球とサッカーを一つの国で、ともにメジャースポーツとして両立させるのは、日本が先か、アメリカが先か、というところじゃないですか」
 さて、先ほど名前をあげたクライブ・トイ氏は、もとイギリスのデイリー・エキスプレスのスポーツ記者で、プロ・サッカーの企画に加わるためにアメリカへ移住した人である。
 そのトイ氏は、いまニューヨーク・コスモスのジェネラル・マネジャー(代表)をしていて、今回のペレ獲得に大活躍をした。
 ペレのコスモス入りの記者会見で、
 「アメリカにサッカーがきた」
 といったというニュースをみて日米のサッカー競争は、残念ながら勝負ありだと思った。


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