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サッカーマガジン 1975年4月号
牛木記者のフリーキック

●モントリオール予選の解決策
 先月号に、モントリオール・オリンピック予選の話を書いたが、日本の出場するグループ(アジア地域3組)の予選競技会を、どこで、どういう方法で開催するかはこの号の原稿を書いている時点では、まだ決まっていない。多分、4月のアジア・ユース大会のときに相談して、決めることになるだろう、という話である。
 ぼくは、先月号に書いたようにこの予選競技会を日本に誘致するために、無理をする必要はないと考えている。その理由の一つは、イスラエル・チームが日本に来た場合、その安全を保証する手段がないからである。つまり、パレスチナに同情的な“赤軍派”(本当に赤軍派かどうかは知らないが)といわれているゲリラの襲撃から、イスラエル・チームを守りうる保証はないのに、大きな財政的負担をしてまで、日本で競技会をやることはない、と思うわけである。
 ちょうど、この原稿を書いているときに、女子ハンドボールのイスラエル・チームが、日本に来て世界選手権予選の試合をした。このハンドボールの場合は、イスラエル・チームの来日予定、日本での滞在スケジュール、試合の場所と日程を、いっさい秘密にして、お客さんをだれも入れなかった。非公開の“隠密試合”である。
 ハンドボールは、日本−イスラエルだけの対戦で、しかも短期間に2試合をするだけだったから、こういう方法が可能だった。それでも、関係当局をわずらわしての警備対策、報道関係者への対策などは、かなり大がかりなものになった。
 サッカーの場合は、こうはいかないと思う。6チームを集めてリーグ戦をやれば、10日はかかるし、イスラエルの出る試合だけでも5試合になる。しかも、ゲリラは、イスラエルのチームだけでなく、イスラエルの出場する競技会そのものを目標にするかもしれない。競技会そのものを隠密のうちに開くことは、とても不可能だし、入場料なしで、警備に莫大なお金をかけだのでは、日本サッカー協会は破産してしまう。
 一つの考えられる解決策は、ヨーロッパなどと同じように、ホーム・アンド・アウェー方式を採用することだ。
 日本−韓国、南ベトナム−フィリピン、イスラエル−台湾が組んで、それぞれ第1ラウンドをする。かりに、日本、南ベトナム、イスラエルが勝ち進んだとして、第2ラウンドは日本−南ベトナムでやる。イスラエルは、ここは不戦勝とする。
 日本がさらに勝ち進めば、イスラエルとの決勝となる。ホーム・アンド・アウェーだから、日本では1試合だけやればいい。これならハンドボールのような隠密試合も可能だし、決勝に限って、どこか安全な第三国で、ひっそりやる方法もある。
 正々堂々とはいえないにしても、現実的な解決策だとぼくは思う。
 第1ラウンドで、イスラエルと台湾をあてることによって、政治的、地域的な、いろいろな問題点を回避できるのがミソである。

●篠島秀雄副会長の死去
 日本サッカー協会の篠島秀雄副会長が、2月11日に亡くなられた。まだ65歳だった。これからサッカー界のために働いていただきたいというところだった。
 プロ野球のキャンプ取材に九州に出張しているときに、篠島氏の死去を新聞で見て、びっくりするとともに、がっかりしながら宮崎県の日南に行った。ここでキャンプしている広島東洋カープの代表は、元全日本代表のサッカー選手で、5年前まで日本リーグの総務主事だった重松良典氏である。シゲさんは、ぼくから悲報を知らされて、「惜しいことをしたなあ」と長嘆息した。
 シゲさんが日本リーグの総務主事をしているころ、いわゆる“日本サッカー協会の改革問題”なるものが、舞台裏で進行していた。日本サッカー協会の首脳役員は、年齢的に老化しているし、考え方や運営の仕方も古くさくなっている。これでは、新しい時代にふさわしい日本のサッカーの発展は期待できそうにない。若い役員がフレッシュな感覚でばりばり仕事ができるように、協会の人事と機構を改革しようという動きである。
 そのとき、改革派の方で、日本サッカー協会の将来の会長として期待していたのが、篠島秀雄氏である。若いころ日本代表チームで活躍した東大の名選手だった人であり、当時三菱化成の社長として、財界の若手のホープだった。財界で非常に多忙な方だったから、サッカー協会に直接顔を出すことは少なかったけれど、陰では、20年以上にわたって協会を援助していた。協会が海外遠征などのお金に窮したとき、いつも頼りにされていたのが、篠島氏だった。
 その篠島さんを会長にいただき、有能な若手の事務局長を置こうというのが改革派の夢だった。そのときの事務局長候補の1人が、現在の広島カープ、重松代表というわけである。
 長い間の陰にこもったトラブルの末、改革は失敗に終わった――と、ぼくは見ている。現在の協会は、5年前にくらべて、良くも悪くもなっていないからである。
 昨年、篠島氏が病気のために社長を後輩に譲り、三菱化成の会長になったとき「これで病気が治ったら、今度こそ、サッカーのために働いてもらえるんじゃないか」
 と、ぼくは期待していた。しかしそれこそまったくの夢に終わった。
 篠島秀雄氏の死去は、財界のホープを失った出来事として、新聞の大きな記事になった。しかし、その中には、篠島氏とサッカーの関係には、一行もふれていなかった。
 財界で占めていた地位が重要だったためで、当然の扱いかも知れないが、サッカーにとってはさびしいことだった。

●アマチュア選手の移籍金
 1月に来日したバイエルン・ミュンヘンに、フェルスターという18歳の選手がいた。この選手は昨年までマンハイムという町のクラブにいた有望新人である。プロになるに当たって、バイエルン・ミュンヘンとボルシア・メンヘングラッドバッハが目をつけて奪い合い、結局、バイエルンが、30万マルク(約3000万円)で獲得した。
 昨年の暮にボルシア・メンヘングラッドバッハのバイスバイラー監督が、休暇で日本に来て、三菱の二宮監督のあっせんで、東京のサッカー記者と懇談し、その席でフェルスター選手の話が出た。
 「3000万円は高すぎると思ったんで、こちらは手を引いたわけです」
 と、バイスバイラー氏が説明した。
 「それで、バイエルンは、フェルスター選手に3000万円払ったわけですね」
 「いや。バイエルンが、フェルスターのいたマンハイムのクラブに払ったわけです」
 「でも、フェルスターは、アマチュアだったんでしょう」
 「そうです。マンハイムのそのクラブは、小さなところで、プロ選手はいません」
 「アマチュア選手に移籍料を払うんですか」
 「そう。ドイツでは、そういうことになっている」
 日本のプロ野球では、プロで通用するかどうかわからないような高校出の新人に、2500万円とか3000万円とかの契約金を払っている。
 その契約金は全額本人のものである。しかし、その高校選手を育てた野球部に、トレード・マネーを払うことはない。
 「じゃあ、フェルスター選手本人は、お金はもらわないんですか」
 「それは、マンハイムのクラブとフェルスター選手との間の問題で、フェルスターの場合は、500万円もらったということです」
 小さな町のクラブでも、素質のある選手を見つけて育てれば、移籍金で資金作りができるわけである。
 アマチュアの選手でも、登録しているクラブに保有権があって、勝手にチームを変えることはできないからである。
 日本では、いかに努力して、いい若い選手を育てても、その選手が、ぽんとよそのチームに移ればそれでおしまいである。こんなところにも、日本でいい選手が育たない一つの原因がある。


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