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サッカーマガジン 1967年11月号

日本サッカーは次の発展期へ
オリンピックアジア予選

五輪予選の国立競技場でぼくは明るい日本サッカーの未来を思う。次の第一歩をふみだすときは来ているのだ。

9年前のくやしさ

 東京の国立競技場は、7万人の観衆を、わずか5分で退場させることのできる設計になっているそうだ。
 わぁーん、と耳をつらぬくような歓声、バックスタンドで打ち振られる日の丸の旗、カクテル光線に浮かびあがる緑の芝生、その上をかけ抜ける黄金の足――そんな光景がまだ、まぶたの裏に残っているうちに、スタンドはたちまちからっぽになり、記事を送り終らないわれわれだけが、暗い記者席に取り残されてしまう。
 そんなとき、胸の中には、静かな、深い満足感がある。いまのサッカー選手たちは、なんとしあわせなことか。それに、サッカー記者も――。9年前の、あのくやしさと、いきどおりにくらべれば――。
 9年前の5月、ぼくは小石川サッカー場3階の記者席から、ころぶように階段をかけ降りた。そして日本チームのロッカー・ルームから出てきた川本監督に食い下がった。
 「ひどいじゃないか、日本はアジアでもビリじゃないか」
 「日本の選手は、カニの横ばいみたいにパスをしているじゃないか、ちっともゴールへ向かっていかないじゃないか。あれじゃ得点しっこないよ」
 東京で開かれた第3回アジア大会で、日本のサッカーが、1−0でフィリピンに負けたときのことだった。ぼくは、まだかけ出しのサッカー記者だった。キシャじゃない、トロッコぐらいのものだった。
 「横にパスをしても、パスを受けた者が前よりも楽にボールを持つようになる。だからいいんだ。われわれのやり方は決してまちがってはいない」
 川本監督が、さとすように、しかし大きなため息とともに、いったことを、いまもきのうのことのようにはっきりと覚えている。あれから、もう、9年たったのである。

描く建設第二期の大きなイメージ
 この原稿を書いているとき、メキシコ・オリンピックのアジア地域予選競技会は、まだ終っていない。長沼監督のひきいる日本代表チームは、第1戦でフィリピンに15−0の大勝、第2戦で強敵中華民国(台湾)に4−0の快勝をしたところである。
 雑誌が発売されるときには、結果が明らかになっているだろう。日本がめでたくメキシコ行きの切符を手に入れておれば、9年前の悪夢は、これっきり、もう思い出すこともあるまい。
 あのどん底から立ち上がって、日本のサッカーは再建の第一期を終ったのだ。東京オリンピックでアルゼンチンに勝ったあと、クラーマーコーチが「日本はアジアのナンバーワンの実力がある」と保証したが、あのことばを、今度は現実に、ひとつのタイトルを握ることによって実証したのだ。
 あとは、目を未来にむけて、建設第二期の大きなイメージを描くだけだ。
 だが、勝負は水ものである。力の差はわずかなのだから。日本が負けることだって考えられる。しかし、万一負けたにしても、9年前のような、暗たんとした気持ちにはならないと思う。
 いまの日本のサッカーは、世界の中で、アジアの中で、自分たちの力と位置を見きわめながら戦っている。かりにつまずいても、この前のような取り返しのつかない転落にはならないだろう。立ち直るために、クラーマーのような救世主の再来を必要とはしないだろう。

大切なコーチの力
 メキシコ予選を途中まで見て、気のついたことを2、3書いてみよう。
 9月25日東京の西郊、千歳烏山の第一生命相娯園でフィリピンのチームが初練習をした。それを見ながら、長沼監督に話しかけた。
 「ちょっと格が落ちるね。日本の大学チームていどだな。9年前に日本が負けたときのフィリピンも、こんなもんだったのかなあ」
 「フィリピンだって弱くなってるはずはないんですけどねえ。アジア・ユースにも毎年参加しているし、ムルデカ大会など国際試合のチャンスがふえてるんだから―」
 「つまり、9年前の日本のサッカーは、いかにひどいものだったか、ということだな」
 第1日、日本がフィリピンに15-0で勝ったのをみて、感慨無量の人も多かっただろう。クラーマーの力がいかに偉大だったか。サッカーでは、コーチがどんなに大切なものか。
 日本サッカーの黄金時代を目ざす第二期計画は、まず指導者の育成とコーチ制度の確立から手をつけなければならない。
 第2日は日本の試合はなく、外国同士の対戦だった。お天気は良かったのだが、観衆は広大なスタンドにわずか3000。これは、いささか寂しかった。
 日本が出ないのだから、多少お客の少ないのは当然だが、この日は韓国対中国(台湾)の試合がある。韓国はことしのムルデカ大会優勝、中華民国(台湾)はアジア・カップ東地域予選優勝。韓国は若手を注入して急上昇のチームであり、中華民国(台湾)は名だたる試合巧者である。しかも、双方とも今大会での日本のライバルとみられている。アジアのサッカーを知るものなら、見のがすことのできない好カードのはずである。
 はたして試合は、激しさと巧妙さのぶつかり合った好試合だった。3000人しか見ていないのが、もったいないようだった。
 これがバンコクか、クアラルンプールだったら、スタンドは、割れ返るようなさわぎだったに違いない。
 「サッカーブームとはいっても、日本の観衆の水準はまだまだ低い」といっては、失礼だろうか。もっともこれは一般観衆だけの責任ではなくて、日本のサッカー協会自体が、大衆との結びつきや、アジア各国との結びつきへの努力を、充分にしていなかった証拠かもしれない。
 「おこづかいに限りがあるもの。300円、500円の入場料では、外国チームまでは手がまわらないよ」
 といわれたら一言もない。
 こういう点も、日本のサッカー発展の第二期計画の中で、気をつけなければならないことである。

韓国にみる若さと未来、そして日本は……
 最後にもうひとつ。将来、といっても、すぐ3年後の日本の強敵は、韓国であるということだ。
 韓国チームの練習を見たとき「東京オリンピックの前の年の日本代表チームと似た感じだな」と思った。むかしの韓国のような力と闘志のチームでなく、スマートな近代サッカーを身につけつつあるような印象だった。
 さらに第1戦(中華民国に4−2で勝ち)を見て、このチームには若さがあると思った。中華民国(台湾)や南ベトナムの足わざは、たしかにうまい。うまいが、むかしから、やり方がほとんど変らない。韓国は変りつつあるから恐しい。3年後の第6回アジア大会は地元のソウルで開かれるのだから、これからも軍人チーム(陽地クラブ)を主体に、目ざましい強化策をとるに違いない。
 その点、いまの日本代表チームには、若さと野性味に乏しい。日本代表チームは若手の補充を怠らないように、注意しなければならない。他の国や日本の過去の例からみて、切り替えは、自分で「この時だ」と思う時点よりも、少し早目にした方がいいものなのだ。


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