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サッカーマガジン 1968年1月号

新春特集 ビッグスポーツへの道

構成解説/牛木素吉郎  イラスト/水島忠紀
※実際の誌面ではイラスト中の文章を、各イラストの下に抜き出しました。


197×年―。
 東京の国立サッカー・スタジアムで、日本対韓国のワールドカップ予選が行われる。この日、大阪からは東海道新幹線のサッカー特別列車で西日本のファンが大挙上京、地方の各都市からも、特別バスで続々と観客がつめかける。ソウルからは、もちろん、韓国の応援団が、ジェット旅客機を借り切って飛んでくる。
 日本のファンは、お行儀のよさでは、世界的に定評がある。それでも、この日は万一に備えて、15万人を収容するサッカー専用競技場の内外を、ガス銃を肩にした警官隊が厳重にパトロールしている。
 スタンドは、やはり若い人が多い。昼間は自分たちのサッカーに汗を流した少年たちが、スポーツ・バッグをぶら下げて、かけつけている。
 ピーツ!
 試合開始。カクテル光線に浮かび上がった美しい緑の芝生を、白球がもつれながら走る。
 わあーっ!
 歓声は夜空に突きささるようだ。
 ――こんな光景は、ヨーロッパや南米では、すでに日常のことである。だが、日本でサッカーが、本当にこんなふうになるだろうか。地球の上のほとんどの国がそうであるように、日本でもサッカーが最大のスポーツになるのは夢だろうか。それは、いつのことだろうか。

@スポーツ・クラブ。
 「日立スポーツ・クラブ」「大阪スポーツ・クラブ」「八幡スポーツ・クラブ」……こういうクラブが全国各地いたるところにできる。ひとつのクラブに、少年やジュニアや大人のサッカー・チームがいくつもある。サッカーだけでなく、陸上や水泳や体操の施設もある。有力なクラブの代表サッカー・チームが日本リーグに出ていて、その優秀選手はプロである。釜本選手は、そのころには、もちろんプロだろうな。プロ選手になっても、自分のクラブの少年選手をコーチするし、アマチュアの選手といっしょに試合ができる。それがサッカーのいいところだ。

 日本でサッカーがビッグ・スポーツになる道――そのひとつは、プロ・サッカーの誕生である。これは現在、すでに夢ではない。外国のプロ・サッカーは、これから毎シーズン、日本に上陸してくるだろうし、国内にもサッカーのプロを作る動きが出はじめている。
 この動きは、10月のメキシコ・オリンピックが終ったら表面に出てくるだろうと思う。遅くても、1972年のミュンヘン・オリンピックの終ったあと(それは札幌の冬季オリンピックのあとでもある)には、具体的に登場すると思う。
 プロがいいか、アマがいいかの問題ではない。通信衛星によるテレビの世界中継が実現し、超音速旅客機でヨーロッパが、昔の国内旅行なみの距離になろうという時代だ。日本だけが、世界をおおっている熱狂のスポーツの波を、かぶらないで済むわけにはいかない。これは明らかである。
 ただし、ひとつだけ注意しておきたいことがある。
 プロ・サッカーというと、日本のファンのみなさんは、ちょうど日本のプロ野球のような形のプロ・チームを思い浮かべるのではないか。しかし、日本のプロ・サッカーが、世界をおおうサッカー熱の一環である以上、やはりサッカーの盛んなヨーロッパや南米のプロを考えるのが本当ではないだろうか。――具体的には、ここに描かれたような形、つまりプロは強いものであり、サッカーだけでなく、多くのアマチュア・スポーツを助けるものである。
 また、選手にはプロ(ほかに職業を持たない選手)、セミプロ(本業のかたわらサッカーでお金をもらう者)が出てくるだろうが、チーム(クラブ)そのものには、プロもアマもない――という形の長所を理解してもらいたい。
 ビッグ・スポーツへの道は、プロの誕生だけではない。競技場のこと、少年サッカーのこと、オリンピックのこと、――まだまだ、たくさんの道があり、困難があり、条件がある。それは改めて取りあげることにしよう。

A野球と手を握って。
 日本リーグができたところに「プロ野球は追い越せる」という横幕が出ていたけど、日本のサッカーは、野球といっしょに強く、盛んになってほしい。ヨーロッパや南米では野球はやっていないし、アメリカのサッカーはまだこれから。日本が先に、サッカーと野球の両方を楽しめる国になってもらいたい。後楽園や神宮外苑で、野球場とサッカー場が両方超満員になったら、交通警備のおまわりさんが、たいへんだろうね。


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