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日本のサッカーに革命を起そう (1/2)
(サッカーマガジン1971年11月号) 


  このショックを、新しいスタートのために、最大限に生かさなければならない。遅過ぎるには違いないが、日本のサッカーの再建に、手遅れということはない。
 前回の銅メダルのチームが、ミュンヘン・オリンピックの出場権さえ得られなかったのは、残念だった。しかし、4年前のチャンピオンであっても、そのままの力では、次の大会の予選にさえ勝てないだろう。世界のサッカーは、それほど甘くはない。サッカーは世界のゲームであり、日進月歩のスポーツである。一か所に止どまっていることは、退歩と同じだ。たちまち世界のどの国にも追い抜かれてしまう。それがサッカーの誇りである。
 日本のサッカーは、ここのところ、一か所に止どまって右を見たり、左を見たりしていた。それどころか、少し前へ出ようとすると足を引っぱったり、自分では気がつかないで、うしろ向きに走ろうとさえしていた。
 これでは、マレーシアにも、韓国にも、負けて当然である。
 日本のサッカーの現在の状態を、このままにして置いては、日本は、ますます立ち遅れるばかりだ。この機会に、悪いやり方をたたきつぶし、日本のサッカーに革命を起こさなければならない。


日本はなぜ負けたか

 ソウルの予選の前、ぼくは「サッカー・マガジン」9月号に「日本は韓国に勝てないだろう」と書き、さらに10月号には、「根性では勝てないのだ」ということを書いた。
 なぜ、日本の勝てない根拠をあらかじめ列挙し “根性だけでは勝てない” という当たり前のことを、こと新しく書いたのかといえば、そのわけはこうである。
 日本が負けて帰ってきたとき、ぼくは協会の関係者が敗因を選手に押しつけることを心配した。「選手に根性がない」 (集中力とか気力といっても同じだ) とか、「○○選手のミスだった」とか感想をいって、それ以前にある責任をごまかすのではないかと思って、あらかじめクギを刺したのだ。一将功成らず、万卒枯るでは、浮かばれない。
 日本の敗戦を予測していた人は、たくさんいた。事実に目をおおわない人なら、だれだって、予測したはずである。
 クラーマーさんは、検見川の合宿を、ちらりと見ただけで「ホープレス(希望はない)」といい、大会後の再建策についてまで意見を述べて帰ったということだし、岡野監督だって、立ち場上、選手の士気をそこなうようなことはいえなかったが、内心では悩んでいたに違いない。
 ソウル予選には、日本の新聞社などから20人近くの特派員が取材にいった。その中で朝日新聞の中条一雄特派員は、出かける前に
「今度は、サッカーをよく知っている記者が行ったほうがいいんじゃないか」
 と冗談めいたことを、いっていた。
 その理由は「今度は日本は負けるぞ。敗因を追求して今後のことを徹底的に書かなきゃならんからな」
 というのである。
 その意味で、NHKテレビが、録画もふくめて日本の全試合を放映してくれたのは、ありがたかった。
 ソウルに行った人たちだけでなく、テレビを見た人たちみんなが、日本の負けた試合をじっくり知ることができたからである。
 日本が負けたのは、“根性” が足りないせいではないことが、十分に分ってもらえただろうと思う。


マレーシアの勝因

 日本の敗退は、あらかじめ予測されていたことなのだから、敗因は試合以前にあったことは明かだ。しかし、ここでは、まず順序として、その敗因が現実の試合に、どのように投影されていたかを見てみよう。
 第1戦でマレーシアに完敗したのは意外だったが、まったく予測されていなかったわけではない。
 日本蹴球協会の50周年記念パーティーの席で、ぼくはNHKの人に、こういった。
「今度の大会は、日本も、韓国も、はやばやとマレーシアに負けて、日韓戦は無意味になるかもしれないよ。そうなったらNHKにとっても最悪の事態だよ」
 NHKは日韓戦をソウルから初の衛星中継で実況放映をする計画をたて、高額の予算をつぎ込んでいたから、ちょっと悪い冗談をいったのである。
 冗談が現実になって、NHKには申しわけなかったが、マレーシアが伏兵であろうことは、多くの人が心のすみでは考えていたことであった。
 大会がクアラルンプールで開かれるのであったら、マレーシアは、日本、韓国と並んで有力候補だっただろう。東南アジアのサッカーの足わざ (ボール・コントロール) は、日韓よりも上だからである。
 ただ、足わざに頼って組織的攻めの少ないやり方では、コンディションの違うソウルのグラウンドで、十分に力を出せないだろうと思ったし、また、ソウルの寒さ、しかもナイターとあっては、暑い国のチームは決定的に不利だと考えられた。
 しかし、日本−マレーシアの試合を、翌日のテレビ (録画) で見てぼくは不明を恥じた。
 雨の中で、まずしっかりと守りを固め、縦パスから逆襲を有効に生かした攻めは、自分たちのチーム力を生かした、みごとな組織的なやり方である。守りはチャンドランの豊富な経験で引締め、攻めは2人のエースの足わざがフルに活用していた。最初の1点はラッキーだったが、そのあとの2点はセンターリングの側に走りよって決めた、いわゆる “アーセナル・ゴール” で、みごとなものである。
 もう一つ感心したのは、マレーシアの選手たちが、新しい長そでのユニホームを着ていたことである。
 これまで、日本に来た東南アジアのチームの中には、うす地の半そでシャツで、秋風に歯の根も合わずに震えていたのもあったが、マレーシアは、最善の準備をして、意気込んで来ていることが、よく分った。
 スコットランド人のマクラレン・コーチを迎えて、マレーシアのサッカーは、大きく変りつつある。
 そのことを、日本のコーチ陣は知らなかったのだろうか。
 ムルデカ大会に1軍を送ろうとせず、東南アジアとのつき合いを避けようとしてきた報いが現われた ―― と内外の新聞が書きたてたのも無理はない。
 マレーシアは体質改善をし、日本よりよい準備をした ―― それが実ったのである。

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