【座談会】
ワールドカップと日本の進路
16年後、ワールドカップ日本開催は可能か!? (4/4)
(サッカーマガジン1970年9月号)
■開催に必要な条件は何か
牛木 借りに1986年にワールドカップを日本でやるとして、日本にとって、これだけは必要という条件があると思うんですが。
竹腰 一番時間のかかるグラウンドでしょうな。収容力がいくらで、各国への配分金はどうなるという問題も出てくる相手はみなプロですからね。だから立候補して物笑いにならないように準備を整えなければならない。あと、経済問題は日本のナショナル・チームが力をつけて日本のサッカー・ファンがサッカーに払う金というものができ、まあ現在の日本の経済力の進展から考えれば、なんとかなるかもしれないが、要するにグラウンドが一番大きなネックだね。
長沼 たしかにグラウンドは大問題だと思うし、練習場の問題も出てくるが、まず前提として、この16年間に世界大戦争があっちゃ絶対に出来ない。それがない限りにおいては
―― たとえば、交通機関ひとつとっても、新幹線、国内線なんてものじゃなくて、エアバスが走っているかもしれないし、プレスサービスにしても、いろいろな手が使える上に、電話だってテレビ電話になっている
―― それに加えて、日本人の英智ですね。これがあれば、できると思う。経済的には、竹腰さんがいわれたように、致命的にだめだという計算はないと思う。もちろん、それまでに日本の人たちにサッカーを見る楽しみを植えつけられなかったら、話にはならない。お客さんも重要な役割を果している大会だから……。練習場は大半が人工芸になっているだろう
―― そういうことを考えると、致命的なネックはないと思いますね。
■偏狭なアマチュアリズム
牛木 現在日本には、ワールドカップのレベルの競技場はないけれど、将来必ず大きな競技場が必要かどうかといえば、16年後には疑問かもしれないですね。情報産業が非常に発達しますから、現場に10万人を集める必要がなくなるかもしれない。ただ、現在のレベルで考えるとして、やはり東京に10万人くらい、かりに大阪、広島、九州に4、5万人の競技場が必要なわけですね。それだけのものが16年ののちにできないと思われない。日本の経済力を考えれば、たとえば、メキシコでも競技場にはたくさん広告がついていましたね。スコア・ボールドの隣の一番いいところの広告はナショナルでした。日産の広告もあったし、それから組織委に入って働いていたのは、ミノルタという日本のカメラ会社でしたし、ニコンのサービスが、新聞記者のためにありました。日立もありましたし、そういう風に、日本の重要な産業がメキシコまでいってPRしているんです。必ずしもPRのためにお金を出せというわけじゃありませんが、そういうことを考えると、日本にはそれくらいの経済力はあるんじゃないか。万博の会場を見ても、パビリオンひとつに何億もかけているんですから……、観客の問題も、こんご16年間にサッカーが閑古鳥の鳴くようなことになれば、協会の責任であると同時に、ジャーナリズムの責任でもあって、少なくともわれわれ記者は、そういうことはしないと申しあげられる(笑)。ただひとつ重要な問題で、早急に解決しなくちゃならないのは、先ほど竹腰さんがいわれたように、偏狭なアマチュアリズムというものが、なおかつ日本のスポーツ界を支配している。経済的な問題とかは進歩がものすごく著しいけれど、人間の考えはなかなか変らないので……
長沼 サッカーだけじゃなく、スポーツという問題が出てくる。
牛木 偏狭なアマチュアリズムで、競技場に何か広告があってはいけないというのでは、ワールドカップはできない。プロフェッショナルのスポーツであっても、世の中、社会に貢献するものであれば、政府はこれを援助するというくらいの考えまで、日本は持っていかなければいけない。
長沼 第一級のスポーツマン、あるいは、本当の意味でのスポーツは、社会に大きな貢献を果しうるものだということが、日本の政府および国民に理解され、受け入れられないと、日本でのワールドカップはできないといえますね。
牛木 そこでいいたいのは、だから日本では不可能だといういい方をしないで、何とか可能な方向に持っていきたいですね。
長沼 そういう意味でも、サッカーは、協会もあるいはチームも、選手も、やっぱりスポーツ界のリーダーシップを握るだけの気持ちと考え方で運営もするし、試合もしていくという形で、お互いにやらなければいけないですね。
牛木 そういうことを考えると、86年に日本でワールドカップをやろうという目標を立てることは、非常に意義が大きいんじゃないか。われわれの力でそこまでやろうじゃないかと
―― それは、ちょっとまあ、自分たちの力を買いかぶりすぎていると思われるかもしれないけれど。
長沼 人がなんといおうといいじゃない。そういう決心をすれば。
牛木 まあ、最後ですが、協会へのお願いは、それくらいのイメージと実行力がなければ困る。それが持てるだけの組織を作ってもらいたい。ぼくのほうは注文する立場ですから、あとは竹腰さん、作ろうというかどうかということだけなんですがね。
―― おもしろい話をありがとうございました。1986年のワールドカップを是非日本で開催したいものです。そうすれば自然、これからの日本サッカーの方向もまた本誌の方向も決まってくるわけですから……。
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