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メキシコとそのあとは……
竹腰理事長に協会の方針をきく (1/3)
(サッカーマガジン1968年4月号)


はじめに

 こんなことをいったら、読者の方にも、日本蹴球協会のお偉方にも叱られるに違いないが、ぼくは「メキシコ・オリンピックなんてどうでもいい」と思っている。
 なにしろ、ことし1968年はメキシコ・オリンピックの年で、10月になれば、新聞やテレビが、お祭りさわぎをするに違いない。日本からは230人の大選手団が派遣される予定で、その中にはもちろん、昨年10月のアジア予選で勝ったサッカーも、はいっている。行くからには、1試合でも勝ってもらいたいし、日本の実力でベスト8入りはねらえると思う。監督、コーチ、代表選手は、やはりがんばってほしい。
 しかし、日本のサッカーの将来を考えればメキシコ大会の重要性は、4年前の東京大会にくらべてだいぶ軽い。メキシコ大会の本番よりも、昨年10月のアジア予選の勝利のほうが、日本のサッカー史に残るものになるのではないかと思う。
 というわけで、日本代表選手団には、全力をつくしてもらうにしても、日本のサッカー振興の全責任を負っている日本蹴球協会にはメキシコよりも、メキシコのあとのことを考えてもらいたい。
 こう思っていたところへ、日本蹴球協会が昭和43年度の事業計画を発表した。
 これは「底辺拡充」「コーチ制確立」「専用競技場建設」など、未来のためのプランが、ちゃんと中心になっている。
 大いに安心すると同時に、計画のくわしい内容をきこうと思って日本蹴球協会の竹腰重丸理事長にインタビューした。
 竹腰理事長は、さすがにオリンピックはどうだっていいとは、おっしゃらなかったが……。(牛木)


オリンピックの目標は

―― やはり、はじめにメキシコ・オリンピックのことからうかがいましょう。東京オリンピックのときの顔ぶれが中心になっている現在の日本代表チームは、平均年齢27歳ということで、メキシコが最後のゴールではないかという見方がありますが……。

竹腰 たしかにそういう意見もあるでしょう。アマチュアの選手としては、30歳まで第一線で活躍するのは限界に近いから。ただし、日本蹴球協会としては、ことしの最大の目標はメキシコ・オリンピックに勝つことであって、そのためには、万難を排するというか、あらゆる障害を克服する覚悟でいる。
 だからメキシコには、現在の時点でのベスト・メンバーを送り込むつもりで、レベルを落としてまで若手を入れるようなことは考えていません。ことしの国際試合の計画もすべてメキシコ第一主義で、春には代表チームをメキシコヘ送って、高地のサッカーを体験させておき、夏にはヨーロッバヘ行って、オリンピックで金メダルを争うクラスの、強く激しいサッカーを思い出させることにしている。5月にイングランドの名門アーセナルを招くのも、メキシコ強化策の一環です。

―― メキシコでの目標は?

竹腰 メダルを取る。少なくとも8位にはいりたい、というところですが、メキシコでの1勝は、東京オリンピックでの1勝よりもはるかにむつかしい。メキシコの2240bの高度という地の不利が、高所トレーニング場を持たない日本にとって大きいし、今度からワールドカップに出た選手もオリンピックに出られることになったので、共産圏の国は東京のときよりも、だいぶ強力な顔ぶれになる。だから、どこが相手だろうと、この一戦をひとつでも勝ちとるという気持ちでなければいけません。これは、前回優勝したハンガリ一だろうと、地元のメキシコだろうと、みな同じ気持で出てくると思う。
 サッカーは世界でもっとも盛んなスポーツで、どこの国でも、もっとも力を入れ、期待している競技です。
 それだけにどの国でも優勝するとかメダルをとるとか、軽々しくはいえないはずです。逆にこの中でひとつ勝てば、ひとつ勝っただけ、国内でこれからサッカーが伸びていくために、大きな刺激になることは間違いありません。だからメキシコで勝つためには、最善をつくすべきだと信じているのです。

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