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天皇杯全日本選手権 早大、若さの勝利  (1/2)
(サッカーマガジン1967年3月号) 


 優勝に涙を流して歌った校歌に “若さ” の象徴があった。その “若さ” は、さらに日本サッカーを発展に導く “若さ” でもある。

これが青春だ!

 夕暮れせまる駒沢競技場。早稲田のサッカー部員は、円陣を作って声を限りに「都の西北」を歌った。
 釜本がいる、森がいる、1年生のヒーロー田辺がいる、マネジャーがいる、補欠の選手たちもいる。部員全部がひとつになっていた。
 森主将の目から、熱い涙が、とめどもなくあふれ落ちた。選手たちだけではない。スタンドを見上げると、試合が終わっても立ち去りがたい観衆が、この光景を見守りながら、やはり目をうるませていた。
 日本リーグの王者、東洋工業を向こうにまわし、一歩も引かずに走りまわること延長戦の1時間50分。早稲田は、ついに天皇杯を社会人の手から奪い返したのだ。
 その感激の歌声が、スタンドにこだまして夕空に消えるのを聞きながら、テレビ番組の題名ではないけれど「これが青春だ!」と思わずには、いられなかった。
  森君、釜本君、大野君……。君たちは、生涯この日のことを忘れないだろう。精魂かたむけて戦いとった勝利の思い出は、これから社会に出て君たちが苦しい立場に立ったとき、君たちを勇気づけてくれるに違いない。
 4月から日本リーグに出場したら、やはりこの日のように、激しく、すばらしいサッカーを見せてほしい。そして1年後の全日本選手権のときには、社会人の立場から後輩の学生チームを相手に、全力をつくして天皇杯を奪い合ってほしい。
 それが、君たちの青春をいっそう豊かにし、日本のサッカーをますます発展させる道なのだから。


若さの爆発

 1月中旬の全日本サッカー選手権大会で、大学チームが優勝するだろうとは、ほとんど予想されていないことだった。
  前回、日本リーグと日本選手権の二冠を獲得し、2年前の日本リーグでは前年以上の強さをみせていた東洋工業 ―― その優勝は絶対のように思われた。
 もちろん、早大も学生チャンピオンである。かなり、やるだろうとはいわれたが、三菱重工、八幡製鉄、東洋工業と、日本リーグの上位チームを総なめにしようとは、想像できなかった。
 ぼくは、新聞につぎのような予想記事を書いた。
「決勝は東洋工業と、八幡−早大の勝者で争われるだろう。東洋−早大になれば、社会人−学生のナンバー・ワン同士で興味はあるが、東洋の優位は動かない。東洋−八幡なら八幡には、宮本輝、上など個人的に東洋の選手を封じる手ゴマがあるから、秘術をつくした作戦で好勝負になるだろう」
 早大が決勝に出るところまでは考えたのだが、まさか、あのスキのない東洋工業に勝てようとは、思わなかった。
 予想は、がらりとはずれた。間違いのもとは、学生チームの若さを忘れていたことである。若さのもつ無限の可能性を、たくましい成長力を、計算しきれなかったことである。
 決勝戦の前半、東洋工業が先取点をあげ、早大が追いついた。後半東洋が再びリードし、早大がまた追いつく。
 延長戦に入るころになって、ぼくは、ようやく自分の間違いに気がついた。
 早稲田のチームは、秋の関東大学リーグのころとは、見違えるばかりに成長している。それどころか、決勝戦の試合をしながらも、ぐんぐん伸びているのである。
 これが若さなのだ。社会人よりも、スタミナがあり、走りまわれるということだけではない。
 強い相手とせり合えば、せり合うほどわき出る新しい力、うまくなる技術 ―― その生命力だ。
 延長の前半5分、釜本からの縦パスを、細谷がつなぎ、田辺が決勝点。
 その瞬間、スタンドの大歓声とともに、早稲田の若さも、爆発したかのようだった。

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