ワールド・カップ物語 (3/3)
(スポーツマガジン1966年3月号)
■ ワールド・カップ成功の秘密
ワールド・カップは、4年に1度のサッカーの祭りである。その歴史は、ドラマの連続で、世界をゆるがせた歓喜もあり、悲劇もあり、殺人事件もあり、億万長者の物語もある。
わずかの紙数では、とても全部を語りつくせない。ただ最後に、ワールド・カップが短い年月のうちに、たちまち世界最大のスポーツ大会になり、サッカーの魅力が全世界の人々をとりこにするようになったのか、その原因を簡単に考えてみよう。
ワールド・カップは、プロでもアマチュアでも参加できる。いわゆる”オープン”の大会である。従って南米や西ヨーロッパからはプロが、共産圏やアジア・アフリカからは、アマが出る。
しかし、本大会出場は予選で16チームにしぼられ、よりぬきの精鋭ばかり、ソ連のようなアマでも、本大会に出る以上はプロなみの最高技術水準に達している。
アマとプロが対戦することが、よくオリンピックとからんで、日本のアマチュア主義者の非難の対象になるが、「強い者は強い者同士」で争うことが、スポーツの原則のひとつである「公平」を保つことになる。
アマだけのオリンピックに、強いプロが割り込んでくるなら問題だが、ワールド・カップの場合はその逆で、プロに対してアマの強いところが挑戦する。
その結果、すばらしい試合が生まれ、サッカーの技術の進歩を刺激し、普及に貢献しているのである。
もうひとつ、ワールド・カップ成功の秘密は、独特の予選制度にある。
今回の大会の予選に申し込んだ国は70ヵ国に達した。FIFAは、これらの国をグループ別に分けて、ホーム・アンド・アウェイ方式で、予選をさせる。
ホーム・アンド・アウェイ方式とは、日本でも、日本リーグの発足でおなじみになったやり方で、同じカードを、自国で1試合、相手国に遠征して1試合をする。
自分の国のチームの試合を地元で見られるのだから、ファンは愛国心に燃えて熱狂する。入場料収入で試合経費をまかなったうえに、大きな利益が出る。この予選が、地球上のいたる所で、2年がかりで行なわれて、本大会の前景気の役も果たす。
オリンピックは、多くの競技種目をかかえ、参加人員の増大に悩み、莫大な開催経費に苦しんでいる。これに比べると、ワールド・カップのやり方は賢明で効果的だ。
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今年の見どころ
第8回ワールド・カップは、今年7月11日から30日まで、ロンドンなどイギリスの7都市で開かれる。
今年の見どころは次の3点である。
(1)ブラジルの3連勝をめぐる争い。とくに予選リーグ3組でのハンガリーとの対戦。
(2)サッカーの母国の名誉をかけた地元イングランドの試合ぶり。同国サッカー協会100年記念として開かれる地元の大会に、名誉回復をかけるイングランドの準備は注目すべきものがある。
(3)アジアからただひとつ出場の北朝鮮がどこまでやれるか。
ワールド・カップが近づくにつれて、日本の新聞社にとどくサッカーの外電の量は、莫大なものになる。
日本のサッカーが強くなり、盛んになったといっても、それはアマチュアの、オリンピック・レベルでのこと。
ワールド・カップの水準へは、まだ気の遠くなるほど遠い道のりだ。
テレ・タイプから次々にはき出される横文字のサッカー記事をながめ、「これを全部翻訳して新聞にのせることができたらなあ」とスポーツ・デスクで嘆くことになる。 (了)
ワールド・カップ開催地と順位
第1回 1930年(ウルグァイ)
1位 ウルグァイ 2位 アルゼンチン 3位 ユーゴ、アメリカ
第2回 1634年(イタリア)
1位 イタリア 2位 チェコ 3位 ドイツ
第3回 1938年(フランス)
1位 イタリア 2位 ハンガリー 3位 ブラジル
第4回 1950年(ブラジル)
1位 ウルグァイ 2位 ブラジル 3位 スウェーデン
第5回 1954年(スイス)
1位 ドイツ 2位 ハンガリー 3位 オーストリア
第6回 1958年(スウェーデン)
1位 ブラジル 2位 スウェーデン 3位 フランス
第7回 1962年(チリ)
1位 ブラジル 2位 チェコ 3位 チリ
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