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ワールド・カップ1966総決算(2)  (1/4)
(サッカーマガジン1966年10月号) 


  全世界をわかせたサッカーの世界選手権―第8回ワールド・カップは、イングランド(英国)の初優勝で幕を閉じた。今回の大会もこれまでのどの大会にも増して、話題の多い、興趣あふれる大会だった。
 サッカーの母国イングランドが西ドイツとの劇的な延長戦のすえ宿願を果たしたこと。三連勝の野望ついえたブラジルをはじめとする南米勢の敗退、準々決勝の激闘とそれに続くトラブル。東洋の神秘北朝鮮の意外な進出。ペレ(ブラジル)に代る“世界のスター”オイセビオ(ポルトガル)の活躍。そして32試合の観客150万人収入約20億円、50ヵ国へのテレビ中継と一試合の視聴者約4億人などの新記録――。
 新聞社のテレビから刻々に吐き出される莫大な量の外電を追いながら、われわれも現地イングランドの人たちと同じ興奮を味わい続けた。
 前号に続いて、準々決勝以降の大会の模様を、日を追ってお伝えしよう。


7月23日(土)
◇ 準々決勝
▽ウェンブレー
 イングランド 1(0−0 1−0)0 アルゼンチン
▽リバプール
 ポルトガル 5(2−3 3−0)3 北朝鮮
▽サンダーランド
 ソ連 2(1−0 1−1)1 ハンガリー
▽シェフィールド
 西ドイツ 4(1−0 3−0)0 ウルグァイ

 ワールド・カップの歴史の中でこの日の準々決勝は、やはり長い間記憶されるに違いない。
 四つの会場で行われた四つの試合が、それぞれ危険をはらんでいた。四つの試合は、同時に、全世界の注目を集めて行なわれ、期待されていたような(あるいは心配されていたような)ことが、その通りに起こった。この日が今回のワールド・カップというドラマの、最大のヤマ場だった。


ラチンの退場をめぐって

 最悪のトラブルは、ウェンブレー競技場の試合前半に起きた。アルゼンチンのイングランドに対する試合ぶりは荒っぽく、ファウルで観衆の非難を浴びていた。選手は次々に主審から警告を受けていた。そして35分アルゼンチンの主将ラチンが、主審にしつように抗議したかどで、退場を命ぜられた。
 このときラチンがなかなか退場しようとせず、他の選手やベンチの連中が主審を取り囲んでつめ寄ったため試合は8分間中断され、警官がフィールドに出て割って入るというトラブルになった。
 試合は、後半残り時間13分になってイングランドが、ハーストのヘディングで辛くも決勝点をあげたが、トラブルは、その後に尾を引いた。
 翌日、FIFAの綱紀委員会は、厳しい処分をした。ラチン選手を、今後5回の国際試合出場禁止にしたほか、アルゼンチンに対して「このような問題について、今後何らかの処置をとらないときは次回のワールド・カップに出場させない」ことを決めたのである。
 この処分が、再びアルゼンチンを、いや南米のサッカー・ファン全部を憤激させた。ブエノスアイレスの新聞はこの事件を「ウェンブレーのスキャンダル」と呼んでいる。ヨーロッパ勢が結束して、地元のイングランドを優勝させるために、陰謀をめぐらせているというのである。
 南米のサッカー連盟はロンドンで会合して、結束してFIFAに抗議し、「場合によっては、南米だけのワールド・カップを別に開く」と、いい出す勢いだった。
 準々決勝のイングランド−アルゼンチンの主審クライトライン氏はドイツ人で、西ドイツの試合の主審はイギリス人だった。この審判割当は誤解を招きやすい。組合わせについても、イングランドに有利すぎるとする声が聞かれた。

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