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高橋祐幸のブラジル便り・目次
 

高橋祐幸(たかはし ゆうこう)

ブラジル・サンパウロ在住。1933年岩手県生まれ。1960年にブラジルにわたり、日本商社の現地法人(三菱商事)に35年間勤務。退職後ボランティアでトヨタカップ南米代表実行委員を15年間務め、川崎フロンターレ、大宮アルディージャのブラジル代表顧問を約8年間務めた。県立盛岡中学(旧制)で、八重樫茂生(メキシコ五輪銅メダル日本代表キャプテン)と同級生だったことがサッカーに携わる機縁ともなって、日本にもブラジルにも広いサッカーの人脈を持つに至った。


 

 


#18
壮大なサン・ラファエル氷河への旅

 長くブラジルに住んで、南米各地にいろいろな旅をした。そのときに書いた随想を、写真を添えて順次、紹介することにする。南米へ旅行する人の参考になれば幸いである。今回は10年前にチリーに行ったときのものである。

★チリー南部、パタゴニアへ
  チリーの南端近くに、パタゴニアと呼ばれる地方があり、ハイネ国立公園と云う有名な観光地がある。チリーの南端と言えば南極にかなり近く、私が訪れた12月は首都サンチャゴでは28度を越す暑い夏だったのに、パタゴニアは未だ春の終わりとかで、朝夕は5〜6度。日中でも10度くらいにしかならず、アルゼンチンと国境を分けるアンデス山脈は真っ白の雪を冠っていた。
  パダゴニアでも最も北寄りのラグ−ナ・サン・ラファエルという氷河が、この頃になると溶けて巨大な氷塊が海に雪崩落ちる景観がみられるというので冒険旅行に旅立つことにした。
  サンパウロから飛行時間約4時間で、サンチャゴ国際空港に降り立ち、直ぐに1日1便しかない国内線に乗り換えて南の方へ飛ぶ。乗客150人くらいの飛行機で窮屈な席に我慢すること更に3時間。寒々とした小さな飛行場に迎えに来たマイクロバスに揺られて更に3時間。やっとこさ、たどり着いたのがチャカブコと言う名の小さな漁港の町だった。
  朝早くサンパウロを出たのだが、着いたのは夜9時頃。もう日が暮れていた。宿舎は田舎の漁港には似つかわない立派な観光ホテルで、早速ウェルカム・ディナ−が待ち受けていた。
  いかにもチリーらしい蟹肉をふんだんに盛ったサラダ、鮭の刺し身風力ルパチオ、幾種類もの貝類のグリルなど。太平洋の新鮮な魚介類を中心としたメニューで、さらにチリーワインの極上銘柄を1本選べると云うことだったから、グルメの私は疲れもすっ飛んでご機嫌になったものである。

★大型遊覧船で6時間
  さて翌朝は7時にロビ−集合、ホテルの崖下にあるチャカブコの漁港から、かなり大型の遊覧船に乗っていよいよ氷河を目指しての出発である。船の階上は広いサロンで、回りはガラスばりの展望廊下が開けており、階下は横8列、縦12席の90人分くらいの座席がある。ジャンボ機のエコノミークラスに似た造りで座席の前のテーブルを下げて朝食・昼食・(帰りの)夕食のサービスも大型ジェット機のそれに似ていた。
  外気温度がかなり低いらしく、ガラスは乗務員が拭いても拭いても、直ぐに曇って外の景色が見えなくなった。
  遊覧船が走っているのは、大きな湖なのか河なのか? 雪を頂いた連山が遠去かったり近くに迫ったりする中を走り続ける。氷河に着くには6時間もかかると言う。あとで聞いたら山脈の谷底に海水が入り込んだ運河だそうだ。山の崖が海に落ち込む僅かの岩場にオットセイの群れがいると、船は徐行してアナウンスしてくれ、観光客は一斉に風の冷たいデッキに出てカメラの砲列になるのだった。
  ときどき曇りガラスを拭いてみても黒い山並みに白い雪が冠むっているのが見えるだけで「息で曇る窓のガラス拭いてみたけど、邁かに霞見えるだけ」と石川さゆりが歌う「津軽海峡冬景色」がふと思い出されて低く口ずさんでみた。
  6時間の航行の果てに船が徐行しだしたので、デッキに出て見たらなんと船の何十倍もあろうと思える氷山が海面いっぱいに浮遊していて、船の氷河接近を塞いでいるのだった。
  海面下に70%、海面上に浮んでいるのが30%だと云うから、氷山とは如何に巨大なものであるかが想像できる。それよりなにより、それだけの巨大な氷塊を雪崩落とす氷河とはいったいどんな魔物だろうかと想像するだけで胸がワクワクしてくる。
  巧みに氷山を避けながらゆっくりゆっくり進む船上のデッキに立ちつくして観光客は皆興奮に包まれるのだった。
  やがて前方に山脈が切れて海への(広大な)隙間に青色を混ぜた鈍い銀色の氷河が横たわっているのが望見できたときには皆が思わず歓声をあげた。

★ゴムボートで氷河に接近
  本船は氷河の約5〜6キロ手前で停泊し、そこからは(10人乗りの)ゴムボートを降ろして、横幅約3キロ高さ約100メートルの氷河が海水に接する巨大な氷壁の2キロくらい近くまで連れて行ってくれると言うアナウンスがあり、乗船者は皆な救命具を身に纏ってワクワクした興奮とチョッピリ緊張の面持ちで、ズ−ムレンズ付きのカメラとビデオカメラを首に下げて次々と何艘ものゴムボ−トに乗り移って行った。
  天気がよく気温も上がると、氷河は生き物のように暴れ出して巨大な氷塊を雪崩落し、本船もボートも危険で近寄れないそうだ。それはさぞやの凄観だろうが、この日は曇っていて気温も低く氷河は眠ったようにその雄大な姿を横たえていたから、この日はゴムボ−トが氷河の壁面前1キロ程まで接近できた。
  100メ−トルも高い氷壁だから、その奥行は覗くべくもないが 海抜4058メートルから、45キロに及ぶ距離の急斜面に張り詰めた氷河は地球創造以来、溶けることなく神秘に広がっているのだと言う。表面が溶けて流れ出すでもなく、巨大な圧力が押し出しているでもなく、海水に接する3キロの幅と100メートルの高さだけが、夏場の時季に剥がれて氷塊となって海面に雪崩落ちるのだそうだが、雪崩落ちる瞬間に居合せたら、危険はともかくとしてその壮観たるや想像を絶するものであろう。
  ゴムボ−トの私は、巨大な氷の壁が広角レンズでもおさまらず。ビデオカメラを持って来なかったことが悔やまれた。

★氷山の氷でオンザロック
  本船に戻った観光客全員がまだ興奮冷めやらぬうちに、面舵いっぱいで(また6時間の運河を)帰途についた。最後のボートが拾い上げてきた氷塊でオンザロックを作ってふるまってくれたが、海に浮かんでいる氷山の氷は眞水なんだなと変なことに感心した。
  「巨大なる氷河よ、壮大なる大自然よ、悠大なる地球よ、有り難う」と壮大なる夢を新年に託して、他の観光客たちと共に暮れなずむデッキにいつまでも立ちつくしながらカチ割りの氷山オンザロックを誰彼なくカチンとコップをぶつけ合いながらいつまでも乾杯を続けた。
  4日ぶりに首都サンチャゴに戻って、チリー最高級のリッツ・カ−ルトン・ホテルに旅装を解いたときには、まるで地球の果てから生還したような或る感慨が胸いっぱいを占めて.心地よい眠りに引きずりこまれていった。
  翌日は、三菱商事リオ時代の上司でもありアミ−ゴでもあった小川元(はじめ)さんが在チリー日本国特命全権大使を務めていらっしゃるのを、大使館に表敬訪問し、20数年も前の記憶をたどりながら 懐古談に花を咲かせた。
  小川さんが、首都の中央(青果・鮮魚)市場の中にある魚介類を食べさせてくれるレストランに招待してくださって、卓上に日ノ丸を立て、もう時季外れで無いと云う雲丹や蟹料理を特別誂えしていただき、参事官も交えて楽しい昼食会のひとときを過ごすことが出来た。
  無類のワイン好きである私は、いまや日本でも馴染みになったチリーワインのCONCHA Y TOROのワイナリーも訪ねて、樽からの試し飲みをし、極上のラベルを(クリスマス用に)2ダースも買い込んで、重い重い荷物を担いで、あの壮大にして巨大な氷河からチッポケなサンパウロの我が家にヤレヤレの帰還をした。あの雄大な「白い神々の座」の悠久なる大自然のなかで、人間って如何にちっぽけな存在かと感じたことは忘れられない。
  狭い人間社会で生きるには大きな夢や望みも大事だが、誠実に生きることが何よりも大事なことだなと感慨を深められたことが、この旅で得られた最大の教訓だった。
(2003年、古希70才)

山脈と山脈の合間に幅3キロに及ぶ氷河が海に突き出て 高さ100mの巨大な氷壁となっていて、夏場になると崩壊 して海面になだれ落ちる。

遊覧船をはるかに凌ぐ巨大な氷山がいくつも海上を 漂流していて遊覧船の進路をふさいでいる (タイタニック号の悲劇を思い出させた)。
私が三菱商事リオ支店勤務時代に上司でもありアミーゴでも あった在チリー日本国特命全権大使、小川元(はじめ)さんと昼食会。
私が大好きで晩酌に欠かせないチリー・ワインの工場を 訪ねて。樽から試し飲みをして上機嫌 (シンボルの樽の蓋を前に記念写真)。


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