#2
ローマ法王のブラジル訪問
★サンパウロのもっとも寒い日
今年(2013年)の7月24日は、サンパウロの気象観測が始まって以来の寒さだった。明け方は4度、日中は8度とのことだった。
ワラシャド(子供)のころは岩手県で育った。冬はニ階の窓から出入りするほど雪が降り積もり、軒下から地上まで太い柱のように氷つずらがさがっていた。ヒューヒューと冷たい木枯らしが電線を揺するなかで「今日はえらいしばれるだなや」と笑いこけていた。
それに比べたら、サンパウロの冬は、スガッコ(氷)が溶け始める嬉しい季節のようなものだろうが……。半世紀以上もブラジルで暮らしてきた身体には、この程度のシャラサビサ(寒さ)でも骨身に沁みる。
寝室のエアコンは冷房だけで暖房はない。炬燵(こたつ)なんていう、昔から今に変わらぬ文明の利器もない。家中どこにいようがサビィのなんのって……。
寝床に潜り込むしか身の置き所がないものだから ベッドの背もたれに寄りかかって毛布にくるまってテレビを観ていたら……。
★ミサとパレードを実況中継
ローマ法王がブラジルを訪問されていて、アパレシ−ダ・ダ・ノルテ市(サンパウロから約250キロの街)のカトリック・ブラジル総本山に来てミサを捧げている実況放送だった。
なんと大聖堂の中は(1万2千人しか入れないと云うのに)1万5千人もの信徒ぎっしりと埋めつくされ その周辺には15万人もの信徒が集まったという。さすが世界最大のカトリック教国(信徒7千万人)を誇るブラジルのことだけあるなと感心した。
なかには何キロもの道程をイザリのようにヒザで摺り歩いて、パパの姿をひと目拝もうと遥々やってきたお年寄りが何十人もいるとのことである。この寒さの中を何日かけて辿り着いたものやら、私のような無宗教・無信仰な罰あたり男は感心するより驚くばかりである。
リオでは、空港から市内まで「パパ・モ−ヴェル」と呼ばれる防弾ガラス張りのお車の中から手を振られるはずだったが、法王は防弾ガラスを全部取り外して、沿道の民衆に手を振り、握手を交わし、子供が近寄れば抱きあげて頬ずりをしてやるなど、前例のないパレードだった。ふつうなら厳重な警備隊にぐるりと囲まれて疾走通過するところだが、警備隊なしで徐行通過するパレードに、民衆は感激と感動の坩堝(るつぼ)だった。その様子がテレビ中継されていた。
土下座してひれ伏し、ボロボロと涙をこぼしている人達もおおぜいいて、それをカメラがクローズアップで捉えていた。
私は戦前・戦中に二重橋前広場の砂利にひざまずき、頭を垂れてあふれる涙を拭おうともしなかった日本人たちの姿が思い出して、カトリック信者でもないくせに、なぜか貰い泣きしてしまった。
★人びとを一つにする宗教とサッカー
民族、文化、言語、地位、貧富の差などを超越して、誰もが法王の前にひれ伏して心がひとつになる。その様子は、ワールドカップに集るフアンにも似ている。
サッカーでは、相手チームの国歌に起立して胸に手をあて、拍手を送る。富める人も貧しい人も、偉い人も偉くない人も、善良市民も、極貧難民も、テロ群団も、みな試合に熱中する。イデオロギーも、言葉の違いも超越して統一された世界人になる。それと同じようなものだなと感じた。
法王様の敬虔な信者たちと、(狂暴なコリンチャンス・ファンもいる)サッカーファンごときを混同した言い方をしたら、天罰がくだるぞとお叱りを蒙るかもしれないが かっては「サッカー狂」だった私には、そんな思いがよぎった。
ブラジル人に言わせれば、FIFA会長とIOC会長とROMA法王は世界三大男だといいう。
パパのお姿に泣き伏せる信者たちもを見て、国歌や国旗に涙し勝っても負けても感動して泣く私も、やはりブラジル人になりきったからなのかと、自分を振り返ってみた。
寒い寒いサンパウロの一日だった。(まだこの寒さは3、4日は続くという)。
さあ、今日は早めに和歌山産の完熟梅を焼酎に混ぜて、大阪の老舗「神宗」の塩昆布をおつまみに一杯やって早寝とするべえか。サウーデ。
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