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◆ビバ!スポーツ時評

サッカー日誌 2007

◆続・明冶初期のフットボール◆
 日本サッカー史研究会 
 (2007年2月19日・JFAミュージアム部)
 

★海軍兵学寮と横浜居留地
 明治時代の初期に日本に入ってきたフットボールは、ルール統一以前のものだった可能性がある。だから「サッカー」とか「ラグビー」とか呼ばないで、カタカナでは単に「フットボール」と呼ぶのがいい。これが、ぼくの主張である。
 ただし、問題は残っている。
 明治初期に日本に入ってきたフットボールは、2系統に分けて考える必要がある。
 一つは、お雇外国人教師によって1973〜74年(明治6〜7年)に海軍兵学寮や工学寮で教えられたというフットボールである。このうち工学寮で教えられたフットボールは、アソシエーション・フットボール、すなわち「サッカー」に近かったと考えられる資料があるらしい。
 もう一つは、横浜の外国人居留地で、外国人同士で行われたフットボールである。これについては、1866年(慶應2年)に Yokohama Football Club が結成されたという記録がある。
 
★工学寮ではサッカー? 
 工学寮は現在の東大工学部の遠い前身である。1874年(明治7年)に、ここでライメル・ジョーンズという英人の測量技師がフットボールを教えた。
 このことは1931年(昭和6年)に発行された「旧工部大学校史料」に記されているという。
 その「工学部資料」の復刻版が1978年(昭和53年)に刊行されたとき、その附録に工学寮出身者の「思い出話」が収録されている。そのなかに「ボールを蹴りこむ」「背の高い者をゲートキーパーにした」「今日のアッソシエーション・フットボールの前身ともいうべき」などの表現がある。これを見ると、サッカーに近いものであったように思われる。
 ただし、高齢になってからの思い出話だから、記憶が確かかどうかも疑えるし、当時、Association Football の概念が正確に認識されていたかどうかも分からない。単に「フットボール」としておいたほうが、安全かもしれない。
 
★横浜外人のフットボール
 横浜の外国人の間で行われたフットボールについては、1859年(安政5年)の横浜開港のときに来港した英国軍艦の乗組員が行った記録があるらしい。
 居留民による Yokohama Football Club の結成は、1866年(慶應2年)である。
 現在のラグビーのルールを統一した The Rugby Union(イングランド・ラグビー協会)の結成は1871年(明治4年)。ルール統一のほうがあとだから、当時のフットボールが厳密な意味で「ユニオン・ラグビー」であったはずはない。The Football Association 結成によるルール統一は1863年だから「サッカー」であった可能性はないとはいえない。
 ただし、パブリックスクールのラグビー校が、自分の学校で行われていたフットボールのルールを明文化したのは、さらに早く1845年である。「ラグビー校のフットボール」が行われた可能性は十分にある。
 結局、当時のフットボールがどんなものであったかは分からない、というべきだろう。

 

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